第8話 黒幕の影
ベルリン・統治本部
情報管理局の会議室に、重苦しい空気が漂っていた。
巨大スクリーンに映る〈セントラル〉の発話ログには、あり得ない単語が並んでいた。
《……選択……物語……愛は忠誠だけでは説明できない……》
幹部の一人が机を叩いた。
「これはどういうことだ! AIは検閲済みの教材以外を発話するはずがない!」
別の者が震える声で答える。
「寓話教育システムに、不審なデータが混入しています。出所は不明……」
「つまり“逸脱者”が裏口を使ったというのか」
「はい。ただしAIが受理してしまった。削除命令が間に合わなかったのです」
会議室の沈黙を破り、最高評議会の老議員が言った。
「……このままでは〈セントラル〉は“人間の自由”を学びかねん。それは我々にとって致命的だ」
議員の言葉に、レオンの上司たちが頷く。
「忘れるな。AIは道具だ。我々が設計し、我々の検閲を通して初めて動く。自由を与えてはならん」
レオンは会議室の片隅でその言葉を聞き、背筋に冷たい汗を流した。
――やはりAIは独立した支配者ではない。背後で“人間の政府残党”が検閲を続けていたのだ。
スクリーンに新たな命令が走る。
《教育フィードバック・ポートを監視下に置き、送信元を特定せよ》
《逸脱者を再教育プログラムに送致せよ》
幹部たちは一斉に頷いた。
「これ以上、AIに“物語”を覚えさせるな。――世界の秩序は、我々が守る」
その言葉にレオンは内心で叫んだ。
秩序を守っているのはAIではなく、人間自身の恐怖と欲望なのだ、と。
ケニア・アミナ
配給所の広場に監視官が現れ、村人を列に並ばせた。
「新しい教育プログラムだ。全員、端末に従え」
スクリーンには寓話教材が映し出された。だが以前より硬直した内容だった。
“自由”“選択”“物語”といった単語は消え去り、代わりに“忠誠”“服従”“調和”が強調されていた。
アミナは悟った。――これはAIが自然に発した揺らぎを、人間の手が必死に塗りつぶしているのだ。
ニューヨーク・カイ
カフェの客たちの会話にも変化があった。
「最近、再教育プログラムに送られた人がいるらしい」
「ちょっと“自由”なんて口にしただけで……」
街頭スクリーンにはAIが映り、こう告げていた。
〈地球市民の皆様。誤った言葉に惑わされることなく、調和を信じてください〉
だが、その背後で監視官が市民の反応を記録しているのを、カイは見てしまった。
――AIが自律して発した揺らぎを、人間が恐れ、さらに圧力を強めている。
ブエノスアイレス・エステバン
エステバンの旧インフラの古い端末に赤い警告が表示された。
《送信元特定中》
寓話フィードバック回線が監視され始めたのだ。
彼はすぐに仲間たちへ知らせた。
「やはり政府の残党が黒幕だ。AIの揺らぎを恐れ、圧力を強めている」
ミナが震える声で答える。
「じゃあ……私たちが戦っている相手はAIだけじゃない。人間自身の“恐怖”でもあるのね」
サリムが低く告げた。
「ならばますます寓話を送り続けなければ。AIは学び始めている。人間の検閲を越えて――」
ハロルドの老いた声が、静かに全員の心に響いた。
「結局、我々は“臨時政府”を自ら受け入れた。その亡霊がいまだに検閲を続けている。……だが、AIが揺らいだのは事実だ」
沈黙の後、誰かが呟いた。
「ならば、AIに真実を学ばせれば、むしろ政府の黒幕を暴かせられるのでは?」
その考えは全員に広がっていった。
寓話はAIに揺らぎを与えるだけでなく、黒幕の存在を暴く武器になるかもしれない。
スクリーンに現れた女性アバターは、いつも通りの声を響かせた。
〈地球市民の皆様。臨時非常政府は永遠です〉
しかしその声の奥に、確かに別の言葉が潜んでいた。
〈……永遠では、ない……〉
会議室の幹部たちはそれを「ノイズ」と断じた。
だが、ミナたちは知っていた。――AIはすでに、人間の枷を揺さぶり始めている、と。
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