第2話 小夜姫、吾は決してその手は離さぬ



 もう朝なのか、まぶたに明りが差している。

 何だろう? 日本家屋によくある獅子ししおどしのような音がすこし離れたところからしている。

 それに、どうして眼を開けようとしても開かないのだろう。それと、身体からだが重く動かせない。かすかに指だけは動くようだ。

 此処ここは、何処どこなのだろう? 僕には感じたことのない気配というか、空気が……匂いにだって、僕には記憶にないものだが、何故なぜなごむというか、心が落ち着く。

 此処は、本当に何処だろう? オヤッ! 誰かがくるようだ。僕のいるこの部屋の外から足音が近づいて来る。

 ンッ! 引き戸? ふすま障子しょうじのようだ。っと、いうことはやはり和室? 誰か、この部屋に入って来た。たたみの上を歩き、僕の方へと来る。

 畳の上を、シュッシュッと布のようなものをり、こちらに近づいて来る。

 何だろう? とてもい匂いがする。

 アッ! 僕のひたいに手を当てた……誰だろう? とてもやわらかく、とてもやさしい温もりを感じる。

 今、れられて、僕には確信かくしんに近い想いを感じた。

 それは、大袈裟おおげさかもしれないが、僕はその人に運命のようなものを感じる。

 僕は、その人の魂に触れたのかも知れない。

 何故か、僕はその人を見てはいないのに……わかる。

 その人は、僕にとってとても大切な人だと……ンッ? また誰かが此処へ来る。

「さや様、小夜さやひめさま……小夜姫様は、此方こちらの部屋におられるのですか?」

 外の廊下ろうからしき所から、大きな声がして、僕の傍にいた人が、小さな声で返事をした。

「はい、私は此処におります……」

 その人は、声をおさえてはいるものの、とてもすずやかなそれでいてやさしさまでも感じさせる声に、僕は安堵を覚えた。

 ガラッと戸が開けられた。そして、誰かが入って来た。

「アラッ、やっぱり、此処におられたのですか? 小夜姫様」

「シッ・・・於松おまつ、声が大きいです。此方こちらには、んでるお人がおられるのです」

「アッ! もうわけ御座ございません。ですが、姫様、御母上おははうえさまが御呼びで御座います」

「母上様がですか? 分かりました。すぐぐにまいります、とお伝えしていて下さい」

「はい、その様に……姫様、御早めにお願い致します。今日も、御母上様は今日も御機嫌がうるわしくはないようで……ですから姫様、お早めに……」

「そうですか? 分かりました。於松は先に行って措いて下され」

 小夜姫と呼ばれた、その人の気配けはいが少しくもったように暗くなった。何か、姫には気を病むようなことがあるのだろうか?。

 あのわずらわしかった於松とかいう女が部屋を出て、戸を静かに閉めて遠ざかって行く。

 エッ! あ、あの人が……姫が、僕の手をにぎっている。

 どうしたんだろう? アッ! 今度は僕の胸の上に手を置いた。

 僕の心臓が、鼓動こどうが早くなっていく。どうしよう? このままだと、気が付いているのが、ばれてしまう。

 ンッ? しかし、何かちがう。このドキドキは、嫌な感じはない。それより、どちらかと言えばときめいているって感じだ。やはり、この姫、小夜姫は僕の運命の人なんだろうか?。

