第66話 不釣り合い
《side 無形空》
最近、ヒロコさんを見るたび、毎回ちょっと驚く。
前は少しの変化に気づくことが楽しかった。
リップを変えたり、髪留めを変えたり、そんな些細なことに気づくことができた自分が誇らしかった。
だけど、ヒロコさん髪を切ってから、顔がちゃんと見えるようになった。
メガネだけでは隠しきれない、ヒロコさんの綺麗な表情が増えた。
声のトーンも前より明るい。黒板の前で三浦さんたちに意見を言うときのテンポ、目を合わせて笑うときの間、何もかもが前より戸惑いが減っている。
教室に入って行く空気まで変わった気がする。
僕は空手の大会で優勝して、ほんの少し自信がついた。
道場で師範からお墨付きをもらった。
「次は黒帯を視野に入れよう。無形には、その資格があるよ」
言われたことが嬉しくて……けど、僕が変わったって胸を張れるほどじゃない。
背は昨日と同じ、成績も同じ、教室の席も同じ。毎日は、道場と教室の往復。
昼休みは、可能な限りベンチに行く。
ヒロコさんと過ごす時間を大切にしたい。
生姜のスープを分けてもらって、マフラーを半分こして、たぶん普通の高校生として最高に幸せな時間を過ごしている。
だけど、僕らはカップルではない。
友達以上恋人未満。
それは僕が情けない最後の一歩を踏み出せていないから。
だけど、もしも失敗して、あの時間が壊れるのも怖い。
それでも言葉にしないと消える気がして、言いかける。でも、いつも飲み込んでしまう。
ある日……職員室にプリントを取りに行った帰り、廊下の自販機の陰で男子が四人、紙コップを手にしゃべっていた。
別クラスのやつら。正直、名前は覚えてない。けど、声ははっきり聞こえた。
「庵野、最近マジで可愛くね?」
「劇のあと一気に来たよな。髪切ってからレベル上がったわ」
「でもさ、無形とよく一緒にいるじゃん?」
「それな。不釣り合いってやつじゃね? あいつ、普通に地味だろ」
「それな! 受けるよ。自分が庵野と釣り合うとか思ってんのかな?」
そっと角を曲がることをやめて別の道を選ぶ。
悪口を言われたわけじゃない。むしろ、ヒロコさんが評価されて、そこに嫉妬から怒りをぶつけても醜いだけだ。
喧嘩する気はない。けど、心臓に直接指突っ込まれたみたいな感覚になった。
手が勝手に握りこぶしになって、爪が掌に食い込む。
聞こえないふりをしているのに、耳だけは勝手に声を拾ってしまう。
「無形って、悪い奴じゃないんだけどさ」
「じゃないんだけどって評価がいちばんきついよな」
「庵野、今は誰が行っても落とせるって噂だし。バスケ部のやつが告白したらいいぞ」
「マジかよ? もう付き合ってんの?」
「さぁ、知らんけど」
彼らの言葉が、喉に刺さった。
落とせる? 誰が告白しても? バスケ部と付き合っている? 聞いていない。
いや、僕にいう必要はないことだ。
ヒロコさんにとって、僕はただの友達だから、言われなくても仕方ない。
黙って通り過ぎた。紙コップの安いコーヒーの匂いが、なぜか酸っぱく感じた。
午後の授業、まったく頭に入らなかった。
「不釣り合い」って言葉が、そして、誰かと付き合っている?
頭の裏に貼りついたまま取れない。
翌日の昼。
ベンチに向かうと、先にヒロコさんがいた。髪が風に揺れて、顔を上げたときに前髪が少し外れた。ピンを直す仕草が、もう板についている。
三大美少女にも負けないヒロインがそこにいる。
「ソラくん! 今日は豆乳スープです。あったまりますよ」
彼女が笑顔で僕にスープを差し出してくれる。
蓋を開ければ、温かな湯気が上がって、いい匂いがした。
「ありがとう」
受け取ると、手が温かくなる。
「また一ヶ月後に大会ですね? 練習が厳しいですか?」
「しんどかったよ。でも、いい感じだって、師範にしばかれた」
「ふふ」
本当は、昨日の言葉が気になって集中できなかった。
ヒロコさん笑っている。目元が柔らかい。
その瞬間、言おうかと思った。
「好きだ」と。喉の手前まで出かかったのに、息を吸いなおして飲み込んだ。
ヒロコさんには彼氏ができたのた……。今更、不釣り合いなモブな僕が何を言っても仕方ないんだ。
代わりに、僕は別のことを聞いた。
「最近、話しかけられる人、増えたでしょ」
「はい。びっくりします。でも、うれしいです。少しだけ、怖いときもありますが」
「怖い?」
「断るの、まだ上手じゃなくて。前よりは言えるようになったけど、たまに、力で押してくる人がいて」
胸の奥で、昨日の廊下の声がまた小さく鳴った。
「困ったら言って。すぐ助けるから」
「はい。でも大丈夫ですよ!」
短い返事だったけど、迷いなく返ってきたのが嬉しかった。
午後、廊下でアキラに肩を叩かれた。
「なに暗い顔してんだよ。試合前かよ」
「別に。顔は元からこうだ」
「昼、喋ってたんだろ? どうだった」
「普通に、あったかかった」
「それを普通って言えるなら、もう言えよ。告白したいって思ってるんだろ?」
アキラには、ヒロコさんへの気持ちを伝えて、相談をしている。
こいつはやっぱりいい奴だ。応援してくれている。
だけど、もう遅いんだよな。
「気になるなら、俺が出ていってやるぞ」
「なんでお前が出てくるんだよ」
「俺はお前の親友だ。出るに決まってるだろ。それに俺が桐谷さんに告白してフラれたときは慰めてくれ」
「フラれる前提かよ」
バカみたいな会話が気持ちを軽くしてくれて、助かる。アキラはいつも、要らないときに正解を投げてくる。
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