第50話 失意


「エヴァンが、死んだ」



 私は凍りついた。


 だが、凍りついたのは体だけ。

 瞬時に思考がフル回転していく。



 エヴァンが死んだ。


 死んだ?

 いつだ?

 ブラフか?


 いや、あのユリウスが無駄な嘘をつくはずがない。


 エヴァンは死んだ。


 何故?

 死因はなんだ。


 自殺か?

 いや、あの研究バカに自殺ができる勇気があるとは思えない。

 それに、自殺なんて考えはあいつに浮かばないだろう。そんな事を考える暇があれば魔術の事をもっと勉強しているはず。


 

 ……殺された?

 一体誰に?



 ユリウスが落ち込んでいるのはエヴァンが死んだからか?

 

 いや、あの父の事だ。

 子供が一人死んだだけでここまで弱気にはなるまい。


 エヴァンが殺された。

 つまり、殺した奴がいる。


 殺した奴がユリウスに関係がある人間?


 どちらも既知の人物だから責任を痛感しているのかもしれない。

 もしくは殺して欲しくない人間が、殺されたくない人間を殺した場合。



 ユリウスが見るからに心を痛める程の出来事。



「……いつ、誰が殺しました?」


 そう言うと、ユリウスは疲れた笑みを浮かべた。


「いや……どうやら殺された訳ではないと報告を受けている。死体を見つけたのは三日前だ。どうやらエヴァンは研究に没頭するあまり、栄養失調で倒れたようだ。エヴァンはいつも自分の研究室に食糧を抱えて一人で潜り込んでいるからしばらく気づけなかった。……私はメイドすらつけることをしなかった。お前から見れば、慕っている兄を殺した父親だろう。なんとも情けない話だ……すまぬ、エヴァン。すまぬ、イザベラ」



 見えない涙を流している。

 娘の前では泣くまいとしているただ一人の父親の姿がそこにはあった。



 ……何が「子供が一人死んだだけ」だ。


 

 辛くないわけが無い。

 王だろうと平民だろうと、愛を注いだ息子が死んだ事は悲しいし、ましてやそれが自分が原因だとすればより悲嘆に暮れるだろう。

 そんな事、父親だった私が一番知っているだろうに……。


 

 だが、落ち込んではいられないぞ。

 調で倒れる事は、ことエヴァンに関してだけはありえない。



「……父上、顔を上げてください。貴方が殺したわけではないと私だけは知っています。死因は分かりませんが、放置による栄養失調で死んだ訳ではないと断言できます」


 私は自信満々にそう言い切る。


「……なぜ、そう言える?」


 怪訝そうだが、私の言葉に目に光を宿したユリウス。

 

 そうだ、お前はまだ若造だが国王だ。


 嘆いてばかりいられないぞ。

 これから忙しくなるんだ。


「エヴァンには洗脳魔術をかけました。栄養失調で倒れる事を私も予見しましたので、エヴァンは常日頃と思い込んでいたはずです」


 ユリウスは大きく目を開けて固まっていた。

 

 そりゃあそうだ。

 娘が息子に洗脳していたと聞けば誰でもそうなる。


 まぁ、洗脳としては軽度なものだがエヴァンには覿面に効いた。

 

 信心深い者は洗脳に弱い。

 私の世界の鉄則だ。


 魔術なんていうものに傾倒したエヴァンには事更に効いた。

 愚かだが、愛すべき馬鹿者だ。


「食事を大量に研究室に運び込んでいたでしょう?あれは移動を面倒がったエヴァンが、それでも食事を摂らなければならないと強迫観念に駆られて起こした行動です。彼らしさが出ていたから気づけないかもしれませんが、手間をかけて食事を運んでいた事を重視すべきです。栄養失調ではない、エヴァンは殺されている!」


 ユリウスは私の言葉に驚愕しているものの、それでも表情はあまり動かない。


 ユリウスは賢王だ。

 

 エヴァンが食事を運ぶことは知っているはず。

 我が父は栄養失調が原因で王子が死んだ事を簡単に納得するようなタマじゃない。

 そんな報告をまともに受けたのか?



 ……待て、報告?



 ユリウスは一体誰から報告を受けた?



「そうか……。やはりお前は正しい、正しいんだ。だがな、イザベラよ。お前のその正しさは時に人を狂わせる」



 まだ、嫌な予感は拭えない。

 私は何を勘違いしている。



 私は



「エヴァンの死を報告したのはソロンだ。情けなくも、受け入れる他ない……」


 そう項垂れて言葉を口にする偉大な父。

 ただ子を失った事に悲観するただ一人の父親の姿がそこにあった。


  

 ……家族を、手にかけたのか。 

 我が兄を悪し様に罵る様な事はすまい。


 

 だが、一線を超えたな。

 


