第3話 仮装を褒めたらセクハラになるのか?
「おお……」
ダンスの練習なんかにも使えるらしいレンタルスペース内である。大きな全身鏡に映っているのは、頭の先まで包帯ぐるぐる巻きのミイラ男だ。もちろん身体の方は素肌に巻き付けたわけではなく、服の上からではあるが。顔の方は目元と口を残し、頬のあたりもところどころ皮膚が露出しているのだが、そこに少々メイクを施すことにより、腐敗が進んだ死体のようになっている。髪の毛もどうせ包帯を巻くからセット不要と言われており、それはそれで楽だったので助かる。
「上手いもんだな」
女性は日常的にメイクをしているから、こういったスキルも備わっているものなのだろうか。といっても、こんな特殊メイクの技術まで自然と身につくのか?!
「昔から美術が得意だったんです。それで、学生の頃から友人にメイク担当で駆り出されることがあってですね」
「ほう……。しかし見事だ」
「これなら中身が課長だってわからないんじゃないです?」
あんまり私生活でこういうことしてるとかバレたくないですもんね? と言いながら、メイク道具をしまう。まさかそこまで読まれていたとは感服である。
「助かる」
「ふふ。きっとタキザワ氏もびっくりしますね。そろそろ行きましょうか」
ここは三時間コースで借りているらしいので、荷物を置いたまま、BAKERY・FUJIKAWAに向かうことにする。と、その前に。
「……っあ――、ううん、
「何ですか?」
俺の前を歩く魔女に声をかける。
いかにも、といった真っ黒の三角帽子に同色のマント。大きな襟付きの黒いワンピースは、スカートもタイトなデザインなのだが、膝から下が切り替えになっていて、そこからぶわっと裾が広がっている。ファッションに疎い俺にはよくわからないが、なんていうか、こう、魚みたいな。縦にした魚みたいな形のやつだ。こんな風に表現すると大層奇天烈なデザインに思えるかもしれないが、それは俺の語彙に問題があるだけである。なんていうか、品のある魔女といった風情なのである。
いやなんていうか、有り体に言うとすごく似合っているのだ。ハロウィンなんて陽キャの悪ノリ祭りと思っていたのだが、ちょっと悪くないかもと思ってしまうくらいには。
「ありがとう。ハロウィン楽しめそうだ」
「ふふ、どういたしまして、です」
「それと、君のそれ、良く似合ってるな」
「えっ」
ここまで見事なミイラ男を作り上げてくれた礼も含め、彼女の仮装についても一言述べねばなるまいと思ったのである。といっても、俺は仕事モードの時ならまだしも、プライベートではそんな気の利いた言葉は言えない。だから、せいぜいこの程度だったのだが。
えっ、と短く吐いたきり、次の言葉に詰まってしまった彼女を見て、己の失言に気付く。
しまった! もしやこれはセクハラになるのではないか?! 俺としたことが! 毎年ハラスメント講習を受けているのに、オフだからと気が抜けたか!?
「す、すまん。その、セクハラ、だよな? こういうのも。そういうつもりではなくて」
あわあわと弁明すると、百田君は目を数回ぱちぱちさせた後で、ほわ、と頬を赤らめた。つばの広い三角帽子を脱ぐと、それではたはたと顔を扇ぎ始める。
「謝らないでください、課長。謝っちゃったら、いまの言葉、なかったことになっちゃうじゃないですか」
「え?」
「せっかく嬉しかったんですから」
「え」
「褒めてくださったんですよね? 似合ってる、って」
「そ、それは、まぁ」
「課長がそういうこと言ってくださるなんてなかなかないですから」
「そりゃあいまは単なる雑談のつもりでも髪型に触れるだけでセクハラって言われる時代だし」
本当に何の深い意味もなく「あ、先週と髪型が違うな。切って来たのか」くらいの気持ちで「髪切ったのか」と声をかけただけでも、セクハラだと指摘されてしまうのである。そりゃあ、散髪した本人がその髪型を気に入っていない場合もあるだろうし、たとえ深い意味はなくとも異性からジロジロ見られることを不快に思う者もいるだろう。だから、それをセクハラとして規制するのは仕方がないと思う。それに、中にはもちろんそういう意味で声をかけている者もいるのだろうし。
ただそういう時代を生きてきた人間にとしては、あれもこれも何らかのハラスメントに該当すると言われると少々戸惑うだけで。
「それは私もわかっています。だけど、いまはプライベートですし。それに、気になる人の気を引くために頑張ったんですから、何かしらの反応は欲しいと思いません?」
まだ少し赤みの残る顔ではにかみながらそう話す。
「き、気になる人って……」
「課長はこれくらいはっきり言わないとわかりませんもんね?」
「いや、あの」
わかってないわけではないんだけどな?!
ここまであからさまなわけだから、さすがにわかってはいるんだけどな?!
だけどなんていうか、認めたくないというか、認めたらまずい気がしてるというか。だって職場の人間というか部下だぞ? 年齢差も結構ある。彼女は28。俺は36だ。アラサーの女性といったら、やはりチラつくのが結婚である。その辺も考えて交際をスタートさせなければならない。いや、妹の楓が立派に社会人になるまでは、そんな女人と交際なんて浮ついたことは……。
などと逃げているが、結局のところはただ単にその一歩を踏み出せないだけなのだ。俺は女性との交際経験が豊富なわけではないし(さすがに0ってことはないけど)、いまのところミトコンくらいしか趣味という趣味がない子ども部屋おじさんである。はっきり言ってしまうと、その辺の自信がない。失望されて振られた時に相手が社内の人間だと大変気まずいのである。
「百田君、俺は」
「良いんですよ。別に私、課長を困らせたいわけではありませんから。ただ、私が一方的に思う分には許されますよね? これまで通り、平日は部下で、週末はバトル仲間で」
「それはもちろん」
「であれば、大丈夫です。それに私、確信があるんです」
「確信?」
「最終的には課長、私を選ぶしかないだろうな、って」
「っな!?」
「だって、います? オフの課長――ミトコンウォリアさんを知った上で、ドン引かずに慕ってくる女性って」
「い――ない、かな」
「でしょう? さらに、妹の楓ちゃんとの関係も良好。います?」
「い、いません……」
「安心してください、私、そこまで結婚に焦りもありませんから。のんびりで大丈夫です」
「いやいやいやいや!」
ねぇ何の話?!
俺、何でこんなに追い詰められてんの?! あれ? 外堀埋められてる?! 俺、営業課長なんだけど?! 部下に押し負けてない?!
「そういうわけですから、ぜひともご検討ください。百田
「お、おう……」
さ、そんなことばかり話していても仕方ありません、行きましょう、とすっぱり切り替えて、彼女は俺の手を取った。
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