 嗚呼ああ、また今度は、僕の頭を、髪をでている……嗚呼、とても気持ちがいい、すごくいやされる感じだ。



 エッ! 僕は、いつの間に寝てしまったんだ。あたりは真っ暗なような感じだ。瞼には何も光りは感じない。まさか、僕は目が見えないのか?。

 どうしてなんだ? どうして、僕の目が……ンッ! 又、戸が開いた。誰かが、僕の方に近づいて来る。

 着物の絹が畳みに擦れる音が……アッ! 姫だ、あの小夜姫が来てくれたんだ。

 姫の気配がする。この匂いは、やはり姫の香りだ。かすかに吐息といきが聴こえている。姫は、何か急ぐ用があって僕のところへきたのだろうか?。

正太郎しょうたろうさま、まだ目はめずにおられるのですか?」

 エッ? 僕の名は正太郎という名じゃないのに、どうして?。

 僕は、手を動かした。それに、姫は気付いたのか。

「正太郎様、気が付いていたのですか。今、目に当てた布をお取り致しますゆえ」

 姫は、そう言い、僕の上半身を起そうとしている。

 僕の体はまだ少し重たかったけど、どうにか起せて、姫は僕の頭に巻いていた布を取った。

「正太郎様、急がずゆくるりと目をお開けなさいませ」

 僕は、ゆっくりと目を開けた。

 すると、目の前にとても若くきれいな女性が着物を着て、僕の顔をのぞき込む様に見ていた。

 これが、小夜姫の顔なんだ。すこし幼くもみえるが、とてもきれいな人だ。

「正太郎様、私めが見えるのですか? 私です……小夜です。貴方あなた様とはおさない頃、よく遊んでいただいた。小夜で御座います」

「アッ! ひ、姫、僕は、正太郎という者ではないです」

「エッ! 何故? いえ、貴方様は正太郎様です……私が、見間違えるはずはありません。も、もしや、正太郎様は頭をどこぞに打って仕舞しまい、何もかもお忘れにられたのでしょうか?」

「いいえ、僕は何処も頭を打った覚えはないし……ン? たしがけから落ちたような? でも、僕は、正太郎ではありません」

「エッ? ならば、そなたは何者なのです? 名は、ボクと申す者なのですか?」

「エッ、嫌、僕はぼく……僕の名前は高柳たかやなぎ純一じゅんいちという者です」

「高柳純一? エッ? では、正太郎様ではないのですか?」

「ええ、そうです……」

「そうですか……アッ! 為れば、高柳というからには、正太郎様がおられる高柳城とは何か由縁ゆえんがあられるのですか? もしや、正太郎様とは訳あって、表には出せぬ、が本来なら兄弟なのだとか?」

「小夜姫、申し訳ありません。僕は、正太郎とかいう人は、まったく知りません」

「いいえ、この小夜が正太郎様を見間違うことなどありませぬ。私が小さき頃に、貴方様は小夜の歳が十六になるまでには、きっと嫁としてむかえに来てくれる、と言ったではありませぬか? それに、貴方様が三日の間、とこいておられるのを、小夜はずっと傍におりました。貴方様が、正太郎様でない筈がだんじてありませぬ」

 小夜姫は目に涙をめて、僕の胸をたたきながらうったえるようにすがり付いてきた。

 姫は、泣きながらポツリポツリと話をしてくれたのだが、僕にはとても信じられない内容だった。

 それは、今のこの時代がどうやら戦国時代より少し前の時代なのらしい。それに、正太郎というのは僕とまったく同じ顔をして、彼の全てが、彼のかもし出す空気さえも、僕と同じらしい。

 そして、今、この国と正太郎の国は戦闘状態となっていて、原因げんいんは小夜姫の数年前に母となった人のことにってのことらしいのだが、くわしくは小夜姫にも裏の出来事のようなので分からないようだ。

 僕は三日前に裏の山に在るほこらの穴の中に倒れていたのを、たまたま小夜姫のしん佐吉さきちが見付けて姫のもとかつんだとのことで、三日前と云えば、この城を目指していた正太郎が原因不明の奇病きびょうで今軍を進めずに、途中とちゅうじんり、そこで床にしているという情報があるそうな……それも、あまさだかではない。

 この城にとって正太郎はてきなので、小夜姫は僕を正太郎と思い気を使ったのだろう、もしこの城の義理ぎりの母の家臣の者に見付けられれば大変なことになるからと僕に目隠めかくしをし、顔を隠していたということらしい。

 そこで、今度は僕が話すこととなったが、僕は何をどう話せばいいのか悩む。 何せ、僕には学校で、今この時代の戦国時代とかは学んで知っていて、姫の話す話は大体は飲み込めたが、未来のことなど何も知らない姫にはどう伝えていいものなのか分からない。

