第14話 無自覚なナイフ
部活を終え、いつものように並んで歩く良樹と市原。良樹が渡辺と付き合い始めてから、実は市原は少々複雑な心境に陥っているのだが、もちろん良樹はそんなことには全く無頓着で気づかない。
「で、どうなんだよ川島。渡辺さんとは、うまくいってんの?」
市原は、つとめて明るい声でそう尋ねた。
「おう、まあな。なんか、話してて全然飽きねえんだよな、アイツ」
なんの屈託もなく笑う良樹。その無邪気さを見せつけられるたび、市原の胸を何かがチクリ、チクリと刺すのだった。
「へえ。そんなに話が合うんだ。でも、正直、ちょっと意外だったけどね。川島って、今まであんまり女子とベタベタするタイプじゃなかっただろ?」
「そうか? うん、 まあ、たしかにそうかもな」
「……なあ、変なこと聞くけどさ。川島は渡辺さんの、どこがそんなに良かったの? 渡辺さんと槇原さんって、全然タイプ違うだろ?」
市原は、わざと志保の名前を出した。だが良樹は市原の質問の意図など全く気づかず、少し照れながら正直に答える。
「どこがって……なんだよ急に。うーん……明るいとこ、かな。俺が言うこと、何でも面白がって笑ってくれるしさ、一緒にいて単純に楽しいんだよ。それにさ」
「それに、なんだよ」
「渡辺って、なんか色々噂されてんだろ? 俺は別にそんなの気にしたことねーけど、言われた本人はイヤだろうなって思ってさ。俺、志保の時に1回それで同級生と大ゲンカしてるからさ」
「ああ、槇原さんがイジメられてたって話?」
「そうそう。志保のことバカにしやがったから俺がブチ切れたヤツな。あん時も志保がイヤな思いしてんのは薄々気づいてたんだけど、結果的にほったらかして余計アイツを傷つけちゃったじゃん。なんか渡辺がそれとダブってさ、話したことはなかったけど、1年の頃から気にはなってたんだ」
「ふーん……そうだったんだ。そんなこと一言も言ったことなかったのにね」
「まあ、気になってたってだけだしさ、別に付き合いたいとかじゃなかったし。なんつーか、ほっといていいのかな? 志保の時みたいに助けたほうがいいのかな? って思ってた、そんな感じだよ」
「で、席が隣りになって話してみたら楽しくて好きになっちゃった感じなの?」
「まあ、そんなとこかなぁ」
市原は、ふぅ、と小さくため息をついた。何も知らず、何も気づかず、ただ自分を気持ちを正直に話す良樹に、彼は最近イラつくのだった。
良樹の善意は本物だ。だが、その善意がどこから来ていて、今どこを向いているのかを本人が全く理解していない。その事実が市原を苛立たせた。
「そういえばさぁ、槇原さんが最近元気ないみたいなんだけど、何かあったのかな?」
市原は、わざとカマをかけるような質問を投げかけてみた。これでもまだ気づかないのか、とばかりに。
「えっ? 元気ないのか、あいつ?」
良樹は、心底意外だという顔をした。その反応に、市原は目の前が暗くなるような、絶望的な気持ちになった。
「……オマエ、本気で言ってるの? 家で毎日顔合わせてるだろうに」
「うーん……言われてみれば、最近あんましゃべってねえかもな。俺が渡辺と付き合い始めたから拗ねてんのかな? まったく、いつまでも子供じゃねえんだからさぁ」
――拗ねてる? 子供?
市原は、耳を疑った。目の前の親友は、志保の深い悲しみをただの子供じみた嫉妬だと、本気でそう思っているのだろうか。もう怒りを通り越して呆れるしかなかった。言葉が通じない。それとも好きな女の子と付き合ってることで浮かれまくっているのだろうか。
「……志保はさ、なんていうか、違うだろ?」
「そうかな。何がどう違うんだよ?」
「どうって……あいつは俺の家族じゃん。俺とは双子みたいなもんっていうか……恋愛とか、そういう目で一度も見たことねえし。一緒にいるのが当たり前すぎて、今さらどうこうとか考えたこともねえよ」
「双子みたいなもんかぁ……」
たしかに良樹は、事あるごとに似たようなことを口にしてきた。
「まあ、それは前からそう言ってたもんな」
そう言われて、良樹はどこか満足げに頷いた。自分の気持ちが親友に理解されたと思ったのだろうか。だが、市原の心中は凍てつくような怒りで満たされていた。
「……そうだな。オマエはずっとそうだったよな」
市原は、それだけをぽつりと呟いた。その声は今までになく冷たかった。
「ん? 今、なんか言ったか?」
「いや、何も言ってないよ」
市原は、込み上げてくる怒りを必死に押し殺した。声のトーンが、わずかに低くなる。
「当たり前、ねぇ。その『当たり前』が、どれだけ貴重なもんだったか、川島は全然わかってないんだな」
「はぁ? なんだよ市原、急に怒って。どうしたんだよ」
「別に怒ってないよ。ただ、オマエを見てると、たまにすげえムカつくだけだ」
市原は、込み上げてくる感情を必死に押し殺した。これ以上は話しても無駄だ。
「……その『当たり前』が、どれだけ貴重なものだったか、オマエには一生わかんないんだろうな」
「だから、なんだよ市原、さっきから」
「別に。ただオマエが心底羨ましいなって思っただけだよ。何も知らずにいられてさ」
市原は、痛烈な皮肉を込めて、乾いた笑みを浮かべた。
「悪い、僕、ちょっと用事思い出した。じゃあな」
「お、おい、市原!」
呼び止める良樹を無視し、市原は踵を返して駆け出した。彼の握りしめた拳は、小刻みに震えていた。
(バカヤロウ……川島、オマエは何もわかってないよ。槇原さんのことも、俺の気持ちも……何もわかっちゃいないんだ!)
市原は心の中でそう叫んだ。
一人残された良樹は、親友の突然の態度の変化にただ首を傾げることしかできず、駆け去って行くその背中が見えなくなるまで立ち尽くしていた。
「なんだよアイツ。急に用事とか。ヘンなヤツだなぁ」
最初は、ただ苛立っただけだった。だが家に帰る一人きりの道すがら、市原の最後の言葉が、良樹の頭の中で何度も反響する。
――ただオマエが心底羨ましいなって思っただけだよ。何も知らずにいられてさ。
あの時の、市原が今まで見せたことのない冷たい目。
――その『当たり前』が、どれだけ貴重なものだったか、オマエは一生わかんないんだろうな。
当たり前……? 志保が隣にいることか? 貴重……? 何も知らない……?
(なんなんだよ、わかんねーよ、市原)
わからない。市原が何を言っているのか、全くわからない。
だが良樹の胸の奥に、今まで感じたことのない何かが確かに刺さった。
(もしかしたら、俺が、おかしいのか?)
彼は今、初めて今までと何かが変わってしまったことに気づき始めた。
(何かが……おかしい?)
それは、今まで完璧だった彼の新たな日常に、初めて入った一本のヒビ割れだった。
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