12話 最も否定したい可能性



「なんっ……はっ!?」


 俺がスミレの体に憑依していたことを忘れるくらいには衝撃的に過ぎた。

 魔女の里へ唐突に現れたドラゴンは、紛れもなく俺が竜化した姿そのもの。

 普段このサイズを鏡で見る訳ではないから奇妙な感覚である。あのドラゴンが俺だという確信と、極めて俺に似た他者ではないかという不快な疑問がぜになる。

 きっと模倣妖魔ドッペルゲンガーを見るとこんな感覚になるんだろう。


 俺を嘲笑する周囲の声が悲鳴に変わるのに、さほど時間を必要としなかった。


「くそでけぇ! んだこいつぁオラァ!?」

「どっ、どらっ、どど……っ!?」


 ブラッカとノトムも本物の竜を見るのは初めてなのか、一方は見上げるように後ずさりをして、一方は腰を抜かして青ざめている。


(どういうことだ? 俺はこの里に入ったことは今の一度も無かったのに)


 前世では魔女の里がどこなのか、存在していたことすら知らなかった。

 場所を知らない――否、んだ。

 記憶によれば、魔女の一族は外界との関わりを遮断する魔術結界を貼っている。

 いつまでも感じる変な魔力はそれが原因か。

 それを無視してドラゴンが強引に、しかも俺のもとへと真っ先にたどり着いた理由はなんだ。


「どうなってる――っ。まさかッ」


 スミレとして目覚めた時考えていて、最も否定したい可能性があった。

 

 時を遡り、俺がスミレの学生時代の体に憑依して蘇った。

 ならば、はどうなっているのか。

 この時代で俺はまだクレアと接触していない。

 魔王軍と人間共の争いなど微塵も興味がなかったからだ。

 だからこそ、この最悪のケースを避けるためにクレアのもとへ先回りしたかったのに。


「やはりただ回帰するだけの奇跡じゃなかったか……神も底意地の悪いことをしやがる」


 人間目線で俺の体を見上げると、改めて思う。

 勝てるイメージが湧かない。


「流石は俺だな」


 自嘲気味に言葉が漏れた。


『――死ねッ』


 竜の胸元に、煌々と輝く〝赤〟が内包されている。

 その輝きは膨張し、喉を通過し、口腔へ移動した。


(コイツ……! どうやって咆哮魔法ブレスを――感覚で掴んだのか!?)


 あの竜の中身は十中八九スミレ・レーニーンだろう。

 人間では聞き取れないはずの竜の言葉も、今の俺は少なからず理解できる。その上で、俺の名を叫んだのだから今度こそ俺を殺すつもりだと分かった。

 このスミレという体諸共消し去り、身に覚えのない魔竜因子を止めるつもりなんだ。


 逃げる余裕も時間もない。

 口腔から漏れる豪炎が解き放たれる直前、奴の下顎を突き上げるように岩ほどもある光球が直撃した。

 間一髪のところで咆哮魔法ブレスが真上へ逸らされる。

 はるか上空の見えない何かに火柱が衝突し、轟音。不可視の壁を突き破ること叶わず、火炎の花が獰猛に咲き開いた。

 のどかな青空が地獄の様相へと塗り変わる。


「僕の教え子に手を出すつもりかい?」


 細い小ぶりの杖を構えたマド先生が、藍色の精霊と共に前へ躍り出た。

 ただの優男だとばかり思っていたが、男らしいことをするものだ。

 続けざま、素早く杖で無数の軌跡を描くと、滞留した光の線からやじり状の何かが伸びるように射出されていく。

 ――ズドドドドッ!。

 比較的肉質の柔らかい顎から首を光の矢が無数に責め立てた。

 着弾と同時に、高熱を伴った轟音と閃光を炸裂させている。大抵の大型魔獣は数撃喰らえばひとたまりもない威力だ。

 でも無駄だ。あんなのじゃ竜は死なない。

 既にマド先生の魔力に対し、あの竜が持つ〈魔法障壁の加護〉は自発的に順応を終えている。着弾で発動していた副次的な誘爆は、全て不発に終わっていた。

 流石と言うべきか、マド先生は器用に杖の軌道を変え、射出済の矢を操作して障壁の隙間に撃ち込むように対応した。

 自身の魔力なら、構造理解さえあれば掴めても不思議ではない。人間にも出来ることには驚いたが。

 ただ、あの障壁は魔力の塊だから柔軟に隙間を埋める。いずれにしても無駄な足掻きだ。


「おま――何してる。さっさと逃げろ!」

「それは先生が言うべきセリフじゃないかい。どうやらあのドラゴン、スミレに興味津々みたいだ。アレが本気になる前に離れなさい」

「死ぬぞ! 一教師が命張ることじゃないだろ!」

「ここで命かけられないようなら、私の魔術士人生全部否定することになるねえ。それに、あの二人を逃がすには人手が足りないからね。そうだ。キミが二人を安全な場所まで誘導してくないか?」

「……ッ! このバカ野郎がッ」


 人間の命の価値観はそんな薄っぺらなのか?

