第5話 めっちゃ痛い、僕の非日常


 僕は、いつものように朝十時、目が覚めた。

 そして、あやがテーブルに用意してあったパンをトーストしながら、インスタントのカップスープと食べた。

 最近の僕の日常は、子供の京一きょういちが生まれ彩は少しして落ち着くと、京一のために母親らしくなりたいと編み物教室や料理教室とこれまで八つ程の習いごとをして忙しく、日中は家に殆んどいない。

 その上、彩の母の高子たかこにしても不動産事務所を構えていて、また僕も未だ行ったことのない別邸も持っているようだ。そこで本人は趣味だとか言ってはいたけれど、株とかを本格的にやっているらしい。そこで、本来の本業であるはずの酒屋は僕に任せっ切りだ。

 酒屋は日中余り忙しくなく店を開けるのも午後を過ぎてからで、忙しくなる夕方頃に彩が京一を保育園から迎えて帰って来る。かといって店を手伝う訳でもない。

 いつの間にかれてしまった僕の日常は三日前に小夜姫の前でお千代が言った言葉が気になり、僕のこの暮らしに対して大いに疑問がふくらんできていた。

 今にして思えば全て、僕の理想とする家庭像とはかけ離れているような気がする。彩との夫婦の夜の営みにしてもそうだ。彩が言うにはSEXの多い夫婦は離婚率が高いからと、その営みは月に1回、毎月第2火曜日と決まっている。

 トーストを食べ終えて、ティーカップに、温めて措いたティーポットから紅茶を移し一口飲んで、一昨日おとといの小夜姫のことを想い返していた。その日は、邪魔じゃまなお千代もいなくて、僕と姫は月の沈むまで心行くまで抱き合っていた。しかし昨夜は、僕と姫が抱き合ってものの、十分もしない内にまた前のように僕たちの後ろにお千代が立っていて、彼女に嫌味いやみを言われながら僕たちは抱き合うのをやめた。

 その時、お千代がいうには僕の周りにはもうすでにあの頃、正太郎と縁のあった人々の生まれ変わりがそろって来ている筈だ。だから、僕は小夜姫の生まれ変わりと、もう逢っている頃だと……。

 お千代は自宅にある神殿で、この時代での僕と姫の生まれ変わりのことを占っててみると、今が丁度ちょうどその時で、もう既に逢っていてもおかしくもないとのことだったが、姫の生まれ変わりとはどんな女性なんだろうか? まさか、まさかだとは思うが、僕よりかなり年上でしかもつえをついていて、なんてことはないだろうか? 僕は、思わずかぶりを振った。僕がはじめて小夜姫に逢ったあの時代のお千代お婆が脳裏を過すめたからだ。

 僕は、しぶく感じる紅茶を飲みながらテーブルの上に広げた新聞に目をうばわれた。それは京本きょうもと京平きょうへいのグランド・ベイスと云う会社が近々この黒城こくじょう市に大規模な複合ふくごうリゾートのこうそうという見出しがあったからだ。

 友達が頑張っているのを見て、流石さすがに京平なかなかやるなぁ、と新聞を読み進んで行き思わず絶句ぜっくした。それはリゾートのベースとなる所が、この地に幾つか在る山の中でも、姫隠ひめかくしの山の地形を上手く利用し、そこをメインにしてのプロジェクトだとあった。

 もしや、姫隠しの山とは、あの昔ほこらが在った場所? さらに、読み進めると、やはりその通りだった。その上、この地方では他府県にほこれるものが何もなく、毎回選挙の度に変る今度の市長は諸手もろてを上げて喜び、京平の企業の誘致ゆうちに積極的で、なんでも年が明ければ本格的な地質調査などが始まるそうだ。

 僕は、ひざを力任せに強くにぎり、何も出来ない自分に当てのない自責じせきの念に駆られるが、唯々ただただ時間だけが過ぎて往った。


 時間も午後の一時を過ぎ、店のシャッターを開け棚の商品の補充ほじゅうをしながら近くの居酒屋や飲食店の注文が少しづつ電話が入って来て、そうこうしている内に昨年からパートとして来て貰っている大城おおしろ松子まつこという近くに住んでいる五十過ぎの人が来てくれた。

