うさぎ小屋の神様
春日七草
前編
かつて通っていた小学校が廃校になると聞いたのは、私が社会人になって五年目の春のことだった。
小中学時代の同級生から、急にLINEグループへの招待が来たと思ったら、それがその廃校の知らせを機に最後にみんなで学校に集まりませんか、というものだったのだ。
当時一学年五十人もいない学校で、毎年のように学級委員をやっておりクラスでも目立ついわゆる人気者だった塚沢くんが立ち上げたグループらしい。私に呼びかけがかかったのは十三人目くらいで、その後もぱらぱらと招待人数が増え、一クラス二十五人だった当時の六年二組のメンバーはあっというまに二十二人ほど集まった。
Ayaka Suda――それにしても、廃校になるなんてね…
森田――まあ、生徒数ぐんぐん減ってたみたいだしな
滝沢――それにあれじゃない?学校西の道路。去年事故に遭って亡くなった子がいたらしいじゃない。もともと見通しが悪いだの、暗いだの言われてた道だったしさ。
塚沢直也――俺は地元だから覚えてるけど、たしかに相当問題になってたね、あの事故。子どもが亡くなってるんだから当たり前だけど。
井上――それがなくても老朽化すごかったしな。ちょっと前に震災もあったし、やめるか建て直すかってところだったんだろうね。
大谷――それにしてもよく通ったね、学校に集まっての同窓会なんて。学校普段閉まってるんでしょ?
塚沢直也――今の校長先生に頼んでみたら、あっさりOKしてくれたんだよ、もう生徒は使っていないけど今年いっぱいは学校は開いているから、ってさ
Akira.H――時期はどうする?県外のやつらが帰って来やすいのはお盆か年末年始かねー
塚沢直也――年末年始はなんか、先生たちが使うらしいよ
斉藤(大森)明子――わたし八月十四日からなら帰れるよ!
大谷――俺は八月十七日までならいける
……といったやり取りが続き、最終的に、一番人が集まりそうな、八月十六日の夕方に日取りが決まった。私もその頃ならお盆で帰省している予定なので、異論はなかった。五人ほど来られないという人もいたがまあ、それぞれ外国住まいだったり出産を控えていたり、あとはそう、あまりそういう集まりを好まなそうな、教室のすみにいつも一人でいたような地味な子だったりしたので、特にもめることもなかった。
いつも一人でいたような地味な子――
たっくんは誘ってみた?
聞こうとしてやめた。見る限りグループ内に彼らしき名前はなかったし、そういえば彼は最後の方はほとんど学校に来ていなかった気がする。卒業式にもいたかどうか、いまいち記憶がない。六年の時に委員会が一緒だったというだけで、特別私が仲良かったわけでもない。そのまま誰も彼のことを話題にすることはなく、じゃあ近くなったらまたこのグループに確認の連絡送りまーす、という塚沢くんのメッセージを最後に、みんなが幹事ありがとうとかお疲れ様とか楽しみだねとか締めの挨拶みたいなものを送り出したところで、私もありがとうございます!と犬がお辞儀しているスタンプを送って画面を消した。
*
その日は朝から暑かった。熱中症アラートが出たとかなんとか、スマホのニュースで流れていた。夕方になって少しはマシになっていたけど、まだまだアスファルトから熱を持った湿っぽい空気がたちのぼり、車から降りて早々、憂鬱な気分になる。バッグから折りたたみ日傘を出して広げる。
小学生の頃はどうだったっけな。たしかに夏は暑かったけど、ここまでは暑くなかったはずだ。夏休みは朝早くに公園に行ってラジオ体操をしてスタンプをもらい、学校のプールで泳ぎ、濡れた体に日差しと熱風を浴びながら、友達としゃべりながら家へと帰り。朝の涼しい時間に宿題をしましょうとか、宿題は計画的に進めましょうとか言われはするし、ドリルだけは七月中に済ませるものの、作文や絵日記、漢字練習などはついつい溜めて、八月も終わりに差し掛かってから慌ててやるような、私はそういうタイプの子どもだった。
今の子どもたちは、夏休みに学校のプールで泳がないらしい。そもそも真夏のプールで熱中症が相次ぎ、プールの授業自体が減っているのだそうだ。子育て中の上司が嘆いていたのを思い出す。だから子どもにはスイミングを習わせたいけど、本人はてんで興味がないし、お金はかかるし、送迎の問題もあるし、とかなんとか。アラサーにもなって彼氏の一人もおらず特に結婚願望もない私には縁のない話だが。
「あっ、メー子!」
