第47話 どうしようもない恋心

「ねえ、川島くん……私たち、別れよっか」


 冬休みが終わり、中学2年生最後の学期が始まった。春からはもう3年生になる。そんな1月半ばのある日曜日、久しぶりにデートした帰り道で、渡辺はそう言ったんだ。


「え……」


 覚悟をしていなかったわけじゃない。けれどいきなりすぎて、俺の頭は追いつきやしない。


「ごめんね突然。でも今日のデートを最後にしようって、私もう決めてたんだ。でもね、川島くんが悪いわけじゃないんだよ。ただ私が気づいちゃっただけだから」

「気づいたって……なにを?」

「川島くんが本当に大切にしなきゃいけない人が、誰なのかってこと。ううん、本当はね、最初からずっと知ってたのかもしれない」


 わかんねーよ。渡辺が何を言ってるのか俺にはわかんねえ。わかりたくもねぇ。


「誤解しないで。私ね、川島くんの隣りにいるの、すっごく楽しかったよ。でも、そこは『私』の席じゃなかったみたい。だから返すね」

「なんだよそれ。何言ってるのか全然わかんねーよ。じゃあ、俺の隣りは誰の席だって言うんだよ!」


 俺のその問いに渡辺は答えなかった。


「待ってくれよ、渡辺!  俺が悪かった。俺もっと、ちゃんとするから!」


「……ううん、無理だよ。だって川島くん、私と一緒にいる時も、心はいつだって全然違うところにあったでしょ?」


 なんでみんなして同じことを言うんだよ。俺が好きなのは渡辺なんだよ。他の誰でもねーよ。


「ううん、いいの。もうわかってるから。ホントに楽しかったよ。短い間だったけど、私の初めてのカレシが川島くんで、本当によかった」


 渡辺の言葉は端々に突き放すような冷たさと厳しさがあって、俺はだんだんと何も言えなくなっていったんだ。


「……ねえ川島くん、ひとつだけ、質問してもいい?」

「……なんだよ」

「もしも槇原さんがさ、キミ以外の男の子と付き合うことになったら。キミは心から『おめでとう』って笑ってあげられる?」

「……っ!?」

「……それが答えなんだよ、川島くん」

「違う!  俺は、ただ、あいつは家族みたいで……!」

「うん、知ってるよ。だから、もう終わりにしよ。そんな中途半端な気持ちのまま、私の隣りにいられる方が、私、もっと辛いから」

「渡辺……」

「川島くん。泣いてるあの子のこと、ちゃんと迎えに行ってあげてね。あの子、ずっとずっと待ってるよ?」

「違うんだ渡辺。俺が好きなのは渡辺だけなんだ。なんでここで志保の名前が出てくるのかわかんねーけど、俺は本当にあいつのことはなんとも思ってないんだよ! 信じてくれよ!」


 俺がそう食い下がると、渡辺はフッと悲しそうに笑った。


「……川島くんって、優しいよね。本当に、優しいと思う」

「え……?」

「でもね、ごめん。私、気づいちゃったんだ。キミのその優しさは、私だけに向けられたものじゃないって。だからね、私、疲れちゃったの。キミの心の中にいる『誰かさん』の影と戦うのにさ……ごめんね。私、そんなに強い女の子じゃなかったみたい」

「そんなこと……そんなことないんだよ……なんでわかってくれねえんだよ」

「付き合う前は、ただ一緒にいられるだけで楽しかった。でもカノジョになったら、欲張りになっちゃったみたい。もっと私だけを見てほしい、とか、一番に考えてほしい、とか考えるようになっちゃって……でもそんなワガママな自分がイヤになっちゃったの。このままだと、川島くんのこと嫌いになっちゃいそうで……それが怖いの」