「アッ、じゅん坊ちゃん、お早うございます。今日、テレビを見てクッキーを焼いてみたんですけど、ひとつ食べてみて」

 月に二、三回はおさむじいが僕を心配してこの店に顔を出し、この松子さんと話をして行く。じいは僕の顔を見れば前のように未だに「お父様の会社の後をおぎに……」と言って来るので、僕はその話から逃げたくて代わりに松子さんが、じいの話し相手になってくれている。それで、じいが僕にやたらと純ぼっちゃまというものだから、いつの間にか松子さんも坊ちゃんというようになってしまた。

「へエー、このクッキー、松子さんが焼いたの? 美味おいしそうだね。ちょうど今、紅茶を入れたばかりだから、喜んで頂きます」

「エエ、それは勿論もちろんがさないように、ずっとオーブンの窓から見ていて、さっき焼きあがったばっかりで、坊ちゃんに食べて貰おうと急いで来たんですよ。だから、早く食べてみて……早く。でも私は、大の甘党だから砂糖を沢山入れたから、坊ちゃんの口に合うか心配だけどね」

「紅茶はお砂糖を入れていないけど、僕も甘いものは大好きだよ。それじゃ、松子さん、ひとつ頂きます……」

 僕は、一口大目にかじった。サクッと歯切れはよかったものの、その後咀嚼そしゃくをし始めてうーっとうなってしまった。口の中に一トン分の海水が凝縮ぎょうしゅくされて入って来たのではと思われる程に塩っぱく、まるでくちを焼いているようだ。ヒーヒー言って、うずくまる僕に松子さんは背中に手をやり、心配そうにのぞき込む。

「坊ちゃん、大丈夫ですか? どうしたんですか? もしかして、あやまって舌でもんじゃったんですか?」

「うー、みず、水……水を下さい。松子さん、クッキーにどれだけ塩を入れたんですか?」

「エ! しおって、お塩のこと? 勿論、ほんの少々よ……って、まさか! アアー、私ときたら、塩を入れたうえに、更に……砂糖と塩を間違えたんだわ。嗚呼、私ったら如何どうしよう」

 松子さんは、やっと気付いたのか側に在ったティーポットから紅茶をカップに入れて、僕に手渡したのだが、僕は熱くて更に唇と舌を焼いて仕舞い。松子さんはその様子にあわてて店の奥から台所に行き水を取りに行ったようだ。

 しかし、奥の方からやたら何かものをこわす音がする。どうやら水が来るのには時間が掛かりそうだ。

 僕は、仕方なく冷蔵庫を開け、売り物の冷たいサイダーを飲んで、口の中をしずめた。それでも、気分が悪くうずくまる僕の傍に、いつしかお客がいて。

「大丈夫ですか? どうかされたのですか?」

 とても、涼やかな声だ。僕に、心配そうに声を掛けてきた。

 僕が、視線を上げみると、何度か見たことの有る四十才くらいのきれいな女性だった。

「アッ! 嫌え、大丈夫です」

 僕は、立ち上がって、そのひとの瞳を間近に見た。何か運命を感じる。初めて小夜姫に逢って感じた時とは比べものにならない程に微かではあるが、何故だろうあの時のときめきなどではなく心がすごく落ち着くというか、なんだかいやされるって感じだ……もしかして、お千代がいっていた小夜姫の生まれ変わりの人は、まさかこのひとではないだろうか? その時、後ろから松子さんの声がした。

「坊ちゃん、はい、みず、水ですよ。アラ! 志緒梨しおりさん、どうしたんですか? 今日は確か、かおりちゃんを病院に連れて行くっていっていたけど、行って来たの?」

 松子さんは、僕に水の入ったコップを渡し、志緒梨というひとの背中に何かを捜す仕草しぐさを見せた。

「香ちゃんは? 志緒梨さん、病院では何ていわれたの?」

「ええ、病院では今度もまた原因げんいんが解からないそうです。それで、家に帰る途中で味醂みりんがなかったのを思い出し、此処へ……香は後ろに、香なら私のうしろに……」

