第5話 少年の過去~最初の罪~
家に帰ると珍しくお母さんがいた。
「ただいま」
「ちょっといい?」
お母さんが僕に話しかけるなんて珍しい。でも無視して部屋に入ろうとする。
「ちょっと待って」
気安く僕の肩に触るこいつに腹が立ってきた。金を渡すだけ。ただの育児放棄。今更お前が僕に命令する資格ないだろ。ただの他人だ。
睨みつけた。もう関わってくるんなと目で訴えているにも関わらず、気にせず距離を詰めてくる。
「あなた、どうやって手術代払ったの?」
口を開けばすぐに金のことだ。
「貯金崩しただけだよ。お前からもらった少ない金の」
「そんなはずないわ。あなたの銀行口座確認したけどそんなになかったもの。減ってすらいなかった」
なんで俺の銀行口座をあんたが見れるんだよ。気持ちが悪い。
「怒らないから正直に言ってちょうだい」
「あのさ、気持ち悪いからもう出て行ってくれないかな。俺がどう手術代払おうがお前は他人だから。都合のいい時だけ母親面するのやめてくれないかな」
「……チッ」
舌打ちして出ていった。所詮楽に金が手に入る方法でも見つけたと思ったのだろう。
今日は早く寝よう。
目が覚めるとガサゴソ音がした。嫌な予感がする。反射的に布団から飛び起きる。そこには母がいた。勝手に部屋に入って俺のスマホをいじっている。
「おい、なにをやって……」
「誰?」
「は?」
「この……風花って子」
俺の連絡先のページを勝手に開いてこっちに向ける。
「もしかして皇族の風花さま? あなたさすが私の息子だわ。こんな高ランキングの人とコネクションをとれるなんて」
バレた。頭が真っ白になる。この化け物はどんなことをするのか分からない。怒りでわけも分からず、とりあえず走って家をでた。
焦って出て行ってしまったせいで何も持ってきていない。なんならパジャマのままだ。どこへ行くか見当もつけていない。
しばらくウロウロしていたが、病院に行こうと思った。
スマホは母が持っているから連絡はとれない。家のことを相談しに行こう。昨日出ていたばっかりで気まずいが……。
何か気持ちがざわざわして、急いで病院に向かった。
病院に着くと何か殺風景だった。風花の病室に向かう。昨日と比べて色あせて見えるのは気のせいだろうか。
急いで廊下の角を曲がり、二個目の部屋に入る。ドアを開ける。
そこに風花はいなかった。あれ? トイレにでも行っているのかな? 少し待つか。その時、看護師の人が来た。
「あれ? 光君? 風花さまのお見舞い?」
「はい。今どこにいるか分かりますか?」
そう聞くと気まずそうな顔をした。耳元で囁く。
「さっき、君の母と名乗る人に会いに行くって言っていたよ」
は? 呼吸が荒くなる。嫌な予感がする。感情任せに家を出ていったのが間違いだった。あそこで殴って止めるべきだった。
「場所分かりますか?」
「多分裏庭」
「ありがとうございます」
僕は駆け出した。風花の笑う顔が目に浮かぶ。間に合ってくれ。
裏庭へ向かう廊下を全力で走った。足音が病院中に響く。角を曲がるたびに最悪の光景が頭をよぎる。肺が焼けるみたいに熱い。心臓が胸を叩き破ろうとしている。
ガラス扉の向こうで母と風花の声がした。何かを話している。そこでいったん冷静になって聞き耳を立てた。
「うちの息子がまた骨折してしまって……。」
「それは本当なんですか? それにその代金を私が払わなければならないのはなぜでしょうか?」
「あなたが、うちの息子を誘惑したせいでまた骨折するなんて言い出したんですよ」
物事には限度ってものがある。これはそれを越している。嘘を言って金をとろうとするなんてもう詐欺じゃないか。 言っていることも筋が全く通っていない。
「もう家に金はないんです……。責任取ってください」
母は泣き出した。ただの演技だ。心の中では薄気味悪く笑っているに違いない。
「さっきから何をおっしゃっているのか分からないのですが。誘惑? 責任? 意味が分からないです。あなたがの勝手な解釈で事実をゆがめないでほしいです。あなたの息子さんから話を聞きました。母親としての責任から逃げている人に責任を語る権利はないです」