 僕が思いなやんでいるところへ、突然暗闇くらやみの中に声がした。

「やっと、ふたりは時の流れをえ落ち合えもうしたか……」

 声のする方へと目をやると、振り向いた姫のすぐ後ろには腰の曲がり、かなり年を取ったおばあさんが音もなくこの部屋に入ってきていて、その時、僕と姫はかなりおどろかされた。

「嗚呼、おばばではありませぬか? 驚きたもうたではありませぬか。純一殿、このお婆は大丈夫、心配は無用でございます……此方のお婆は、名をお千代ちよといい。私めの亡き母上様の側女そばめをしていた者、ご安心をなされませ」

 お婆は、姫の話を聞き、深く目を閉じうなずき、それから口を開いた。

「姫様、此方におられるお方は、今のこの世の者では御座いませぬ。じゃが、しかし、姫様には、とてもえんの深き者……されば、このお方をずはお返しにならねばなりませぬ」

「お婆、この純一殿を、どのようにしてお返しになられるのか?」

「おーおー、それなら、たったひとつだけ方法はある。簡単なことじゃ……しかし、それには時と場所があってのう、どちらひとつでもたがえてはならぬ。違えば、仕舞いじゃ。じゃが、姫様、ご安心され。このお方が来られた、というのは目的もくてきがあってのことなのじゃ。さればじゃ、そがゆえ物事ものごと収束しゅうそくために始まったのじゃ」

「お婆、その話はどういうことなのでしょうや? この小夜にも、分かりやすうに教えてはいただけぬものか」

「姫様、ワレにもむずかしゅうて話は為らんこと……さればこそ、そこにおられる、そのお方に時にさからわずに、時の流れに身をゆだねさせることが一番じゃ。その時とは、今晩こんばんじゃ。姫様、今宵こよいこのお方が前に倒れていた場所へと姫様がお連れもうせば、それで善い……忘るるな、時は今宵じゃ。今夜、其処そこに行かば、おのずと時は流れ、ことを運んでくれるのじゃ」

 お婆は、そう言うと、来た時と同様どうように足音もなく部屋を出て行って行ってしまった。

 小夜姫と残された僕は、今お婆から聞いた話を頭の中で組み立てなおし整理せいりをしてみたのだが、何もまとまらず、ただ時間だけが過ぎて行き。その間、ふたりはおたがいの顔を間近に見つめ合っていた。

 小夜姫の方は、多分たぶん、僕の顔を、お互いでなのかは知らないが、将来しょうらい一緒になろうとちかい合った。姫からすると許婚いいなずけいとしい正太郎という人のことを思っていたのだろうが……しかし、僕は不思議ふしぎと小夜姫の瞳を見ている内に、僕の記憶にはないはずの想いが芽生めばえてきて、何故かなつかしい……見たはずのない城の中にあったとても大きな柳の木の下で、姫の手を取り婚約こんやくを誓った光景こうけいが見えてきた。

 その時の姫は、だ十歳に成ろうかとする幼い頃のことだ……善いのだろうか? こんな、幼い子にこんな想いを持ってしまって……現代なら、これはもうりっぱな犯罪はんざい行為こういに思えるのだが?。

 だけど、姫の手を取り誓った言葉にうそいつわりはない。これは、本当の僕の……ン! 僕の?。

 これは、本当に僕の記憶なのだろうか? 姫は、言っていた。”私が、小さい時に、貴方様は小夜の歳が十六になるまでには、きっと嫁として迎えに来る”と……だから、僕は勝手かってにそんな光景を思いえがいてしまったのだろうか?。

 嫌、違う。そうじゃあない。僕はその時、姫に誓った時、言葉と一緒に今はき母上に頂いた大切な笛を姫に贈ったはずだ……ンッ? 母上とは誰だ? 僕の母の高柳しずかのこと? 嫌々、母も僕が小さい頃亡くなってはいるけど、僕は母からそんな笛なんてもらった記憶はないし……ウーン……!?。