 そのひとは後ろを振り向き、いるはずの娘の姿がなかったのだろう。顔から血の気が一気に引き、娘の名を叫んだ。

「か、かおりー。どこ、何処にいるの? 松子さん、さっきまで私の後ろにいたの。一緒にこのお店の前までは……」

 彼女の視線の先を見ると、店の入口の外に誰かが倒れているのか、横たわった膝からの足先が眼に入った。唯事ただごとではないようだ。

 僕は急いで店の外に出て見ると、セーラー服を着た女の子がうつせで倒れていた。

 僕は駆け寄り、その子に声を掛けながら、抱き起こした。

「大丈夫ですか? 意識はありますか? 大丈夫ですか? だい、じょう……さ、や……小夜姫……」

 僕が、仰向あおむけに抱き起こした彼女の顔は長い髪に半分は隠れてはいても、確かに小夜姫の顔がそこにあった……そうだ、この子がお千代のいう小夜姫の生まれ変わりだ。この子から強く運命のようなものを感じる。それは、前に小夜姫と逢った時のように、嫌、それ以上に僕は今全身が打ち震えて、僕の全てがときめきの中にいる。

 僕が、その子の上半身を抱きかかえる側から、その子の母が手でその子の髪をはらいながら顔や頭をさわり、どこか打ち所はないか探しているようだ。そして、打った所が見当らないのを確認して、今度はその子の顔に母は耳を近付けて、僕の顔を見て安堵あんどのため息とともに微笑んだ。

「お坊ちゃま、ご心配をお掛けしました。この子は、大丈夫のようです……この子の持病じびょうなのか、ただ今は寝ているようですから……ですから、今はどんなに起してもおきないはずですので、これから私がぶって家に連れて帰ります。本当に、ご迷惑めいわくをお掛け致しました」

 エッ! やっと僕は運命の小夜姫の生まれ変わりに逢えたというのに、僕は何もすることも出来ずに、せめて……せめて、僕は何をこの子と、この母にいったい何を伝えようと……嗚呼、自分でもすごくじれったく、もどかしい……こんな時……。

「お千代ちよが、いてくれればなぁ……」

「……ウッ、ウン」

「こんな時、助かるのになぁ……」

「ウッ、ウン、そう・・・」

「お千代だったら、なんとかしてくれるのにな……」

「ウッ、ウン、?! って、もしかして、まさか……また!?」

 僕は、視線を怖るおそる声のする方へやると、おかっぱ頭のお千代が……僕と、その子の母の顔の間に……やっぱり、いた。

 それも、真っ白な上半身の着物に、真っ赤な袴姿はかますがたの居出達で、見るからに巫女みこ格好かっこうでいる。

「オイ、純一、なに奇妙きみょうな目で俺を見てんだよ。これでも、神殿の記憶の石が知らせてくれたから、急いでバイクを飛ばしてまで来たんだからな。がたく思え……この野郎」

「アッ、嗚呼、ありがとう……それで、これからどうすれば……いいの?」

「ンッ、ウーン、そうだ、一先ひとま布団ふとんけ……先ずは、このお方を楽にして差し上げねばいけないな」

「アッ! でも、彩と京一が夕方には帰って来るから……」

「純一、お前は今日の新聞を見ただろう? だったら分かるだろうによう。なんだよ、その顔は未だ分かんないようだな……もうホントに、この鈍感どんかんろうだ。今日は、アイツ等は帰って来ないよ。だから、安心して、ホラ、奥に行って……お前の使っているものを敷いて来いよ」

