第31話 共謀

「市原、急に呼び出して何よ。アタシに何か用なの?」

 美咲は、少々戸惑いの色を顔に浮かべながら市原に尋ねた。

「江藤さん、ちょっと相談があるんだ」

「相談? アタシに?」

「そう。これは江藤さんが一番適任だと思ったから」

「いったい何の話? 話が見えないんだけど」

「今夜、川島を渡辺さんの部屋に行かせたくない。そのための手伝いをして欲しい」

「えっ?」

 美咲は言葉を失った。

 だがそれも無理はない。市原と良樹は自他ともに認める親友同士だ。最近こそ微妙な空気になっているものの、親友であることに変わりはないと美咲は思っていた。

 その市原が、あろうことか親友とそのカノジョを会わせたくないと言うのだ。驚くなと言う方が無理だろう。

(ふーん。市原がそんなこと言うなんてねぇ)

 だが美咲は、すぐに納得した。

(やっぱり、そういうことなのね)

 美咲は腕を組んだまま、値踏みするように市原の顔をじっと見つめた。その瞳は、昼間の親友を想う温かい色ではなく、全てを見透かすような鋭く冷たい光を宿していた。

(なるほどね。ようやく腹を括ったってわけね、この優等生も……)

 面白くなってきた、と美咲は思った。良樹と渡辺に関しては彼女も含むところが多々ある。渡辺に食って掛かったものの完敗し、良樹の横っ面を思いきりビンタした彼女だが、怒りの炎が鎮火したわけではない。

「……で? 具体的に、アタシに何をさせたいわけ?」

 美咲は腕を組んだまま、唇の端を吊り上げてそう尋ねた。それは、ビジネスパートナーの能力を値踏みするような冷徹な響きを持っていた。

 そのあまりにもあっさりとした承諾と、全てを見透かしたような瞳に、今度は市原の方が少しだけ気圧された。

「……協力、してくれるの?」

「協力じゃないわね。利害の一致よ。ようは川島にお灸を据えたいんでしょ? 目的が同じなら手を組む価値はあるもの」

 美咲は、きっぱりとそう言い放った。

「アタシもね、アイツには、はらわたが煮えくり返ってるのよ。さんざん志保を泣かせておいて、自分だけ幸せになろうなんて、そんなの神様が許したって、このアタシが許さないんだから」

 その言葉に、市原はゴクリと唾を飲んだ。

 目の前の少女が放つそれは、自分とは質が違う。美咲のどこまでも純粋で、そしてどこまでも真っ直ぐな正義の光に、市原は一瞬だが目が眩みそうになったのだ。

「……それで、計画は?」

 美咲の問いに、市原は心を落ち着かせ、静かに、そして冷徹に自らが練り上げた「計画」の全貌を語り始めた。

「川島を、江藤さんたちの部屋に監禁する」

「監禁?」

「監禁はちょっと言葉が悪いかな。じゃあ、保護だ。アイツが過ちを犯して渡辺さんの元へ行ってしまわないように、俺たちが、『親切心』で部屋に匿ってやるってのはどう?」

 市原の口から計画が明かされていく。

「まず第一に、川島は夜の8時に渡辺さんの部屋に行く約束をしてるんだ」

「あんた……なんでそんなこと知ってるのよ」

「偶然本人たちが話してるのを聞いたんだよ」

「ふーん」

 美咲は少しばかり疑わし気だったが、深く追求することはしなかった。

「俺たち男の部屋は3階、女の子たちの部屋は2階だから、逆算して川島を廊下で待ち伏せて捕まえるんだよ」

「でも、アイツはアタシが何を言っても渡辺さんのところに行こうとするんじゃない? どうやって足止めすればいいの?」

「トランプ、だよ」

「トランプ?」

「確認なんだけど、藤原くんは江藤さんたちの部屋に行くの?」

「うん。明日の予定とか話そうと思ってたし」

「ならなおさら好都合だね。川島を捕まえたら、グループの親交を深めるとか、槇原さんがやりたがってるとか、藤原くんも居るとか言って煽るんだ。それでもどうしても渋るようだったら、負けるのが怖いの? って言えばいいよ。そうすればアイツは必ずウンと言うから」

 良樹の負けず嫌いという性格を利用したトランプによる時間稼ぎ。それが市原の策だった。

「そしてもうひとつ。川島はトランプが弱いんだ」

「そうなの?」

 市原はコクリと頷いた。

「弱いから負けが多くなる。そしたら川島が負けるたびに煽るんだ。アイツは頭に血がのぼって、トランプに夢中になるよ」

「確かに……光景が目に浮かぶわ」

「もしアイツが勝って終わりにしようとしたら、勝ち逃げはズルいんじゃない? って言えばいい。川島はズルいことが嫌いだから、そう言われたら断れないよ」

「……さすが親友ね。性格を知り尽くしてるじゃない」

「消灯時間は10時。10時になったら先生が見回りを始めるから、そうなったらもう渡辺さんの部屋に行くのは不可能だから、アイツは諦めて部屋に戻るしかないんだ」

 全てを聞き終えた美咲は、しばらく黙り込んでいたが、やがてその口元に満足そうな、そしてどこか楽しげな笑みを浮かべた。

「市原……あんた、意外と性格悪いのね」

「……褒め言葉として受け取っておくよ」

「いいわ。乗ってあげる。その計画に」

 美咲は、そう言うと、市原に向かって、すっと右手を差し出した。

「交渉成立、ね。パートナーさん」

 少しだけからかうような、しかし、どこか同志を認めるような響きに市原は、ふっと口元を緩めた。そして、彼女の小さな手を力強く握り返した。

「……ああ。よろしく頼むよ」

 握りしめた手のひらは驚くほど小さくて、そして温かかった。

「じゃあ、事の顛末は明日教えてあげるから、楽しみにしていてね、首謀者さん」

 美咲はそう言って悪戯っぽく片目をつぶると、闇の中へと軽やかに消えていった。

 一人残された市原は、握りしめた右手を静かに見つめていた。その手の中に残るかすかな温かさと、これから始まる罪深い計画の重さを同時に感じながら。

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