23話 始まりの英雄、途切れぬ拍
塔の内部を、光が流れていた。
糸がほどけ、空気の粒が淡く揺れる。
そのひとつひとつが、記憶の欠片――かつてこの世界を縫った“誰か”の息づかいだった。
カイは階段を踏みしめながら、手を壁に添えた。
壁は温かかった。石ではなく、まるで脈打つ皮膚のようだ。
血管のように光が走り、音が重なる。低い鼓動。
それは彼自身の拍と微妙にずれていた。
「……聞こえる?」ミアが囁く。
「拍が、重なっていく。まるで――誰かが、こっちを呼んでるみたい」
彼女の瞳の奥に、光の反射が映った。
塔の中心で、ひとつの影が浮かび上がる。
それは人の形をしていた。
だが輪郭はぼやけ、衣の裾は光に溶けている。
長い旅の果てに立つ者――
手には針のような剣。背に風の羽をまとっている。
オルディスの声が響いた。
――〈観測記録・第一周期〉
――〈最初の英雄、名は失われた〉
――〈彼は“恐れ”を縫い、“希望”を留めた〉
映像が動き出す。
原初の世界。瘴がまだ名を持たぬ頃、空は裂け、大地は沈み、人々は祈りを忘れた。
その中で、ひとりの青年が立っていた。
彼は“終わりを恐れぬ者”と呼ばれた。
彼の胸には、黒い核が宿っていた――瘴核の原型。
しかしそれは呪いではなく、“世界を留めるための針”だった。
彼はその針で、崩壊する空を縫った。
滅びゆく海を繋ぎ、風を整えた。
縫うたびに命を削り、糸が切れるたびに時間が戻る。
そうして世界は修復され、同時に“繰り返す”ことを覚えた。
「……これが、ループの始まり」エリナの声が震える。
「英雄が世界を縫い留めたとき、時の流れが輪になったのね」
カイは息を飲んだ。
「じゃあ……俺たちは、その“輪”の中を歩いてきた?」
「ええ。そして、あなたたちが“外へ出る”ための拍」
映像の中で、英雄が針を収めた。
その体は光に変わり、やがてひとつの影を生んだ。
仮面をかぶった観測者――オルディス。
彼は“英雄の残響”から生まれた、記録の化身だった。
オルディスの声が重なる。
――〈私は彼の恐れを記録し、祈りを写す影〉
――〈英雄が消えたのち、私は見届け人となった〉
――〈人々が再び恐れを抱けば、糸は裂け、私の記録が再生される〉
ミアが静かに呟いた。
「つまり……あなたは、最初の英雄の“記憶”だったのね」
風が返事をするように塔を鳴らした。
映像の中の英雄が、最後に振り返る。
その顔は、カイに似ていた。
いや、“似せて作られた”のだろう。
ループごとに世界が英雄を模倣し続け、形だけを保った。
けれど、今回は違う。
ミアの拍が、そこに“変化”を与えた。
「二人で縫う世界……」ミアが呟く。
「うん。もう、一人で縫い留める必要はない」カイが答える。
彼の剣が光を受け、塔の内側に長い影を落とした。
影の端には、微かに“別の手”が重なって見えた。
それはミアの手と、もうひとつ――“最初の英雄”の手だった。
オルディスの声が続く。
――〈英雄の欠片、二つに分かたれしもの。 今、完全となる〉
――〈観測、最終段階へ〉
塔の光が一斉に強くなる。
壁の糸が燃えるように輝き、無数の祈りが解かれていく。
その中に、これまで世界を巡った人々の声が混じっていた。
笑い声、泣き声、祈り、絶望――
それらが渦を巻き、やがて一つの風になって塔を包む。
「……あれが、“終わり”じゃない」ミルトが呟く。
「みんなの声が戻ってくる」
「瘴は、世界の傷跡だ。憎むべきものじゃない」ガイルが言う。
「縫い目を閉じるんじゃなく、風を通す……そうだろ?」ヴァルドが笑う。
「ええ。風はもう、祈りの道」エリナが頷いた。
リサンドラが槍を握り、最後の一撃を放つ。
「じゃあ――解こう。 世界を、もう一度“生きられる場所”に!」
光が奔り、塔の頂が割れた。
夜空が裂け、朝が差し込む。
糸がほどけ、風が塔の外へとあふれていく。
カイとミアは手を取り合い、その光の中心へと歩いた。
オルディスの声が、最後にひとつだけ残る。
――〈観測、完了。
“拍”は人の手に返された。
私は風の一部となり、もう名を持たない〉
風が塔を抜ける。
カイの胸の奥で、二つの拍が静かに重なった。
ミアが微笑む。
「ねぇ、カイ。 これからどうする?」
「……世界を見てみたい。誰も縫わなくても、生きられる世界を」
「それ、すてきだね」
彼女の言葉に、朝の光が応えた。
塔の頂で、風が彼らの髪をなでた。
まるで別れのようで、祝福のようでもあった。
オルディスの気配はもうない。
だが、風の音に混じって微かに聞こえた。
――“ありがとう”と。
世界は、今度こそ息をしている。
そして新しい鼓動が、確かに続いていく。
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