「なぜ、受け入れたのですか」


 目線が自然と下に向かっていく。

 それはユリウスも同様だ。


「ソロンは敬虔な光神教徒だ。そのソロンを弟殺しの罪で処刑でもしたら、聖王国本部が黙っていない。あやつは個人的に多額の寄付を聖王国にしていたからな。アレの後ろには強大な国がいるという事を考えなければならぬ」


 聖王国。

 正式な名前はミスティテラ神聖王国だ。


 聖王を絶対とする縦社会国家。

 多額の寄付を自ら要求し、貰えなければ神敵として敵国扱い。

 

 光神教徒は世界中のどこにでもいる。

 もちろん、アストリア王国にも浸透している。

 

 信仰の本国である聖王国が敵だと言えば、世界中の光神教徒が敵に回る。

 国内の光神教徒は内なる脅威と化すだろう。


 最悪のシナリオは聖王国と戦争状態になる事だ。

 聖王国との同盟国は数ある。その全てが参戦してきてしまえばいくら精強なアストリアと言えど敗北の道筋が出てくる。

 それに、利益を狙って第三の国家が介入してくる可能性も十分ある。


 

 ソロンを公的に処することは不可能。



 失意のユリウス。

 その真の理由はソロンの弟殺しだ。


 確定ではないが、推定される犯人はソロンしかいない。


 我が母は何を思うのだろうか。


 ミネルヴァは……。



「ミネルヴァ第一王妃は何をしておいでですか?」


 そう聞くと、力無くユリウスは答える。


「あぁ。あんな不出来な息子でも可愛い我が子なのだ。ショックを受けて引きこもっておる。私は妻も息子も放ったらかしにして仕事をしているんだ。不出来なのは、果たしてどちらだったのだろうか」


 まただ。

 ユリウスの弱音が続く。


 状況を考えれば仕方ない事だと言えるかもしれない。

 下を向いてしまう事もあるだろう。


 

 だが、だがな父よ。

 妻を蔑ろにする事は許さん。

 


「……父上、貴方のそれは仕事への逃避だ。ミネルヴァにきちんと会って話をしなければならない。失意のどん底なのも重々承知。私も現実味が無いから普通の態度だが、エヴァンの死体を見てしまえば途端に泣き崩れてしまうかもしれない」


 私は偉大な父上のケツを蹴り上げて事件を進めなければならない。

 このまま落ち込んでいてはヤツの思うツボだ。


 それに。


「しかし、しかしだ。このまま放置してミネルヴァまで見捨てる気か?小便垂れも大概にしろ。お前はアストリア王国の唯一絶対の国王だ!愛する妻の顔すら見ずに仕事に逃げるとは何たる事か!今すぐに行かねばその首根っこを摘んで城の中を引きずり回しながら連れて行ってやるぞ!」



 この痴れ者が。

 ミネルヴァはお前の事を愛しているんだ。


 政略結婚だったのかもしれないが、魅力的な誘いを全て退けてユリウスに寄り添う選択をし続けている。

 それは愛がために為せる事だ。


 恋愛結婚だなんだと言われて急に現れた第二王妃をしつこく警戒したのは、愛ゆえだ。


 当時は私達が玉座を狙っていると勘違いしてミネルヴァに警戒されたと思い込んでいた。

 だが、我が母が産んだ愛の結晶である子供が嫉妬の対象であるとまでは思えなかった。


 気が付かなかった。

 エヴァンの死によってミネルヴァがショックを受けた。

 その事実でようやく合点がいく。


「父上よ、合わせる顔が無いと思うなら思えばいい。情けない王だと思われたくないならそれでもいい。だがな、愛する妻を放り出しているのは看過できん」


 妻に別れも告げられなかった私からの忠告だ。

 愛ある家庭なのであれば、愛を貫くがいい。


「ミネルヴァには時間が必要だ。……お前とゆっくり過ごす時間がな」


 ユリウスは私からの叱責に何を思うだろうか。

 そう考えていたが、ガタッと音を立ててユリウスは立ち上がった。


「分かった。行こう」


 覚悟の決まった男の顔だ。

 ここには王などいない。


 妻を迎えに行く夫の姿があるだけだ。


「我が父よ、覚えておけ。人の生は愛によるのだ。愛による過ちは、愛によってのみ赦される」


 ユリウスはそれを聞くと大きく頷いた。


「イザベラ。お前とも今度二人でゆっくり話がしたい。お前の話は、とても面白そうだ」


 王の仮面を取ったユリウスは、愛嬌のある表情だ。


 もちろん私は、そちらの方が好きだ。


「もちろん、大歓迎ですよ」


 その言葉を聞いたユリウスは深い笑みを浮かべた。


「ありがとう。……お前が居てくれてよかった」


 心のこもった言葉だ。

 『お前』というぶっきらぼうな言葉が、今は心地良い。


「どうってことありませんよ。それと、私は年の離れた兄弟でも嬉しいですよ。妹なんかは欲しいと思っていました」


 最後に付け加えられた私の一言は、愛嬌のある顔を苦笑いさせていた。



 


 

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