④屋上(5/8)
( 三 )
時刻は七時十八分。約束通り早めに登校したはいいものの、学校はまだだれもいない時間だった。待ち合わせの時間まであとわずか。英莉に学校に着いたことをSNSで報告しながら、麻耶は駆け足で校内に入る。
(あ、きのう図書室で、春坂くんと連絡先交換すればよかったかも⋯⋯)
絶好のタイミングを逃したことに気づいて落ち込んだ。しかもきのうは彼の前で泣いてしまった。きょう、きちんと謝らないと────
「知らない? 花井さんの手紙」
声が聞こえて、麻耶の足が止まる。
階段に見覚えのある人影を見つけた。紺青の髪の男子と、もうひとりはショートカットの女子────春坂と優香が話しているらしい。二人の手にはかばんがあり、登校したばかりなのだとわかった。邪魔にならないよう、足音を潜めて身を隠した。自分の名前を出されては、このまま聞かないフリをするなんてできなかった。
「⋯⋯し、知らないけど⋯⋯⋯⋯」
答えたのは、優香の戸惑う声。
「ほんとに? 花井さん、椎葉さんに預けたって言ってたよ」
「ほ、ほんとうに知らないの。預かったのは本当。渡そうと思って机に入れてたら、いつの間にかなくなってたから⋯⋯てっきり麻耶ちゃんが持っていっちゃったのかなって思ってて⋯⋯」
何を言っているんだ、このひとは。今にも会話に割り込んで問い詰めたくなる体を、かばんを抱きしめて抑えた。かばんには以前優香から貰ったマスコットキーホルダーがあって、かわりにそれを握りつぶした。ぐにゃりと曲がったマスコットに麻耶の涙がひとつ落ちる。
「じゃあ、花井さんに確認してもいい? 渡したところ見たって言ってたから」
「その⋯⋯私が渡したっていうのも麻耶ちゃんの勘違いなの。私は、私が書いた分を渡しただけで⋯⋯。でも、同じ封筒だったし⋯⋯勘違いしたのもしかたなくて⋯⋯でも、嬉しそうな麻耶ちゃんを見てたら、なんだか言いづらくて⋯⋯。と、とにかく、そういうことなの⋯⋯」
「花井さんに言わなくていいの?」
「どうして?」
「預かった物をなくしたってことだよね?」
「⋯⋯⋯そ、それよりも、きのうのことで私、話が⋯⋯」
「優香!」
がまんならなくなって、気づいたら麻耶は二人の前に飛び出していた。
優香はびくりと肩を震わせる。
「優香、なくしたって何? どういうこと?」
春坂は二人の女子に挟まれてもとくに気にするそぶりもなく、ひとり階段をのぼっていく。このまま二年の教室に行くのだろう。そんな彼に続き、優香も逃げるように階段を駆け上がっていく。
人の気配がなくなった階段で、脳裏に残る二人の残像が麻耶の心をざわざわと掻き荒らした。
「遅い!」
指定された空き教室に行くと、入室するなり英莉からスパンと叩かれた。ごめん、と謝りながら室内を見ると、窓際に見知らぬ男子生徒がいた。学年で色違いの上靴は、上級生のものだ。
「この人、前に麻耶が音楽室で見たっていう先輩。春坂のことは知らないらしいけど、去年解決部にいたらしくて」
英莉が勝手に協力を頼んだんだろう。いつの間に探していたのか、彼女はあいかわらず強引だなと麻耶は苦笑いする。
麻耶の入室に気づいた彼は、ちょうど読んでいた教本をかばんに戻して麻耶のもとに近づいた。
目があった。まるで爽やかな青天、あるいは日光が煌めく水面をそのまま瞳に宿したような瞳。顔にわずかな緊張と動揺が見えたがそれも一瞬のことで、穏やかな笑みを向ける。純粋に会えて嬉しいというような、晴れやかな顔。
「花井麻耶さん、でしょうか。はじめまして。高等部三年の、
そう言って彼は、まるで怯える幼子と目をあわせるように、あるいは騎士が主君にそうするように片膝を床におろした。緊張して俯いていた麻耶は、彼の瞳が重なってつい目をそらす。誠実。忠義。それらを体現したような物腰やわらかな姿勢に、まるで彼のなかに広い大自然が見えるようだった。とても育ちが良さそうな雰囲気。
「も、もし嫌だったら断ってくださいね。男相手だと、もしかしたら話しづらいでしょうし⋯⋯」
彼の声がすこし震えていた。緊張を隠しきれていないところに、麻耶はすこし親近感がわく。彼ならきっと大丈夫そうという安心感が、窓辺からのぞくかすかな陽だまりのようにあたたかく胸の内にひろがった。そんなささやかなぬくもりを受けとったせいだろうか。さっきのできごとを思い出して、目の奥にたまっていたものが一気に流れ落ちた。突然泣き出した麻耶に、新原も英莉もぎょっと目を見開いた。
