第11話 忍び寄る足音……って忍べてないよね



 異変に気づいたのは、いつも通りの午後だった。


 昼食を終え、(レオナルドが)洗い物を片づけて、私は冷たいお茶を片手にソファでゆるりとくつろいでいた。レオナルドは日本語の勉強中で、木目調のローテーブルには彼のカップが置かれている。


 平穏で、穏やかで、完璧な午後だった。


 ──その時までは。


「……!」


 突然、リビングの隅に置かれた小さなスピーカーから、電子音が鳴り響いた。


 ピピッ、ピピッ、ピピピッ──規則的な、だが緊張感のある音。


 私は即座に立ち上がる。レオナルドがこちらを見るより先に、私は壁際のサイドボードへと駆け寄っていた。


 この音は、センサーアラーム。

 仕掛けた場所ごとに違うパターンの音を設定してある。


「このパターン……確か、このあたりに仕掛けたやつ」


 私はサイドボードの引き出しからタブレット端末を取り出す。指でスワイプして写真のフォルダを開くと、複数の地点に色違いのピンと、それを中心とした円を書き込んだ地図が現れる。それはこの森の全体地図──正確には、私がドローンで撮影した航空写真だ。


 この音を設定したアラームが仕掛けてあるのは。北北西、グロスマールのある方向から回り込んだ位置。


 私はレオナルドに地図を見せ、オレンジ色のピンが立つ位置を指差した。


「このへん。このセンサーが反応した。浅瀬の方だから鹿だの熊だの可能性は低いし、人かもしれない。センサーは高さで調整してるから、風や落ち葉じゃ反応しないはず」

「……これは、何だ?」

「航空写真。空から撮った、森の地図。上から撮ると、こういうふうに見えるの。ほら、ここが私たちの拠点」


 レオナルドは食い入るように画面を見つめていたが、やがて深いため息をついた。


「言葉も出ないとはこのことか。これは空の目、なのだな。まるで神の視点じゃないか……」

「まぁ、ちょっと性能のいいドローンを使ったけど」

「……俺がこの森に入った時も、これで?」

「いや、あの時はこんなにみっちりアラーム置いてなかったから、すり抜けてたよ。だからめちゃめちゃビビった。君が寝込んでる間に増やしたんだよね」


 私はタブレットをテーブルに置き、今度はアイテムボックスからケースを取り出す。中に収められているのは、翼を折りたたんだドローン本体。私はそのまま外へ出て、庭に立った。レオナルドが後をついて出てくる。


 日差しは柔らかく、風は穏やか。だがその空気の中に、うっすらと緊張の膜が張りついていた。


「ちょっとだけうるさいけど、我慢してね」


 私はドローンを地面に置き、コントローラのスイッチを入れる。小さなプロペラが起動音とともに回り始め、数秒後には、ふわりと機体が宙に浮かび上がる。

 それを追う彼の視線を横目に見ながら、私はドローンを森の上空へと飛ばしていく。


 レオナルドが持つタブレットに接続された映像には、木々の合間を縫うように進む人物の姿が映っていた。


「……言葉が出ないな」


 レオナルドは呆然と呟く。驚嘆を通り越して、ほとんど諦観のような表情だった。


「人間だね。二人組。装備は……狩人っぽい? いや、冒険者か。弓と短剣。あと、斧も……?」


 ドローンのカメラが、彼らの顔をとらえた。

 片方は三十代、もう一人は二十代くらいだろうか。顔立ちは荒くはないが、無防備ともいえない。装備はこなれていて、野営に慣れている風でもある。


「ねえレオナルドくん。ああいう人たち、この森に入ってくることってあると思う?」

「……いや。そもそもこの森にはあまり近づかないはずだ。魔力が薄く、獣も少なく狩猟に向かず、道も整備されていない。危険も少ない代わりに、得られるものも少ない。だからこそ、君がこうして自由に過ごせていた」

