第8話髪色と縛り

「日向くんって、その色好きなの?」


 生徒たちの喧騒からは離れた静謐な空き教室にて。朝に近くのパン屋で買った菓子パンを口にしていた俺は唐突に如月に問いかけられる。

 如月の視線は俺の手元にあるスマホに落ちていた。正しくは、スマホカバーか。


「日向くんって、ペンもノートもその色よね?」

「あぁ、これな。なんていうか、何かと目に留まる色っていうか……ちょっとだけ思い入れのある色なんだよな」


 群青色。確かそんな名前だった。

 この色を見て思い出すのは、明け方の澄んだ朝の空。


 俺は中学時代までバレー部だったから、朝のランニングを習慣にしていた。この色を見て、その時を思い出してちょっとだけノスタルジックになったりしている


 中学時代は何かと波乱に巻き込まれることが多かった。苦労も絶えない時間だったけれど、悪くはない時間だったと今では思う。


「へぇ……思い出の色、ね」

「如月は青が似合いそうだよな。綺麗で大人っぽい顔立ちだし」

「……貴方ね、そういうことを軽はずみに言うのはどうかと思うわ。言葉の重みを考えなさい」


 俺としては褒めたつもりだったのだが、如月は気に入らなかったのか不服そうに睨んでくる。俺なんか悪い事言ったか……?

 

「別に馬鹿にしてるわけじゃないぞ?俺は如月の顔は綺麗だと思ってるし……」

「もういいから!……私以外にそういうことを言うのは控えなさい。主に、あの金髪の後輩には」

「え……?」

「返事は?」

「御意……」


 不機嫌そうに鼻を鳴らした如月はふいっと目を逸らす。

 中学時代からの知り合いだから、俺は知っている。彼女の刺々しい言葉は好意の裏返しなのだと。


 素直に物を言えない口の代わりに、耳が如月の心情を物語っていた。


▼▽

≪如月side≫


(まったく、なぜああいうことを軽々しく言ってしまうのかしら……)


 構内に響くアナウンスを聞き流しながら駅を出た如月はため息交じりに昼休みのことを思い出す。


 以前から知っていたことだが、日向は他人への好意を口にすることに抵抗が無い。その素直な性格から男子とは良好な関係を築いているのは周知の事実。


 それが異性相手となると良くない勘違いを引き起こすのもまた事実。日向を自分のモノにしようと画策している如月からすれば、看過できない話だった。


(ああいうことをぽろっと口にするから変な女に引っかかるのよ。……まぁ、そういうところが好きなんだけど)


 なにはともあれ、言動の強制は必要になるのだろうと如月は考えていた。

 

『如月は青が似合いそうだよな。綺麗で大人っぽい顔立ちだし』


 如月の脳内に、日向の言葉が浮かんでくる。

 自分に対して純粋な感情を惜しげもなくつぎ込んだその一言は、如月の心にクリティカルヒットしていた。


(青が似合う、か……)


 如月にとって、青という色は自分を縛りつけている。

 彼女のような大人びた顔立ちの人間には女の子らしい可愛い服が似合わない。如月自身もそれを理解して遠ざけている。

 

 ただ、女の子の本文とも言える『可愛らしさ』を捨ててしまっていることに悲しさを抱かない如月ではなかった。

 自分だって可愛い服を着てみたい。けれど、それが似合うわけではない。その葛藤は如月の中で一種の呪縛となっていた。

 

 だからこそ、如月は日向の言葉が嬉しかった。青が似合うと言ってくれた、彼の言葉が。


(日向くんが言ってくれるなら、青も悪くないわね……)


 空を見上げてみると、既に茜色に染まり始めている。日向の好きな群青色とは程遠い。


(……色も呪縛よね)

「あら、燐火ちゃん」


 不意に話しかけられて視線を落とすと、店から出てきたショートヘアの女性が手を振っていた。如月は会釈しながら駆け寄る。

 