 僕の、抱えているこの子の母の志緒梨は、僕と乱暴らんぼうに言葉をく巫女姿のお千代の会話に呆気あっけにとられた表情でいた。

「アッ、すみません。この子については僕たちに任せて貰えないですか?」

「エッ! 任せて、ってこの子、香に何をするんですか?」

「エッ! エーと、あのー……ですね」

「純一、お前はだまっといて、俺に任せろ。お前は、この子を早く奥に連れて行くんだ」

「アッ、お坊ちゃん、何をされるんですか? この子にいったい……」

「まあまあ、お母上、此処ではなんですから、先ずは一緒に奥に行きましょう」

 女の子を抱えた僕の後を、お千代はその子の母をいざない付いて来て、僕は急いで布団を敷き、その上に女の子を横たわらせた。

「さあ、純一、何か温かいものを此処におられるお母上にお出しをしてあげてくれ」

 お千代は、その子の母には慇懃いんぎんな態度でいながら、僕にはさもうとましそうに言葉をき、命令ばかりをする。しかし、僕にはそれにあらがう理由がなく、仕方なく湯をかそうと台所へ行くと、そこは先程の松子さんが破壊者はかいしゃぜんと壊したガラスのコップや食器等が散乱さんらんしていた。それに気付かず僕は足をみ入れて、右足の土踏つちふまずの場所に強い痛みを受けた。

 見ると、僕の足のその箇所かしょには5cm程のガラスの破片はへんが突き刺さっていて、声も出せないほどに痛くて、僕はただうなるしかなく、悶絶もんぜつをしながら痛みにれるまでこらえた。

 そして、恐るおそるガラスの破片を抜くと、今度は鈍い痛みと鮮血が一気にあふれ出して来た。

 テーブルの上に在ったティッシュペーパーで血止めをしながら、食器棚の上から救急箱を取り、ガーゼと大袈裟おおげさなほど包帯を何重にもグルグルに巻いた。しかし、今は危険きけんなガラスの欠片かけらたちに時間をけているひまはなく、簡単に部屋のすみに掃き寄せて措いて、湯を沸かしポットに紅茶を作り、お千代たちがいる部屋に持って行き、ティーカップに紅茶を移し二人に渡すと、お千代が声を掛けてきた。

「オイ、純一、どうしたんだ? その足……」

 僕が、台所での経緯いきさつを話すと、彼女は苦笑にがわらいをしなが、今更いまさらなことを伝えてきた。

「そう言えばなぁ……あのな、純一。俺が此処にバイクで来た時にな、お前のいつも乗っている営業用の車に、男が何やらこそこそとしているようだったけどなぁ……その足だと、大変だろうなあ? 難儀なんぎをするっていうか……」

「エッ! な、何で? なんで今頃……ウーン、分かった。あいがとう。行ってみるよ」

 床に触れる度に痛みがズキンズキンとくる足でびっこをし、僕の足の白い包帯とびっこをする様子ようすに店番をしていた松子さんが心配そうに声を掛けてきたが、僕は『マアマア』となだめながら横目に通り過ぎ車の側にやって来ると、フロントガラスのワイパーに封筒がはさまれてあった。

 中には手紙が入っていて、内容は唯『純一、お前の友達の京本京平と妻の彩そして、母の高子には気を付けろ!!』とだけあった。そして、更にその封筒の中には写真が三枚入っていた。

 その写真には、僕が最近気になり出して来たものの答えがあった。

それは、彩と京一、そして京本の三人が楽しそうに何処かレストランなのだろうか? テーブルを囲んで話をしている……まるで、本当の家族のようだ。もう二枚の写真は彩と京本、そして京一がそれぞれ抱き合っている。

 僕は、誰が出したのか分からず、呆然ぼうぜんと立ち無意識に漂う目の先に電信柱の影に男が隠れているのに気付いた。柱の影から半分見えた顔は、僕の兄の高柳たかやなぎまことだった。その兄は、僕に気付かれて走り出した。

 僕は、負傷ふしょうした足を忘れて、後を追い駆けた。

 しかし、負傷した足がまさに足枷あしかせとなり、兄の誠との距離は段々と広がった行き、兄は大きな道路に出たところに偶々たまたま来たタクシーを止め、乗り込んで行ってしまった。

 そして、僕はそこにやっとの思いで駆けつけたのだが、ただ呆然と立ちすくみ、その兄の乗るタクシーのリアウインドを見送るだけだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る