第3話 親友たちと気になる女の子
「よお、川島! おはよう!」
通学路の途中で、後ろから爽やかで明るい声が聞こえた。良樹の親友、市原慎司だ。
「おはよう、槇原さん。相変わらず川島と仲良いね」
「別に仲が良いとかじゃねーし。同じ家に住んでるから仕方なく一緒に通ってるだけだし」
良樹は市原の隣に並ぶと、本当に楽しそうに話すし笑う。
(私と話している時よりも、ずっと楽しそうだなぁ)
2人は男の子同士でしか話せない、志保には分からない世界の言葉で笑い合っていた。
「で、さっき何の話してたの? なんか成績がどうとか聞こえたけど」
「ああ、それが聞いてくれよ市原。志保のヤツがさぁ、高校も一緒のとこに行こうとか言うんだぜ? 無茶だと思わねえ?」
「だって、高校も一緒だったら楽しいじゃない」
市原は、少し困ったように笑って志保を見た。
「……槇原さん、それは、さすがにレベルが高すぎるんじゃないかな」
「でも、まだ2年生の1学期だし、今から真剣に勉強すれば絶対間に合うと思うの。よしくん、頭は悪くないんだから」
「いや、普通に頭悪いと思うよ?」
「……何さりげなくバカにしてくれちゃってんの?」
「いや、別にバカにしてるわけじゃないけどさ……」
「私はね、よしくんは勉強だって、やる気になれば絶対できるようになると思うの」
必死に訴える志保に、市原は少し困ったように、しかし、諭すように言った。
「……槇原さん、ごめん。僕は川島のこと親友だと思ってるよ。だからこそ言うけど、コイツに『本気で勉強する』って言わせるのが、どれだけ難しいことか、僕が一番知ってるんだ。 無責任に『頑張れ』なんて言ったら、槇原さんが傷つくだけだよ?」
論理的で、反論のしようがない言葉。それが、かえって志保を追い詰める。
(市原くんは、いつも正しい。正しいけど……)
それでも志保は、良樹の可能性を信じている。
3人でそんな話をしていると、さらにもう1人が話に加わってきた。
「志保ぉ、おはよう。みんなも、おはよう」
そのタイミングで救いの神のように現れたのは、志保の親友、江藤美咲だった。
「おはよー」
「おはよう、美咲ちゃん」
「なんか朝から盛り上がってるみたいだけど、何の話してるの?」
「いやね、槇原さんが川島に、同じ高校に行こうって言ったらしくてさ」
「あー」
「オマエ、あーってなんだよ。朝から失礼なヤツだな」
「だって、川島と志保じゃ成績が違い過ぎて……」
「うるせえなぁ。んなことオマエに言われなくたって、わかってるっつーの」
「だから、大丈夫だよ。よしくんは、絶対やればできるよ」
「ちょっと、志保。アンタ、本気で言ってるの?」
「え……?」
「志保が本気なのは分かるけどさ、そこまでして一緒にいたい相手なの? 川島って。アンタの人生を賭けるほどの価値が、アイツにあるの?」
美咲は、志保の学力のことではなく、志保の幸せのことだけを本気で心配してくれている。良樹に振り回されて、志保が自分の可能性を潰してしまうことを彼女は許せない。
「そんなんじゃないよ!」
「だったら、いいけどさ……」
志保は唇を噛んだ。どうして誰も「良樹は頑張ればできる」って言ってくれないんだろう。
(よしくんは、絶対やればできるのに……)
彼の本当の良さを、誰も分かってくれない。
(そういえば、あの時もそうだったっけ……)
志保はふと、川島家に来て間もなかった頃にあった、小学校でのある出来事を思い出した。自分と意地悪な男の子たちの間に立ちはだかった小さな、だけどすごく大きく見えた背中。
(あの時よしくんは、自分が一方的に悪者にされているのに、先生の誤解を解こうとしている私に「オマエは黙ってろ。何も言うな」って言ったっけ)
そう言った時の不器用な優しさも、怒った顔も、志保は今も全部鮮明に覚えてる。
