夜間学校③


 

「ゆ、ゆっくり歩いてよね。暗くて見えないんだから……」


「分かってる」



 壁を伝いながら固まって移動する。僕らは互いの体の一部を掴んで、夜の闇を彷徨っていた。いくら毎日登校する学校とはいえ、やはり時間帯が異なれば異世界に見える。



「ううっ、暗いです……」



 特に静佳は暗がりが苦手なのか、椿の腕をしっかりと握っている。大丈夫と宥める椿も手の震えが酷い。呑気なのは僕に肩を回したまま歩く泰介ぐらいか。



「なーんか幽霊でも出そうだな」


「ちょ、やめてよ物騒なこと言うの!」


「よくあるじゃんかよ。ほら、ここなんて音楽室だ。誰もいないのにピアノが鳴ってたり……」


「あーもう!聞こえない聞こえない!」


「もうちょっと静かにしてくれよ……」



 手足の感覚を頼りにしながら足を進める。取り敢えず階段を下り、僕らは昇降口を目指した。普段は何気なく降りている段差さえ、今は一つ一つ確かめなくてはならない。



「このまま下るのか?」


「ああ。それが一番早い」



 昇降口は真下。おまけに土足の校内だから出るのは容易。5階から下りるのは体力がいるが、その方法が1番短いルートだった。そう目論んでいたのだが。



「……ん?」



 4階に辿り着いたところで違和感を覚えた。3階へ降りる階段が今までより一層暗い。というより黒い。嫌な予感が背筋に走る。腕を前に突き出したままゆっくりと前へ進んだ。こつんと硬い感触が手のひらに伝わる。



「まさか……っ」



 腕を振り上げた。拳に痛みが走る。何度同じことを繰り返しても、返ってくる手応えは同じ。ノックしているのと同じことだ。



「おい奏太朗、これ、もしかして……」


「ああ。防火扉が降りている」


「防火扉!?なんで!?」


「分からない。しかし、事故ではないだろう」



 そう、これは障害物だ。僕たちを容易に学校から出させないために準備されたものだろう。



「仕方ない。向こうの校舎の階段から降りよう」


「は、はい……」



 僕たちは壁を頼りに4階の廊下に出た。少し遠回りになるが、仕方ない。壁には掲示板も貼り付けられているから、異なる感触があると心臓が跳ねる。稀に画鋲も刺さっているから気が抜けない。



「あ、あのっ」



 斜め後ろで静佳が小さく主張する。



「取り付けの非常灯、使いませんか?」


「非常灯?」


「はい。この学校には停電といった災害時に利用するための懐中電灯のようなものがあるんです」


「そうなのか?」


「そうよ。あんた、一年生の時の説明聞いてなかった?」


「そんなの覚えていない……。それで、非常灯はどこにあるんだ」


「掲示板の真下あたりです」



 静佳の指示に従って手探りで掲示板を探し当てる。今度はその下にあるテーブルを伝って角に辿り着き、そこで屈んだ。暗がりの中、小さな点の明かりを視界に捉え、手を伸ばすと筒状の何かがあった。左右に揺さぶり、それを壁から取り外す。



「取れた」


「そしたら、上にボタンがついていると思います。それを押せば点灯するはずです」



 言われた通りに凹凸を探して指で押し込んだ。カチッと心地の良い音がして、目の前がクリアに光に照らされる。思わず、「おおっ」と感嘆の声が漏れた。泰介も同じ。



「すげっ」


「これで少しは楽に歩けるはずです」


「マジでナイスだな」



 静佳に感謝すると共に、学校の説明会は真面目に聞いた方が良いということを目の当たりにする。ただの懐中電灯が、今では頼もしい兵器のように思えた。



「それじゃあ行くか」



 僕たちは立ち上がり再び歩く。心に余裕が生まれたのか、みんな互いの距離が僅かに長くなった。安堵のおかげで脱出は目前に感じる。そう警戒心を緩めていた。



 歩き出して数秒、照らしていた視界にきらりと光る何かが現れた。



「……なんだ」



 訝しげながらそちらに光を当てる。下から徐々に露わになる全貌に、呼吸が苦しくなり、冷や汗が背を伝う。おそらく、目をかっ開いることだろう。



 全身を覆うスーツ。それにこびりつく赤。光の正体であろう鋭利なノコギリ。刃先にぬらりと目立つ赤い液体。顔の部分には目と口を型取った真っ黒い仮面。その奥が、にやりと笑みを浮かべた──気がした。