風花の口調は怒っているように感じた。そういう風に言ってもらえるのは少し嬉しかった。
「生まれた時から人生の勝ち組みたいな人には私たちの苦しみなんて分からないでしょうね」
「……」
「私たちのことなんて微塵も分からないくせに知ったような口で言うのはやめてもらっていいですか?」
あぁ。こいつは風花が過去に受けた虐めについて知っているのだろうか。その苦悩を分かったうえで、まだ責め立てるのだろうか。風花は涙目になる。
「あの、自分が不利になったらそうやって泣いて情に訴えようとするのやめてもらえませんか? そうやって泣けば許されるような世界で生きてきたんですね」
もう我慢ができなくなった。ガラス扉を勢いよく開ける。
「光……」
「チッ」
母は舌打ちをしてこちらを見る。
「僕もうどこも骨折してないよ?」
「話聞いていたなら出てくるなよ」
冷たく突き飛ばすような声だった。
「悪いけど友達を売るようなことはできないかな。君と違って」
僕も侮蔑の意を込めて言う。
「他人と言ったのはあんたでしょ。他人のすることにいちいち口出ししないでもらえるかな」
まただ。都合のいい時だけ他人になる。
「他人ならわざわざ僕のために治療費請求しなくて大丈夫だから」
「だから、私があなたの母親という肩書をどう使おうが勝手でしょ」
「あるわけねぇだろ。そんな肩書。おまえが俺に何をした?」
「でも私がお腹を痛めて生んだという事実は嘘じゃない」
ああ言えばこう言う。どうせ言葉で言い負かしてもこいつは反省しないと思った。
こいつが生きていたら、また僕の大切な人が利用されるかもしれない。
僕はポケットからハサミを取り出す。医療用だ。もしかしたらと思って一つくすねてきた。
「お前、何を……」
「光、やめて!」
これが僕の犯した最初の罪。後悔はしていない。もっと長い時間こいつといたら、僕も頭がおかしくなっていたかもしれない。
《病院の裏庭で殺人事件が発生した。女性の首にハサミが深々と刺さっていた状態で発見され、その後、死亡が確認された。事件当初、その女性の息子と、その友人がいたそうだが、息子が自分一人の単独犯だと供述しているそうだ。》
僕はたくさんの物を失ってしまった。母親、財源、家……。残ったのは風花だけだった。
この後、僕は風花に依存するようになる。
結局僕は精神異常と診断され、定期観察で済んだ。風花が説得してくれたし、僕の家庭の事情も情状酌量の余地ありと判断されたからだ。
ただし、もう二度と犯罪はしないという条件付き。執行猶予みたいなものだ。
僕は行く当てがなかった。だから近くの保護施設に入れられた。幸い、病院とは遠くなかった。
施設の子供は幼児や児童が多く、僕と近い年の人はいなかった。だからあまり馴染めず、外に出る機会が増えた。
たびたび風花に会った。毎日一時に集合していた。でも母親を殺すところを目の前で見られていたから気まずかった。事件の後も色々助けてくれたのも余計にそうさせた。
「ねぇ。なんで光は母を殺したの?」
「……多分それしかなかったんだよ。そうじゃないと縁切れなかった。また僕の大切な誰かが利用されて僕から離れていくのを見たくなかった」
僕が小学校のころ孤立したのは決してアルビノだけじゃなかった。母親はトラブルメーカーだった。あらゆるところから慰謝料を請求しようとしていた。
そのせいで僕は教師から嫌われた。いじめを止めてくれなくなった。
「昔からあの人の金とかランキングとかへの執着心が醜く思えて嫌いだった」
「もう母って呼ばないんだね」
あれは一線を越えた。風花に手を出したのだ。
「僕の名付け親は風花だから。そっちのほうがしっくりくる」
そう言うとあからさまに風花は目線をそらした。
「私は対等なつもりなんだけどなぁ」
その会話は楽しかったけど、毎回浮かない顔をして帰っていく風花を少し心配に思った。
「なんか最近浮かない顔してない?」
「そんなことないと思うよ~。あはは」
そういう風に言って笑う風花の顔は明らかに無理をしている様子だった。
僕はもう退院した身ではあるものの、病院に行ってみることにした。
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