第42話

『速報です。本日午後三時ごろ、○○県△△市の繁華街で、市民が突然“変異”する事案が発生しました。

 現場の映像は放送できません。ここからは専門家監修による再現CGをご覧ください』


 テレビからアナウンサーの声が響いた。


 モニターには透過の人体モデル。


《段階1:前駆》

肺のあたりに黒い粒子が浮かび、もやのように広がる。

テロップ《体内に異常な粒子が発生》


《段階2:侵入》

黒い線が血管や筋膜に沿って走り、赤い血管を上書きしていく。

テロップ《粒子が組織を侵食》


《段階3:一次形態》

顔や四肢が黒く染まり、シルエットが異形に変わっていく。

赤い警告マークと《危険領域》の字幕が点滅。

 

 血肉の描写は排され、矢印と注釈が教育番組のように手順だけを示した。


『国内で初めて確認されたこの現象について、政府は先ほど“ベクター化”という名称で公式に発表しました。

 現場から二キロ圏内には避難指示が出ています。赤い範囲が対象です』


 赤く塗られた地図が切り替わる。スタジオの重い空気が、リビングにまで伝わってきた。


「ダンジョンのモンスターとかじゃなくて……人間が……モンスターに変わっちゃうの……? お兄ちゃん……」

 美月がうまく飲み込めないように声を出す。

 膝の上には、スライム。いつの間にかあれに随分懐いていて、今はしがみつくように抱きしめている。


「大丈夫だ。まずは、ニュースを聞こう」

 俺は短くそう答えた。正確な情報が要る。

「うん……」


 その後も、ニュースはほぼ同じような内容を繰り返す。


 美月は、「スライムは悪さしないのに……」と呟いた。美月にとって身近なモンスターはスライムだから、理解できないのだろう。腕の中にぎゅっと抱きしめ、柔らかい感触に縋るようにしている。


 テレビのテロップには「政府、午後九時から会見」と流れている。

 俺は画面を睨みながら思った。――人が怪物になる。それを国が“ベクター化”と呼んだ。もう、ただの異常現象じゃない。


 テオドールは小さく首を傾げた。

「……大理さん。美月さんがベクター化しないように、処置しておきますが?」


「……え、できるのか?」

「はい。除菌するように、余分なアウターゴッズ由来の因子を取り除けばいいだけです。大理さんがよく使われているファブリースのようなものですね。大理さんにはすでに施しています」


「お、おい……」

 いつの間にそんな処置を。

 ニュースの緊張に、家庭用の除菌比喩が混ざったせいで、かえって現実感が足を滑らせた。

 除菌スプレーの比喩についていけない俺の横で、スライムを抱きしめたまま、美月が目を輝かせた。

「テオドールくん、そういうのもできるんだ……!」

「ええ。僕は器用なので」

「すごーい!」


 ……それでいいのか、美月。

 なぜか美月は、当然のようにテオドールを信じ切っていた。

 思わず眉をひそめた俺の横で、美月がぱっと顔を上げる。

「うん。だってテオドールくん、初対面で突然部屋からパッと消えたりしてたじゃん。なんでもありだよ!」

「……そ、そうか……」


「あ、でも、じいちゃんやスライムも大丈夫?」

 美月が腕の中のスライムに視線を落とし、不安そうに問いかける。

「周りのみんなはどうなるの?」


 テオドールは淡々と答えた。

「大理さんとDNAの一致率が高いので、お祖父様や美月さんなら処置可能ですが……他の人は、僕の視界ではぼんやりしていて無理ですね」


「そっかぁ。わかった」

 美月はこくりとうなずいた。

「お祖父様には今度お見舞いに行かれる時に除菌しておきます」

 

 言い方……と思ったが、テオドールは少し間を置いて、付け加える。

「それに……スライムは僕ですから大丈夫ですよ」


「うん、わかった!」


 笑顔で納得する美月。


(……いつの間にテオドールと美月はこんなに仲良くなってたんだ?)

 完全についていけず、俺は目を白黒させた。


「僕と美月さんには、大理さんという共通点でありますので」

   

 意味不明だ。あと勝手に人の頭の中を読まないでほしい。



 やがて、午後九時。

 俺達は再びテレビをつけて、会見ニュースを見た。


《午後九時を回りました。政府は先ほど、緊急対策本部による記者会見を開始しました》


 官邸の会見場。背後のパネルには《緊急対策本部》の文字。フラッシュの光が立て続けに瞬き、壇上に立った官房長官が深刻な面持ちで口を開いた。


『本日、○○県△△市において確認された“変異”事案について、政府はこれを公式に“ベクター化”と呼称し、最優先の危機事案として対処する方針を決定しました。避難区域の拡大も視野に入れ、原因の調査と封じ込めを直ちに進めてまいります』


 張り詰めた声と同時に、会見場全体が緊張で包まれる。


 ……こうして、日本での最初の事件が幕を開けた。


 しばらく沈黙が続いたとき、美月のスマホが震えた。

「え……なにこれ……」

 覗き込んだ画面には、海外のSNSで急速に拡散されている画像があった。


 ――夜明けのチャイナタウン。

 瓦礫の片隅の店でラーメンをすすっている美青年の姿。

 その隣には、険しい顔の李龍昊が無言で立っている。


「テオドールくん! これ、世界でバズってる! “黒槍の正体じゃないか”って!」

「……盗撮だろうな」

 俺は少し眉をひそめた。

「勝手に撮って……」


 当の本人は、興味なさげにお茶をすする。

「どうでもいいですね」


「そうだよね、お兄ちゃんの言う通り! 盗撮はダメだよ、犯罪!」

 美月も慌てて同調したが、画面から目は離せない。


「みゅみゅみゅっ!」

 スライムがテーブルの上にひょいっと飛び乗り、画面を覗き込むように揺れた。


「わっ、スライムも気になるの? かわいい~!」

 美月が抱き上げると、スライムはぷるんと震えて彼女の頬にくっつく。

「ひゃっ、くすぐったい!」

 キャッキャとはしゃぐ美月。


 テオドールだけが湯呑みを手に、人差し指と親指で飲み口を清め、どこからか懐紙を出して指を拭った。二度回して、元に戻すと真顔で言う。


「美味しく頂戴致しました」


 突っ込むのも疲れて、俺はそこで口をつぐんだ。


 その時、ポケットのスマホが震えた。

 画面を開くと、JPA公式アプリからの通知。


《重要》

 明日午前十時、GF値10000 以上のプレイヤーは本部へ集合してください。

 国内においても“ベクター化”による被害が確認されました。詳細は会見内容をご参照ください。


 美月が不安そうにこちらを見上げる。

「……お兄ちゃん、それ……」

「ああ……プレイヤーランカー全員への呼び出しだ」






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