 「ひっ」と僕らは息を呑む。手元と足が震えた。定まらない光を当てられたまま、そいつはゆっくりと正面を僕たちに向けてきた。そして、刃物を振り上げた。



「うわああぁぁぁああっっっ!?」



 一斉に叫び声を上げた。無意識だった。僕らはそいつに背を向けて走り出す。右に曲がろうとした泰介と椿を視界に捉えた。「バカっ!」と反射的に腹の底から声を出す。



「そっちの階段は使えないだろ!」



 僕の言葉の意味を汲み取ったのか、済んでのところで左に曲がる。西側の階段は大丈夫で、僕らは3階に下りて一番近い教室に滑り込んだ。



 教卓の下に潜り込んで各々自らの口を押さえる。自分の心臓の音が煩い。他人に聞こえてしまうまでに。僅かな呼吸音さえ雑音として捉えてしまう。密着した部分から誰のか分からない熱と服の擦れが伝わる。



 廊下から音がした。靴底とタイルが擦れる音。不快感と恐怖心が煽られる。音が近く大きくなるたびに、声が喉から溢れそうで我慢するのに必死だった。



 足音と黒い影が、扉の窓に映った。



「……っ!?」



 咄嗟に顔を屈めて、息を殺す。お願いだ、通り過ぎてくれと心から願う。



 静寂が続いて数分。何も動きがない。そう思った矢先、再び廊下に音が響く。だが、それは遠ざかる音だった。やがて、恐怖の足跡は完全に聞こえなくなった。



「…………行った、のか?」



 僕たちはゆっくり体を出し、周囲を観察する。人気はない。覚悟を決めて廊下にも顔を出したが、あの影は見えなかった。



「大丈夫みたいだ」


「っぷはーっ、良かったぁ」



 息を止めていたのか、椿は小さく深呼吸を繰り返す。腰に手を当てる泰介も、表情こそ見えないがどこか安堵しているようだった。



「静佳も大丈夫か?」



 僕は最後の1人に視線を向ける。だが、返事はない。



「静佳?」



 僕は布を被せた後に懐中電灯を点灯し、3人の足元に向けた。心配の種であった静佳は震えていた。



「静佳、どうしたの?」


「あ、椿……。じ、実は眼鏡を落としちゃったみたいで……」



 振り返った彼女の顔に、確かに丸眼鏡はない。



「さっきの騒動で落としたのか?」


「た、多分。どうしよう、これじゃあ何も見えない……」


「んじゃ、俺が取りに行くか?」


「へっ?」



 意外にもここで泰介が名乗りあげる。



「えっ、な、なんで……」


「見えないの怖いだろ?ただでさえ夜の学校で、しかも変な奴がいるんだ。見えた方がいい」


「け、けど、あんな奴が彷徨いているんですよ!?下手に動いたら……」


「大丈夫だって」



 仄かな灯りの中で彼は笑みを浮かべた。言い切る姿に、静佳は「じゃあ」と提案を一つ。



「探しに行くのは私です。けど、その、付き添いという形でお願いしていいですか……?」


「おう!任しとけ」



 どんと胸を叩く泰介に喜びの笑顔を浮かべる静佳と、マジかよ言いたげな椿。僕も驚きはするが、止める気はない。多分、大丈夫だ。



「泰介」


「ん?おわっと」



 僕は彼に向かって懐中電灯を放り投げる。



「流石に暗闇は危険だ。それを使え」


「いいのかよ?お前らは?」


「ここで待ってる。すぐに、必ず戻ってこい」


「おう」

 


 どこかの漫画でありそうな展開だ。そうどうでもいいことが頭に浮かんだ。2人の背中を見送り、僕と椿は再び教卓の空洞に潜り込む。



「大丈夫かな、あの2人」

 

「信じるしかないさ」

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