たかむらさん、こんにちは」

「こんにちは。今帰り?相変わらず綺麗ねぇ~」


 如月に優しい微笑みを向けているのはたかむら美野里みのり。如月の行きつけの美容院で働くスタイリストだ。

 帰り道にこうして顔を合わせるのは今回が初めてではなく、度々こうして世間話をすることがある。


「最近学校はどう?変な男の人に絡まれてたりしない?」

「はい。ありがたいことに平和に過ごしてます」

「それはよかった。……少し髪の毛伸びたんじゃない?今手空いてるから、良かったら整えていかない?」

「いいんですか?お言葉に甘えさせていただきます」


 篁の誘いで店内に入ると、席に案内される。中学の時から通っているこの落ち着いた空間が如月は好きだった。


「今日はどうする?いつも通り整える感じでいい?」

「はい。……あの、篁さん」


 嫌でも彼の意識を引きたい。

 自分以外の女を見ないでほしい。

 盲目的なまでに自分を愛してほしい。

 病的なほどに自分に依存してほしい。


 脳裏をよぎった日向の言葉に、如月は決心した。


「重ね重ね申し訳ないんですけど……インナーカラー、お願いできますか?」

「えっ、燐火ちゃんカラーとか興味あったんだ!うんうん、いいと思う!でも、急にどうしたの?……好きな人でもできた?」

「はい」

「なーんてね、じょうd……え゛え゛え゛っ!?!?」


 広い店内に響き渡るぐらいの声量で篁は叫んだ。

 如月は手をもじもじさせながら俯く。その横顔に篁はさらに驚愕した。

 

「な゛っ、ど、どんな人!?俳優さん?芸能人?スポーツ選手?ていうかその人苗字ある!?!?」

「同じクラスの男子です。中学からの知り合いで」

「あ、あぁ……な~んだ、燐火ちゃんのことだから、著名人と付き合いだしたのかと思って……」


 安心したように笑った篁を見て、如月は思わず苦笑いを浮かべる。


(この人、私の事をなんだと思ってるんだ……)

「でもよかったぁ……燐火ちゃんもちゃんと乙女なところがあるのね」

「……私にも月並みにありますよ。そういう感情は」


 むすっとした表情の如月に、篁は『ごめんごめん』と笑って返す。こうして心を許せる相手がいることは、如月にとってなによりも喜ばしい事だった。


「それで、どんな色にするの?」

「群青色ってできますか?」

「群青色……へぇ、綺麗な色。もしかして、彼の好きな色?」

「……はい」

「いいなぁ~キュンキュンしちゃうなぁ~そういうの。よし、とびっきり可愛くしちゃおうかな!」


▼▽


 翌日。先に学園に着いた如月には生徒たちからの多くの視線が向けられていた。

 

「あれって如月さん……だよな?」

「インナーカラー入れたんだ~可愛い~」

(……やっぱり似合ってないかしら。それに好きな人の好きな色をわざわざ入れるなんて、重いと思われないかしら……)


 凛然とした態度とは対照的に、如月の心境は穏やかなものではない。

 不安は尽きないが、それでも日向に見てほしいという心は依然として燃えていた。


「……如月」

「あっ、日向くん!……その、染めてみたの。……どう?」


 日向は驚く様子を見せたが、すぐに優しく笑って見せた。


「うん。似合ってる。すっげぇ可愛いよ」

「かわっ……!?」


 如月は咄嗟に顔を背ける。ただ、彼女の防御などお構いなしに日向は攻め続ける。


「これって群青色だよな?……もしかして、俺が言ったから?」


 如月はこくりと頷いた。


「そっか。嬉しい。やっぱり如月は青が似合うな」

「……あ、ありがとう」


 嫌でも意識させてやろうという如月の狙いが成功を収めたのは定かではない。ただ、彼女の心は満足感に包まれていた。


(日向くん相手に心配なんてする必要なかったわね……日向くんの色を自分の体に入れるなんて、まるで彼のモノになったみたい……)

「ふふっ、如月、顔は赤いぞ」

「……うるさい」


 自爆に苛まれながらも、如月の恋心はますます膨れていくのだった。

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