 わからない。やっぱり俺にはわからない。わからないから諦められるわけないじゃないか。


「待ってくれよ渡辺!  俺が悪かった。俺、これからはお前のことだけを見るから……!」


 それでも俺は食い下がった。簡単に諦められるもんか。だけど、俺のそんな心の叫びを渡辺は静かに聞いていて、やがてゆっくりと首を横に振ったんだ。


「……ごめん、川島くん。もう、無理なんだ」

「なんでだよ! 俺、直すから!  だから……!」

「……出来たらこれは言わないでおきたかったんだけど……。私ね、他に好きな人ができたの」

「えっ?」


 衝撃。そうとしか言えない。時間が止まった。


「……は? ……嘘だろ……? いつから……」

「ごめん。……ずっと、言えなかったの」


 渡辺は俺と目を合わせようとしない。


「……誰だよ、それ」

「それは、言えないよ。でもね、その人のことを考えてると、私すごく安心するの。無理して笑わなくてもいいんだって、そう思えるから」


 俺はもう、何も言い返せなかった。渡辺は無理して笑っていたのかよ。そんなの……全然気づかなかったよ。


「だからね、もう終わりにしたいの。こんな気持ちのまま川島くんの隣にいるのは、もうできないから。それはキミにも、その人にも失礼だから」


 そう言うと渡辺はやっと目を合わせ、俺をまっすぐに見つめた。


 「もう一度言うね……短い間だったけど、ホントに楽しかったよ。ありがとう……バイバイ」



 川島くんを好きになってから知ったことがある。それは、人を好きになるって、とっても幸せだっていうこと。


 そして、同時にもうひとつ知ってしまったことがある。それは、人を好きになるって、とっても悲しくて辛いってこと。


 今日のデートを最後にしようって思ってたの。冬休みの間ずっと考えていて、結論がようやく出て、もう私の気持ちがブレないうちにハッキリと伝えようって。


 でも、最後にもういちどだけデートして思い出を作りたかった。大好きな人との思い出を、もうひとつだけでいいから加えたかったんだ。


 楽しい1日だった。でも、途中なんども泣きそうになっちゃった。こうして2人きりでデートすることはもうないんだなって思ったら、今までのことが全部思い出されてきちゃって……。


 あそこに行った、あんなことした、こんなこと言った、全部昨日のことみたいに思い出しちゃって……。


 別れを告げた時、川島くんは何度も何度も諦めずに食い下がってきた。自分から別れるって言ったくせに、でも嬉しかったんだ。だって、彼は本当に私の事が好きだったんだって、そう心から思えたから。


 私は彼のことをキライになったわけじゃない。むしろ今でも大好き。本音を言えば、ワガママを言っていいなら、絶対に別れたくないよ。


 でも、それはダメ。だって彼は私のことを好きだけど、でも大好きな女の子が、もうとっくに心を奪っていたんだもん。2人で長い時間をかけて築き上げた大好きに、私のただの好きが敵うわけないじゃない。


 だから今日の目的は、彼を槇原さんに返してあげること。ずっとずっと待っている彼女の元に、川島くんを戻してあげること。


 そしてそのためには、川島くんが私に少しでも心を残しちゃいけない。


 彼は私のことを大好きだと勘違いしてる。でもそれじゃあ正直な気持ちを伝えてくれた彼にも、ずっと待ち続けてくれている彼女にも失礼だよ。槇原さんが可哀相だよ。


 だから私は、彼の好意を総て完全に断ち切って別れなくちゃいけない。そうしなくちゃいけなかったの。

 

 でも川島くんは諦めなかった。だから今日たったひとつだけウソをついたの。他に好きな人が出来たから別れて欲しいって。

 

 そんなの、ウソに決まってるよ。そんな人いるわけないよ。でも、もうそう言うしか私には思いつかなかったの。


 辛かった。悲しかった。こんな想い、もう二度としたくない。

 

 川島くん、私と付き合ってくれてありがとう。


 一年にも満たなかったけど、一緒にお出かけして、いっぱいおしゃべりしたよね。いっぱい笑ったよね。カッコイイなって思ったことも、ステキだなって思ったこともいっぱいいっぱいあったよ。

 

 キミが私の初めてのカレシでよかった。本当によかったって心の底から思ってるの。ほんのちょっとの間でも、キミと恋人になれて心から幸せだったよ。

 

 でも、それも今日で終わり。明日からはただのクラスメートに戻らなきゃね。ちゃんとできるのかわからないけど、自信はないけど。

 

 ひとつだけ心残りなのは、一度でいいから私も『よしくん』って呼びたかったなってこと。


 でもダメか。その呼び方は槇原さんだけのものだもんね。

 

 川島良樹くん、大好きだよ。ありがとう。苦しい思いをさせてしまってゴメンね。

 

 川島くん。どうかもう自分の心に嘘をつかないで。そして、どうかちゃんと、いつだってキミの隣りにいる、キミにとっての本当の宝物に早く気づいてあげて。

 

 いつか、心の底から笑えるようになったキミに、また会えますように。


 ――さよなら、よしくん。

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