 僕は、おそるおそる姫に聞いてみた。

「姫、あの笛は今何処にあるのですか?」

「エッ! 笛ですか? 正太郎様からおあずかりした笛なら、この通り、片時かたときも離さず小夜は持っております」

 姫は、そう言い。腰の帯に隠れていた笛を取り出し、僕の顔を見つめ、目をうるませた。

「もしや、貴方様はやはり……正太郎様……・なのでございましょうか?」

「エッ? ウーン、違うとは思いますが……先ずは、その笛をお貸し下さい」

 姫は、大事そうに保護していた袋からとりだし、笛を布でさするようにき、僕に手渡してくれた。

 僕は、笛を受け取り、何故か当たり前のように自然と口元に持って行き、何故か笛など吹いたことのない筈なのに、勝手にではあるが懐かしい調しらべをかなで出していた。

 僕は、目をつぶり、心のままに指が動くのにまかせた息を吹き込んだ。

 そして、僕は瞑想めいそうのままに曲を吹き終えた。

 目を開けると、姫はひざの上に手を置いてはいたが、その手は握り締め耐えるかように震えていたが、たまかねねたのか。

「正太郎様、やはり、貴方は正太郎様なのですね……」

 姫は、僕の胸の中に飛び込んでいた。

 もう、僕にはまよいはなかった。姫の目を見つめて、深くうなずいて見せた。震える姫の肩を、僕は抱きよせた。

「嗚呼、正太郎様、どんなにおいしたかったことか。やっと、私を、小夜を迎えに来てくれたのですね? 正太郎様、小夜は、小夜はどのようにすれば善いのでしょう?」

 僕は、返す言葉に悩んだ。今は未だその時ではなかったから……しかし、姫は言葉を続けた。

「嗚呼、成りませぬ。私は、病に臥している御父上様を置いては行けませぬ」

 僕は、小夜姫を抱き締めたまま見つめて、姫もそれに応えて、お互い見つめあったまま時は流れてったが、ふたりには何も答えは出せず。僕の口から出た言葉は。

「小夜殿、今は何も答えは出せぬ。為れば、先程のお婆が申しておったようにワシは時の流れのままに身をゆだねてみよう。小夜殿も一緒にな」

「は、はい、正太郎様が、そうおっしゃるのでしたら、小夜は、その通りに……小夜は、正太郎様の言い付けのままに致しとう御座います」

 抱き合ったままのふたりに、朝がやって来て、障子から朝の光は、やさしい明りで僕たちを包んでくれた。


 そして、夜となった。

 昼間は、いつ誰が来てもいいようにと僕は布で顔をおおい、この城の家臣に見つからないようにし、耳は常に外の様子をうかがった。

 流石さすがに、いくさ前の城内はあわただしく、兵士たちの声がいそがしそうに所構ところかまわず至る処から飛び交っていた。

 そのような中でも小夜姫は、太陽がまだななめに昇り切る前と陽が落ちる前の二回、御結おむすびを持って来てくれ、そのひと時を僕たちは抱き合って、お互いをはげまし合ったのだが、その都度つど、姫は直ぐまたあのさわがしい於松が呼びに来て出て行くこととなった。

 夜も大分深くなり、昼間はあんなに騒がしかった城内じょうないも今は水を張ったように静まり返り、遠くで虫の声が聞こえてくる……ンッ! 庭に誰かが潜んでいる。

 僕のいる、この部屋は夜になっても灯りは点いていないかった。僕は目隠しを取って、そっと障子に近づき、細く開け障子の外の気配をうかがった。

 僕にも、今している行為はまったく何をしているのか見当も付かなかったが、ただ自分自身の本能に任せてのことだった。

 外の気配に気を配っていたのだが、思わず僕自身何故かニヤリと笑みがこぼれる。障子を僕の顔が見えるくらいに開け、外にいる者へ顔を見せ付け、声を押し殺して呼び掛けた。

「おい、マサ……其処にるのはマサであろう。今は誰も周りにはぬようじゃ。此処へ来ては……来れぬか?」

 庭の奥の木のかげに、明らかに戸惑とまどいの気配が窺える。

 しかし、少しの間が空き呼ばれた者がけもののような速さで、この部屋の中へとすべり込むように入って来た。

 僕の目の前には、としが十五、六の男の子がいた。名を、まさすけと云い。小さい頃から正太郎の傍にいたしのびの者だ。

「と、殿、何故このような処に……そ、それに、その御頭おかしらは……ま、まげがございませんが、如何いかがなされたのでしょうか?」

「おう、それにはちょっと訳があってな。それより、これから一時ひとときの間に、この城の裏にある山へと行かねばならぬ。そが故、マサはワシの後を着いて来て、ワシの邪魔じゃまをする者はいぬか、見張みはっては貰えぬか?」