私を見つけて手を振っているのは先日私をグループLINEに招待してくれた小野寺舞だ。芽衣子だからメー子――十年以上呼ばれていない下の名前で呼ばれるのは懐かしくどこか気恥ずかしいような、くすぐったいような感じがする。
「舞、久しぶり」
「久しぶりだねー!あーでもLINEで繋がってたからそんな久しぶりって感じもないか。でもやっぱり久しぶりだねー!」
最後に会った大学生の頃と比べて、だいぶふくよかになり化粧も濃くなった友人は、昔のように屈託なく笑う。
「舞、お子さんは今日は?」
「じぃじとばぁばに見てもらってるよー、まだ小さいし、ほらもしこの後飲もうとかなったら、私帰りたくないもん」
舞は五年前に地元の大学を卒業してすぐに隣県から来ていた大学時代の同級生と結婚し、二人の子どもを授かり、二年前に離婚したと聞いている。理由はなんだったか、元夫さんが子育てに参加してくれないとか、舞がパートに出るのを嫌がるとか、まあ要するに性格の不一致ってやつだ。元夫さんは離婚後早々に県外に逃亡して行ったそうだ。舞の家は地元でもそこそこ大きい老舗の商店でご両親も地元に顔が効くし、さすがに居づらかったのだろう。養育費は振り込んでくれているが向こうが会いに来る気もこちらが会わせる気もない、子どもたちは小さかったからもう忘れてるし――二年前、離婚秒読みの頃に会った舞が酒をあおりながら語っていた姿を思い出す。あの頃に比べるとだいぶ幸せそうに見える。
「メー子は仕事は?今も東京で事務やってるの?」
「あ、前いたとこは辞め――転職したんだ。ペットホテルって知ってる?」
「知ってるよー!こんな田舎にはないけどね。さっすがメー子、生き物好きだよねー」
「そういうわけでもないけどね」
「そういうわけあるでしょ、ありまくりでしょ。小学校ではずっと飼育委員やってたもんね」
「ずっとじゃないよ」
私はハハハと笑う。ペットホテルといったって私は事務だしそこまでペットのお世話に関わるわけではない。飼育委員も六年生の夏までで辞め、最後の半年は掲示委員をやってたし、中学生になってからは特別生き物には関わっていない。自分には生き物を責任を持って世話するのはどうやら向いてないようだ、とうっすら思っている。それでもなぜか、転職の時にはぼんやりと、どうせなら人間より動物を接待したいな――と思ったのだ。前職で散々クレーマーに絡まれたり上司のセクハラに辟易したというのもあるが。
「今は学校で飼育委員、ないらしいよ。うさぎとか亀とかニワトリとか、飼ってないんだって。子どもに世話をさせる劣悪な環境で動物を飼うのは動物虐待だってことらしいよ。うちは猫飼ってるからいいけどね」
「へぇ、じゃあもうあのうさぎ小屋もないのかな」
私がなんとはなしに呟くと、
「いや、空っぽの小屋はあるらしいけど――あっ、リコー!」
舞は別の友人を見つけて手を振り、わたしもそちらに注意を向け、この話はおしまいになった。
18時も過ぎ、一通りの元クラスメイトと挨拶や雑談、近況報告をし終わって、舞は中学時代の部活のメンバーと盛り上がっているし、することがなくなった私はなんとなく校庭に出た。校舎内にいてもクーラーのひとつあるわけでもなし、夕日で西の空は橙色に染まり、外の暑さもだいぶマシにはなっている。
外でも雑談をしている元クラスメイトがそこかしこにいる。そこを抜けて私の足は自然と、西の端の、うさぎ小屋に向いていた。
記憶よりずっと小さな校庭、狭いトラック。ならされた砂地に小粒の砂利が敷き詰められている。低いジャングルジムを左手に眺めながら、地面に少し大粒の石が混ざり始める頃、古ぼけたトタンの屋根にくすんだ緑の金網張りの小さな小屋が見えてくる。記憶通り、いや記憶よりはだいぶ小さいが、うさぎ小屋と鶏小屋が、隣接して並んでいるのだ。
そのうさぎ小屋の前には先客がいた。
記憶よりずっと背が高く、記憶よりずっと短く刈り揃えられた髪。いつもどこか丸まっていた背中はすっと伸び、昔はかけていなかった黒縁眼鏡をかけている。それでも、
「たっくん……?」
私の呼びかけに、彼はこちらを振り向いて、
「ああ、
あの頃は聞いたことのなかった声で、私の名前を呼んだ。
たっくんと私は、五年生から一緒のクラスになり、一緒に飼育委員をやっていた。
思い出せる接点といえばそのくらいだ。あの頃のたっくんはたしかクラスで一番小さくて、痩せていた。前髪を長く伸ばしていたので、あまり表情が見えなかった。そして――しゃべらない子どもだった。
