第58話 おしゃれにチャレンジ!

《side 庵野紘子》



 週末の土曜日、いよいよ日曜日にはソラくんの大会があります。


 空手の大会を見たことはありませんが、応援を頑張りたい。


 なので、私は本日を準備の日にすることにしました。


 カーテンの隙間から入ってくる光は薄いのに、胸の中だけはやたら明るい気がします。ソラくんを応援しに行く。


 カバンの中身を点検するだけで心拍数が上がるなんて、人生で初めてです。



 友達の応援! 私にとっては一大イベントです。



 机の上に、並べたもの。


 常温スポドリ(ラベルに小さく「押忍!」と書いた付箋つき)、細いテーピング、ミニタオル、ウエットティッシュ、絆創膏、カイロ二枚、予備のヘアピン、うさぎ柄のハンカチ。


 応援うちわは昨夜から作成中。「ソラくん」と大きく書いて、端に小さなうさぎステッカーを貼った。


 うさぎが「ファイト」と言っている吹き出しがちょっと曲がったけど、それも味だと思いたい。



「おはよー、紘子。準備、進んでる?」

「進んでる。……というか、気持ちが先に進んでる」

「いいじゃん、恋の加速装置だね。恋する乙女は暴走中だからね」

「何それ?」

「ふふ、いいのいいの」



 洗面所で顔を洗うと、お姉ちゃんが背中からタオルを差し出す。鏡越しに目が合う。私の目は、今日、もうひとつのチャレンジを待っている。



「いよいよ、コンタクトだね」

「……うん。メガネの私も好きでいてほしいけど、ソラくんの挑戦に私の挑戦も重ねたい」

「名言出た。よし、眼科&ショップ行くか!」



 午前。お姉ちゃんに手を引かれて、駅前のコンタクトショップへ。


 視力検査の看板の前で一度深呼吸する。


 受付表に名前を書き、説明を受け、試着スペースの小さな鏡の前へ。



「コンタクト、初めての方は瞬きが増えますが、焦らずに〜」

「は、はい」



 鏡の前で人差し指の上に載った薄いレンズ。ちいさな水の皿みたい。


 これを目に、のせる。……のせる……のせ……る……無理!!!



「紘子、がんばれ。『睡眠・水分・朝日』、呼吸もセットで!」

「朝日は今ない!」

「比喩だよ、比喩!」



 まぶたが意志を持って反乱を起こす。まばたき選手権があったら優勝できそうなくらい、まばたき。店員さんが優しくティッシュを差し出してくれる。



「目薬から練習しても大丈夫ですよ」

「……はい」



 目薬一滴。ポト。お、入った。次、レンズ。三回目、四回目、五回目。お姉ちゃんが「いけ!」と親指を立てる。六回目——ふ、ふぇぇぇ、入った……!



 世界が一枚、透明な膜を剥がしたみたいにくっきりする。


 看板の小さな文字、床の目地、店員さんの名札に書かれた花丸のシール。何より、自分の瞳が鏡でまっすぐに見える。



「紘子、キラッキラじゃん」

「……見えるよ。全部、ちゃんと見える」

「明日、ソラくんの動きも、ぜーんぶ追えるね」

「うん!」



 帰り道。風景が少し違って見えた。高架下の影、横断歩道の白、空の青の境目。私は、今日から少し違う私になれる。そう思った。


 

 午後はお姉ちゃんが予約してくれた美容室にいく。



 私は重たくて長い黒髪が顔を隠してくれていた。だけど、最近はピンで留めていたから、明日のために重たさを取り払って、ソラくんに見てもらう。



「うんうん。やっぱりいいよ! 紘子! 最高」



 一緒に美容室で過ごしていたお姉ちゃんが絶賛してくれる。


 美容師さんも。



「可愛いですね。素材がいいから良いわ!」

「うん。ありですね! 今度、モデルをお願いしたぐらいです!」



 などと褒めてくれました。



「さぁ、最後だよ。今日はいつもと違うおしゃれ会だからね」



 お姉ちゃんが明日のために服を選んでくれる。



「体育館は冷えるからね、重ね着前提で行こう。最近は秋めいてきたから。だけど、いきなり派手目はダメ。頑張りすぎない可愛いで押す。紘子は色素が綺麗だから、白・ネイビー・グレーが勝ち色にしよ」

「勝ち色……?」



 お姉ちゃんが言っていることが全くわからない。



「そう、勝つための色。じゃ、白のリブニットに、ネイビーのフレアスカート。上に、薄いグレーのロングカーデ。足元は白スニーカー。走れる応援者!」

「走らないけど、走れる応援者……いい響き」



 鏡の前で合わせてみる。動くたびにスカートが小さく波打つ。


 うさぎのキーホルダーは、白カーデにぴったりの位置へ移動させてね。髪は定番のハーフアップだけど、今日はピンを一つリボン付きに変える。


 過剰じゃないきらめきが、こそっと心を持ち上げる。



 全部、お姉ちゃんの受け売りだけど、なんだか自分が変わった気がする。



「メイクはいつもの+少し、ベースは薄く。目もとは透明マスカラだけ。アイラインは引かない、まつ毛の存在感で勝負だよ。チークは最小、コーラルをほんのり。リップは色つきバームのピンク、保湿&血色で休日はちょっとグレードアップだね」

「……お姉ちゃんの気合いがすごいよ!」

「大丈夫、詐欺らない。紘子の顔は正直に素材がいいから、明日も朝からしてあげるからね」



 お姉ちゃんの手は迷いがない。


 コンシーラーをちょこん、指でとんとん。鏡の向こうの私は、普段の私に、やさしい光を一枚重ねたみたいに見えた。


 華美じゃないのに、鏡を見るたびに口角が上がる。これが明日の私? 本当にいつもとは違うように思う



「アクセサリーはなしで行こう。でも最低限はする。手首にヘアゴム、ソラくんのテープが緩んだら、髪くくって手伝えるようにね」

「うん」



 洗面台で今夜は念入りにスキンケア。化粧水のパッティングも、乳液も、いつもより丁寧。鏡の中の自分が、明日ちゃんと応援できる顔か、誤魔化さずに確認する。


 コンタクトのケースに、新品を入れて準備完了。


 メガネも当然持って行く。逃げ道ではなく、安心の予備。二つ持っていると、前に進める。これは私のルール。



 ベッドに潜り込む前、スマホを開く。メッセージ欄に指を置く。



『明日、全力で応援します』



 おやすみなさい、ソラくん。



 今日の私はさよならします。


 はじめまして、明日の私。


 そして、待っててください、ソラくん。


 新しい私で応援します!

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