「あーあ、先輩が麻耶のこと泣かした」
「えっ、ちょ、ちょっと待って! こ、これ僕のせいなんですか⁉ うわわっ、ご、ごめんなさい! なんかよくわからないんですけど、ごめんなさい!」
「じゃあ、その犯人は、椎葉優香さんでほぼ間違いない、と?」
まだ嗚咽の残る声で、途切れ途切れに経緯を話した麻耶は無言で頷く。異性に恋愛トラブルを話すのは緊張したが、新原は戸惑いながらも名前や矢印を書きながらメモをとっていた。
「あんなこと言うなんて思わなかった⋯⋯! だって⋯⋯春坂くんに渡してたんだって思ってたのに⋯⋯」
「なくしたんだったら持ち主に言うのが普通でしょ⁉ っつーか捨てたのも絶対優香じゃん! まじで何なの。信じらんない。先輩、もうこれ殴っていいよね⁉」
上級生の前なのに英莉はいつも以上に怒りを爆発させて、だれもいない空間に向け見よう見まねのジャブを打ちこんだ。ひとたび合図を出せば、突風みたいな速度で飛び出していきそうだった。
「そ、そうですね⋯⋯。とりあえず、一旦落ち着いていただいて⋯⋯」
「よし。じゃあ、ちょっといってくる」
まだ何も話はまとまっていないのに、ひと通りウォーミングアップを終えた英莉が廊下に出ようとするので、新原は「ちょ、ちょっと待ってください!」とドアの前に立ちふさがった。
「はぁ? 邪魔なんだけど」
英莉のひと睨みに新原は「ひぃっ⁉」と小動物のように悲鳴をあげて、両手で頭を守りながら小さくなった。そんな姿を見て、麻耶は彼に親近感がわいた理由がわかった気がした。
「ぼ、暴力はだめです。いくらご友人のことでも、女性が暴力だなんて⋯⋯! お、お願いします。あぶないのでやめてください。ぼ、暴力は、ほんとうに⋯⋯だめで⋯⋯⋯⋯あの⋯⋯ぼ、暴力⋯⋯暴力、は⋯⋯えーと⋯⋯あ、あの⋯⋯⋯ぼ、暴力って⋯⋯⋯い、いけないこと、ですよね⋯⋯⋯?」
解決部にも武芸、霊力といったさまざまな学識に長けた部員がいて、力技で依頼を解決した事例がある。身に覚えがある新原も最後は自信をなくして、どこともわからない方角へ諦めたような視線を投げた。何この先輩、と英莉はよくわからない顔で目をまたたかせる。
「麻耶、どうする? 私、優香のこと許せない」
「⋯⋯⋯わ、わかんない。でも、友達のこと疑ったり喧嘩したくない⋯⋯」
「わかりました。こういう相談は、もしかしたら、解決部より学生裁判委員会がいいかもしれません⋯⋯。花井さんがよければ手続きしませんか? 当事者が話し合って解決する道もあるかもしれませんし⋯⋯」
麻耶はパッと顔をあげる。学生裁判委員会については、噂を耳にしたことがあった。生徒同士のトラブルを解決する学園非公認の組織。ずっと裁判長の前で経緯を話さなければならないと思っていたから、そんな方法があるなんて思ってもみなかった。
「できるんですか? 話し合い⋯⋯」
「確認してみないとわかりませんけど、できないとは聞いたことないので」
「なにが話し合えだよ! そんななかよしこよしみたいなことしたくないし、やってたまるか!」
「でも花井さんは、喧嘩したくない、疑いたくないと望んでいますし⋯⋯」
闘志が揺らぐ瞳と、暗い陰を宿した碧眼が交差する。ふたりが睨み合っていると、窓の外から挨拶をかわす女子の声が聞こえてきた。生徒が校内に入り始めたようだ。新原が壁にあった時計を一瞥すると、二人と話し始めてから十五分ほどがたっている。残り時間が少ないことを察した麻耶は、目尻に残る涙を拭いて英莉と向き合う。
「ごめんね。いつもえりちゃんは話を聞いてくれてたのにこんなこと言って⋯⋯。でも私、えりちゃんや優香に喧嘩してほしくないし、優香とちゃんと話したい。どうしてあんなことを言ったのか、ちゃんと聞きたい」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯わかった」
英莉は納得いかない様子だったが、首をかいて頷いた。
「じゃあ昼食のあと、学生裁判委員会のところにいきましょう。念のため僕も同席します」
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