学校では、しゃべらない。授業中先生に当てられてもしゃべらない。噂では、家では普通にしゃべるらしく、外食で見かけたというクラスメイトが「なんか普通にしゃべっててびっくりした、違うやつかと思った」と興奮気味に話していたのを覚えている。
今でいうと、こういうのを場面
けれど、当時は恥ずかしがっているのかわがままなのか、授業中当てられて答えることをサボっているのか、子どもの私たちから見ては、わかりはしなかった。五年の担任の先生はたっくんにだけ、音読などは当てず、一方で前に出て来て黒板に書かせるなどの機会を積極的に与えた。それを
先生からたっくんのうなずきや身振りが見えやすいように、いつも机は一番前の窓際だった。そこで休み時間は黙って本を読んでいた。大抵は表紙にイラストがない、分厚そうな難しそうな本だった。
そんなたっくんは、なぜか図書委員ではなく、飼育委員になった。委員会がはじまる四年生の頃からずっと毎回飼育委員をやっていたらしい。わたしは四年生の時は美化委員や保健委員をやっていて、五年生で初めて飼育委員になったので、知らなかったのだけれど。
「動物、好きなの?」
答えを期待して尋ねたわけではなかったが、わたしの問いにたっくんは、珍しくにっこりと笑ってうなずいた。
飼育委員の仕事は、基本的には週に一度、うさぎ小屋と鶏小屋の掃除をしてエサを替えることだった。月曜は四年一組、火曜は四年二組。水曜は五年一組、木曜は五年二組。金曜は六年一組、土曜は六年二組。水曜に一緒に仕事をするうちに、私はだいぶたっくんのことを見直すことになった。たっくんはいつも、わたしより先にうさぎ小屋に着いて、入り口周辺をホウキではいたり、古い餌をビニール袋に捨てたりしている。そうして私を見つけると、出しておいてくれたらしいホウキを渡してくれたり、新しいエサを手に取って、一緒に皿に入れたりする。
そんな仕事をしている時のたっくんはいつも、どことなくうれしそうで、ああ、この子は人と話すより動物と触れ合っている方が好きなのかもしれないな、とだんだん私は思うようになった。動物の世話が好きで、動物の扱いが丁寧で優しい。それがこの地味なクラスメイトの美点なのだと感じ、そんなみんなの知らない彼の一面(正確には四年の時の飼育委員のペアの子は知っているかもしれないが)を自分だけが知っていることに密かに優越感を感じていた。
そして私はついぞ、在学中に、彼の声を聞くことはなかった。
「濱野さん、久しぶり。浅野です」
低い大人の男の人の声で、彼は言う。たっくんの本名は浅野達之といったのだったと、私はようやく思い出す。いや、浅野達明だったかな?
「久しぶり。たっくん――大きくなったね」
私は思わず間抜けなことを言ってしまう。たっくんは、今は短い前髪の下よく見える笑顔で、
「そうだね、高校生になってから急に伸びたんだ。あと――」
一瞬の間をおいて、
「中学生になってから、普通にしゃべれるようになったんだ」
私が聞こうか聞くまいか迷って、あえて避けた質問の答えを教えてくれた。
「そう――なんだ」
よかったね、と言ってよいものか躊躇する。昔の彼は特段困っていないように見えたから。それに――
「そう、今は普通に仕事してる。不思議な感じだね」
彼は朗らかに言う。明るい声の調子が、今まさに沈んでいく夕日の光景に何となくそぐわない気がして、私は思わず彼の顔を見るけれど、その短髪に精悍な顔立ちに面影があるのかどうなのか、昔のたっくんの顔が思い出せない。
「仕事――って、どんな」
「えーと、薬の研究とか営業とか。MRって言ってわかるかな?」
聞き慣れない言葉だったけど、一般的には多分立派な職業なんだろう。
「すごいね」
「別にすごくはないよ」
彼はまたくすくすと笑う。今日は本当によく笑う。昔動物たちに向けていた笑顔がこんな感じだったか、一生懸命記憶を探るがどうしても思い出せない。
ああ。彼は普通の――
普通の人になってしまったんだなあ。
「でも、よかった、今日ここに来て」
たっくんは不意に私の目を見返す。
「濱野さんに会えて」
「――えっ」
聞き返す間もなく、たっくんはくるっと私に背を向けて、
「濱野さんに見てほしいものがあったんだ」
声色は明るいまま、ゆっくりと歩き出す。
私はなんとなく何も言えなくなって、ゆっくり後に続いた。
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