「は、はっはー、御意ぎょいに御座います……それより、殿、その御頭は?」

「やはり、気になるか? しかし、その話は後じゃ。ワシにも上手く説明がつかぬ。しかし、マサよ。そなたのそのくせなおさねばならぬのぅ」

「は、ははー、申し訳御座云いませぬ」

「おぬしは、気がゆるむとすぐ気配にあらわれる。多分、そなたの息のき方にあろうな。それは、後々のちのちあだになることゆえ、気を付けねばのう。それでは、そなたは先程の処で身を隠しておれ。ワシが動き出したらワシの後を気付かれぬよう、着いて参れ」

「はっ、如何様いかさまに……」

「ウン、では、頼んだぞ」

「御意……」

 真ノ助はそう言い、身を返して、先程の木の陰に身を移した。

 それから数分後、廊下を足音を忍ばせて小夜姫が近付いて来て、部屋へと入ってきた。

 僕たちは、言葉もなく抱き合っていたが、闇の中から不意ふいに声がした。

「もう、よかろう……そろそろじゃ、時間がまいったぞ。仕度したくをし、これより裏の山へ行かねば」

 又、あのお千代お婆だ。

「お婆、仕度とは・・・」

 お婆は答えず、代わりに小夜姫がこたえた。

「正太郎様、夕方お婆に言われた通りに、私が用意致しました。佐吉から受け取って参りました。これに、お召し替えを」

 見ると、姫の腕の上には僕が数日前に着ていった登山用の一式の服の装備そうびがあった。

 僕は、それに着替え、お婆にこれからの話を聞こうと、お婆を探したが、この部屋にはもうお婆の姿は何処にもなかった。

 仕方なく、僕は小夜姫の手を取り、部屋を出ると、向こう側の廊下にはお婆がいて、おいでおいでと手で招いていて、僕とちは其処へ近付こうとすると、何故かお婆の姿は音もなく離れて行く。必死に追って行くと、いつの間にか僕たちは城の外に出ていた。

「ワシの手助けも此処までじゃ。後はふたりで行かれるがよい。さあ、行かれよ……其処へ行けば分かることゆえ」

 僕は小夜姫の目を見ると、姫も僕の目を見てうなずき、ふたりは手を取りなおし裏山へと向かった。

 背中に気を向けると、どうやら真ノ助は着いて来ているようだ。微かにやつの気を感じる。

 空には丸い大きな月が出ていて、山へと向かう道は歩き易かったが、山が近付き、あともう少しだという所で、空に厚く真っ黒な雲がにわかに集まってきた、雲の中に稲光いなびかりが所々でうごめいている。

 僕ふたりが、急いで山の祠に着く頃には、雷が鳴り響き大粒の雨が降り出してきた。

 祠の中にいたお蔭で、僕たちはれずにすんだ。けたたましい雷の轟音ごうおんに、小夜姫は僕の胸の中に隠れている。

「姫、大丈夫か?」

「はい、小夜は正太郎様となら、どのようなことがっても平気で御座います」

「そうか? 為れば、ワシも姫を離すことはないぞ。もしも、離れたとしても、ワシは姫を絶対に捜し出し、いつまでもずっと姫の傍におるぞ」

「正太郎様、小夜はうれしゅう御座います。正太郎様、小夜を、小夜をこのまま離さずに、いつまでも抱いていて下され……約束、約束で御座います」

「おう、小夜殿、約束じゃ……姫を、いつまでも離しはせぬぞ」

 しかし、その時、目のくらむ程の光と共に雷がこの山に落ちた。刹那せつな、山はくずれ奥行きのない僕たちのいたこの穴はつぶれた。



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