「だよね〜……」


 私は映像をスクリーンショットで保存しながら、画面をレオナルドに見せた。


「見て、ここ。枝を折って進んでるし、地図を確認してるっぽい動きもある。明らかに目的があって、この方向に来てるっぽい。……"どっち"だと思う?」

「さて……。だが、少なくとも"雇われた者"だろうな。見覚えはない」

「そっかぁ……」


 彼らはこの森に、何かの目的を持って入ってきている。そしてその"目的"といえば、私かレオナルドの可能性が高い。

 私は画面をズームし、彼の持つ紙のようなものを拡大しようとしたが、さすがに解像度の限界だった。


「……念のため、警戒態勢に入ろう」


 私はドローンを帰還させ、家の周囲に設置してある監視カメラの映像を確認する。

 レオナルドは肩を落として、こめかみを押さえた。


「君の“文明”には驚嘆を通り越して……もはや呆れるほかない。だが、頼もしさも覚えるよ。これだけの備えがあるなら、少なくとも丸腰ではないということだ」

「正直、私も今ちょっとだけラノベ主人公してるなって思ってる」


 レオナルドはぽかんとしてから、すぐに笑った。


「……ラノベ?」

「そっちはまだ説明しないでおくね。今は防衛戦の準備が先だし」

「逃げないのか」

「まだ迷い込んだだけっていう可能性も残ってるし、運よくこっちの痕跡を見つけられないまま帰ってくれれば万々歳だよね」


 私は言いながら、家の中へ戻る。

 森の静寂が、薄くひび割れた。






 日が傾きはじめた頃、さらにコンテナハウスに近い位置のアラームが鳴った。ので、軽く操作の練習をしてものにしてしまったレオナルドが再びドローンを飛ばす。

 今の彼は、倒れていた時に身に付けていた鎧を再び纏い、腰に剣を履いていた。


 最後に確認した時、侵入者たちは一度立ち止まって休憩している様子だったけれど、再び動き出すのは時間の問題だろうと思っていた。

 タブレットに映る映像の中で、彼らは身支度を整え、再びこちらに向かって歩き始めている。


 私は画面をじっと見つめながら、心の中で緊張を高めていく。


 このまま来れば、森の防衛ラインの第一層──くくり罠エリアに入る。

 獣用なので人間を相手にするには多少調整が必要だったが、仕掛けは単純だ。足首を輪に通して踏み込めば、バネ仕掛けが作動してロープが締まり、足を奪う。

 鉄条網より外側なので、あくまで殺傷を避けるタイプ。怪我はしても、命に別状はないように。

 森の動物たちがかからないよう獣避けの香料を塗っており、今のところ彼らが間違ってかかってしまったことはない。


 家の周りのトラバサミと違って、あまり数は置いていない。なのでこの侵入者たちがかかるかどうかは運次第。

 だが──罠の設置位置と、彼らの進行ルートはぴたりと重なった。

 そして──


「かかった」


 視界の中で、ひとりの男が足を取られ、転倒する。驚いたもう一人が慌てて駆け寄っていった。映像からして、かかったのは年少の方らしい。斧を背負った青年が、ナイフを抜いてロープを切ろうとするが──


「うーん、切れないねぇ」


 私はモニターを見ながらつぶやいた。

 くくり罠に使用されているのはステンレス製のワイヤー。滑りに強く、通常の刃物では切断できない。実験済みだ。

 案の定、青年のナイフがロープに擦れても、表面をかすめるだけだった。何度か力任せに斬りつけたが、ロープはびくともしない。


「っくそ、なんだこの縄は……!」


 音声こそ聞こえないが、怒鳴るように口を動かす青年の様子が、画面越しにもよく分かる。

 かかった方の男が足首に絡んだ輪を外そうとごそごそしているが、金具の仕組みがわかるだろうか? 落ち着いて観察すれば、そう苦労せず外せる設計のものだ。だが、彼は完全に焦っていた。警戒と恐怖が理性を圧迫し、まともな判断を阻んでいる。


「どうすると思う?」


 私はタブレットをレオナルドに渡す。彼は数秒無言で映像を見つめ、画面に映る男たちの動きを眉間にしわを寄せた。


「……撤退するだろうな。あの様子では、しばらくは何もできまい。ましてや目的地も見えないまま仲間が捕まれば、引く方が利口だ」

「そうなるといいんだけど」


 数分後──青年はため息をついてナイフを収めた。そして、木の根元にかがみ込み、何かを掘るような仕草を始めた。恐らく、ロープの仕掛けを探っているのだろう。

 結果として彼らは30分ほど現場に留まり、あれこれと試みてからようやく金具の緩め方に気付き、外すことに成功した。


「怪我してるね。足首、ひねったかも」


 罠が外れ、足を下ろした男は、そのまま地面にへたり込むように座り込んだ。すぐにもう一人の青年が手を貸し、ゆっくりと立ち上がらせる。

 男は足を引きずっている。もう一人がそれを支えながら、背中に回すようにして担いだ。こうなると、森を進むのは困難だろう。少し道を戻ってから、大きく方向を変えた。


「……退いたね」

「見事に仕留めたな」


 私は安堵の息を吐いた。背中を椅子の背に預けて身体を伸ばすと、レオナルドが静かに呟いた。肩に入り込んでいた力が、ようやく抜けていく。

  私はモニターの録画データを保存しつつ、呟く。


「まぁ、ひとまず危機は去った……と、言いたいところですが」

「……この森に人の手が入っていることは気付かれた、な」


 彼の言葉に私は頷かざるを得なかった。できれば何の情報も持たずに帰って欲しかったところだが、流石にそう都合よくはいかなかったな。


「普通の狩人ってことには……ならない?」

「魔力の濃い森で狩りができるほどの技量がないものが、不毛の森を狩場にする例はある。……が、あの罠は魔獣相手にも通用するだろう。説得力はないな」

「あら〜……」


 私はわざとらしく肩をすくめてみせたが、実際には胃の奥が少し冷えていた。

 軽く首を傾げ、視線を天井に向ける。


「また近いうちに来るかな?」

「おそらく。……この森を出て、別の場所に移住するか?」

「う〜ん、まだ実害もないのにわざわざ引越ししてやるのも不服だなぁ……。ここから移動ってなったらどうしてもグロスマールからは離れることになるし」


 レオナルドの問いかけに、私は少しだけ考え込む。冷静な判断が求められる場面だ。

 だが、それでも私は、簡単には頷けなかった。


 ここを放棄するのは簡単だ。けれど、コンテナハウスの設置、生活環境の整備、何より納品の手間と生活の安定──それらを再構築するのは手間だし、気が進まない。


 静寂が戻った森の中で、私は再びソファに戻り、冷めたお茶をひと口飲んだ。


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