 なぜどいつもこいつも短い命を簡単に手放せる?


「死んだらそれで終わ――」


 ――

 何故か、クレアの言葉を思い出した。

 魔王軍に攻め落とされた小さな国の、その真ん中。

 国の連中によって、逃亡の時間稼ぎとして柱に縛り付けられたクレアの言葉。

 そうだ。

 あいつも自分の命をかえりみない馬鹿だった。


「――くはは」

「スミレ? なにしてる早く二人を――!?」


 気づけば、逃げ惑う魔女や立ち向かうマド先生を含め、この場の誰よりも竜へ近付いていた。

 俺の偽物と目があった。

 よし、周りや後ろにも誰もいないな。


「悪いな先生。コイツ、あんたらに興味ないんだってさ」

「なにを――ぐ、ぅっ」


 俺に手を伸ばした先生の横腹を、竜の太い尾が鋭く薙ぎ払った。多分あばらの何本かはイったな。

 人形を吹き飛ばすような気軽さで恩師を叩き飛ばすこいつの非情さは賞賛に値する。同族なら魔族殲滅隊に加えてやったところだ。


「俺の体になったからって、俺に勝てるつもりか?」


 ずいぶん目が血走ってるな。流石に俺の体とはいえちょっと怖いぞ。

 さて。啖呵を切ってみたものの、今の俺が、竜になった偽グリムを倒せるイメージが一切湧かない。

 人が竜に勝てる道理がないことは、俺が散々証明してきたんだ。

 ……まあ、前世でスミレから悪魔族の呪法を食らって死んだのは認める。でもあれはクレアを狙われたからというだけで、「そういう状況に誘導されたから」に過ぎない。

 だから、数カ国の同盟でも引っ張り出さない限り、アイツとは勝負にすらならないと思う。

 どうしたものか。




     ◆




 数分前。

 カエデ・レーニーンは学園へ向かう途中、突如大きな影が頭上を通り過ぎたことに気づき、胸騒ぎがしていた。


「お姉ちゃん……」


 カエデとその影は同じ方角を目指していたのだ。嫌な予感でいっぱいになっても仕方がない。

 ――姉が今日、魔女の初等部修了試験を受けることは知っていた。

 お姉ちゃんの魔女人生で大きな分岐点だと思って、応援に駆け付けたいのは仲の良い妹として当然である。

 ただ、いつも自信なさげな姉だったから、自分が来ることを知れば変に肩の力が入るとも思った。だから開始ギリギリで学園に入ろうと思ったのだ。

 その矢先、明らかに魔獣然とした巨大な影が猛スピードで空を突っ切っていくではないか。


(大丈夫。お姉ちゃんなら……だよね?)


 張り裂けそうな心臓を抱えて到着すると、嫌な予感は的中していた。

 修練場の周りは逃げ惑う学生と必死に避難誘導する教員で混乱を極めていた。

 咆哮。

 大気が震えて内臓を直接揺らされているような気持ち悪さでいっぱいになる。

 スミレを探すカエデと、こちらへ逃げてくる魔女たちにぶつかりながら、問題の修練場に着いた。


「え――ええ!? なん……なになに!?」


 どうやって侵入したのか、巨大な竜が学園のど真ん中で吠えているのだ。

 よりによって、どの実力者をも差し置いて、明らかにスミレへ敵意をむき出しにして。


「おねっ……」

「何やってんのカエデ! さっさと逃げないと死ぬよ!」


 同級生がカエデに気づいて腕を掴んだ。

 スミレを案じるカエデに構わず、ついさっき来た校門へ引っ張ろうとしてくる。


「あんたまだ〈ホウキ売り〉の心配してたの? いい子にも程があるでしょ!」

「だって、お姉ちゃんが……!」

「あんな出来損ないどうせすぐ死ぬわよ! 魔術も使えないくせに。みんなの代わりに死んでくれるなら少しは役に立ったほうでしょ!」


 思わず同級生の手を振りほどいて突き飛ばしていた。


「お姉ちゃんは出来損ないなんかじゃない。馬鹿にするな!」

「……ッ。いい格好しいが」


 その子は不服そうにカエデを睨むと、今度こそ校門に向かって走って行ってしまった。

 遠くで青ざめながら心配しているクラスメートと合流すると、もう人混みの中に消えて見えなくなる。

 次の瞬間、スミレの方を向いていた竜の喉元がもう一度膨張し、赤く輝いた。


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