――みんながよしくんを誤解している中で、私だけがその本当の優しさを知っているんだ。
志保は、心配そうに自分を見つめる2人に向かって、顔を上げて言った。
「2人とも、心配してくれてありがとう。でも、大丈夫。よしくんは、私がちゃんとさせるから」
本音を言えば、志保は良樹に何か言ってほしかった。「俺、頑張るから」と、そのたった一言でもいい。
けれど彼は、困ったような顔で黙っているだけだった。その沈黙が、市原たちのどんな言葉よりも、冷たく志保の胸に突き刺さった。
志保は、もう良樹の方を見なかった。
良樹・志保・美咲のクラスは2年H組。市原慎司だけが別のクラスだ。美咲の席は廊下側の一番後ろ。志保の席は、窓際の一番前。良樹の席は真ん中の列の後ろの方で、志保の席からは少しばかり遠い。
自分の席にバッグを置きながら、志保は何気なく良樹の方に視線を送った。
(あ……)
良樹は、隣の席の渡辺一美と話していた。
(渡辺さん、少し目つきが鋭くて髪も茶髪で、制服も少し着崩していて……)
正直に言うと志保は、渡辺のことをちょっとだけ怖いなと思うこともある。
(渡辺さんって、ヘンな噂もあるんだよね……)
もちろん彼女は、そんな噂を信じてはいない。自分自身が経験していることだから、噂なんてそれだけじゃ信じない。
でも渡辺がクラスの誰かと親しく話しているところも、あまり見たことがない。
「だからさ、後で宿題写させてくれよ」
「別にいいけど、タダじゃイヤかなぁ」
「うっ……じゃあ今度、アイスおごるから」
「オッケー。決まりね」
楽しそうな会話が志保の席にまで聞こえてくる。
1年生の時も同じクラスだったのに、その頃はほとんど接点なんかなかったハズなのに、2年生でも同じクラスになって隣りの席同士になってから、2人は急に仲が良くなった。そんな気がする。
(よしくんは、今まで私以外の女の子とは、あんまり喋らなかったんだけどな……)
渡辺が、からかうように何かを言う。すると良樹が少し照れたように、はにかんで笑う。その笑顔を志保は知らない。
瑞樹とふざけ合う時の顔でもない。竜樹にからかわれた時の顔でもない。そして、自分と一緒にいる時の顔とも違う。それはまるで、男の子が本当に好きな女の子に向けるような、そんな特別な笑顔に見えてしまう。
志保の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
渡辺がケラケラと笑う。その笑い声を聞く良樹の横顔は、とっても優しい……。
胸の奥が、冷たい水に浸されたみたいに、じわじわと冷たくなっていくのがわかった。さっきまでの、登校中の楽しかった時間が、まるで嘘みたいに遠ざかっていく。
良樹が、ふと、こちらに気づいて視線を向けた。志保は慌てて目を逸らし、窓の外に広がる、何の色もない空を見つめた。
「どしたの志保。なに見てるの?」
美咲がそう声をかけた。
「また川島のこと見てたけど、気になるの?」
「えっ!? べ、別に、そういうわけじゃ……」
「あの2人、ずいぶん仲良くなったよねぇ」
どうやら美咲も同じことを思っていたらしい。
「川島って、あんまり女の子と仲良く話すイメージなかったんだけどね。志保だけが特別でさ。あの2人、案外相性良いのかな?」
何の気なしに言ったであろうその言葉。
――志保だけが特別。
――あの2人、案外相性良いのかな?
それは志保の心に、小さな小さなトゲのように刺さった。
午前中の授業は、なんだかほとんど頭に入ってこなかった。先生の声も、教科書の文字も、全部が遠い世界の出来事みたいだった。
(なんだろう。私、どうしちゃったんだろう)
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