夢日記
売れっ子の作家の須藤達央(48歳)は、執筆に行き詰まっていた。
須藤が普段実践している方法はいくつかあった。
1. 設定を先に書き出す。
2. 結末を先に考える。
3. 「もしも…」という仮定からスタートする。
4. キャラクターの性格から物語を展開する。
5. 他人の作品を組み合わせてアレンジする。
6. とりあえず題名だけたくさん考える。
それでも、今回はこれらの方法すら効果を発揮しなかった。
そんな時は、無理にひねり出そうとせずに自然の中を散歩したり、ホテルでのんびりと過ごしたりすると、ふと良いアイディアが浮かぶことが多かった。
しかし、今回のスランプは長く、もう3年もの間、書いてはやめを繰り返す日々が続いている。
「いいアイディアを出すためのアイディアを考えるしかないな…」
しかし、いくら考えてもそれすら何も思いつかないざまだった。
* * *
それから須藤はネットで、「夢日記」をつけるという、ありふれているようで意外と試されないアイディアを目にした。
須藤はよく夢を見る方だったが、それが創作の参考になるとは考えたことがなかった。
しかし、今の彼には、何でも試してみる価値があるように思えた。
そこで、まずは“夢日記”をつけることから始めることにした。
夢日記については、「危険だ」とする意見も少なくない。その理由は5つほどあるらしい。
1.夢に潜むトラウマが強調されること。
2.夢があまりにリアルになりすぎること。
3.現実感のある夢を見るようになること。
4.夢の時間が延びたように感じること。
5.睡眠の質が低下すること。
* * *
須藤は何かを記録すること自体は作家としての習慣であり、苦ではなかったが、いかんせん悪夢を見る事が多かった。それでも夢日記に全て克明に記録することを怠らなかった。
創作の役に立つ事は特になかったが、もう少しで何か掴めそうな気がした。
しかし、記録を続けるうちに、ご多分に漏れず彼の精神は少しずつ蝕まれ、悪夢が日常にまで影を落とし始めていった。
それでも、生真面目な須藤は夢日記を書き続けた。
* * *
さらに須藤は“明晰夢”を見る方法も試してみることにした。
明晰夢とは、夢の中で“自分は夢を見ている”と自覚し、自由に行動できる状態のことだ。
それは入眠5時間後にアラームを設定し、夢を自覚しながら再び眠りに入るというものだった。
須藤は、この不思議な手法に少しの希望を見出し、さっそく実行に移してみることにした。
その中でも彼の明晰夢の技術向上は凄まじかった。
夢の中では美女と交わったり、冒険家として絶景を見たり、大金持ちになったりしたのだ。
* * *
それからの須藤は創作活動はそっちのけで、明晰夢を見る事ばかりに腐心する様になってしまった。
睡眠薬や合法ドラッグまで乱用し、夢と現実、過去と現在の区別まで曖昧になった。
それでも1人部屋に篭り、ひたすら夢の世界に入り浸った。
芦原奈々(29)はそんな須藤をひどく心配した。彼女は、スランプに陥っていた須藤のために、出版社があてがったボブカットの似合う美人編集者だ。
「芦原さん、何しに来たんだよ?俺はよ、本なんか書かなくても、金持っているんだよ」
「須藤さん!!」
「この前はエベレストにも登ったんだよ。その時の事を書いて欲しいんだろ?」
「須藤先生、しっかりしてください!」
「俺がしっかりしてない?帰ってくれ!」
芦原は、須藤の変わり果てた様子にひどく心配した。
しかし、須藤は彼女の忠告に耳を貸さなかった。
* * *
そんなある日、須藤に思いがけない転機が訪れる。
夢の中、ビーチで1人優雅に読書をしていると、その文字が明瞭に理解できるだけでなく、目が覚めてもその内容が記憶に鮮明に残っていたのだ。
「なんだあの本は?……めちゃくちゃ面白いぞ……
あれは俺の夢の中のアイディアで盗作ではないはずだ。本の内容を全て書いて、芦原さんに渡してやろう。きっと喜ぶぞ。ハハハ」
* * *
ついに、須藤は新しい原稿を書き上げた。
その題名は「青春の掟」。
彼の手元には、ハードカバーに製本されたその本があり、帯には「芥川賞受賞作」と記されている。
須藤は歓喜とも狂気ともつかない笑い声を上げた。
数ヵ月後 閉鎖病棟にて
須藤は、閉鎖病棟の薄暗い部屋で、床に置いたノートに向かい、必死に何かを書き続けている。
目には狂気を宿し、手は震えているが決して手を止めようとはしなかった。
「こちらの新しい患者は?」
「はい先生、彼は須藤達央、50歳、独身です。
デビュー作『青春の掟』で芥川賞を受賞した作家です」
「聞いた事ある。もう20年くらい前だよな?」
「はい、当時はかなり話題になりましたね。
しかし、ここ数年は作品も売れず、鳴かず飛ばずでした」
「文筆業は厳しいからな…」
「はい、そして、睡眠薬と合法ドラッグの過剰摂取で夢の世界に没頭するようになり、次第に精神に異常をきたしました。病状といたしましては、過去と現在、夢と現実の区別すらつかなくなってしまいました…」
「それは重症だな…」
「はい、さらに問題だったのは、デビュー作で書いた『青春の掟』の存在を完全に忘れ、夢から新たに着想を得たと思い込んで、再び同じ原稿を書き上げたことです」
「なんと…」
「そして、それを担当編集者の芦原菜々に渡したんですが、彼女がそのことを指摘した際に、須藤は激しく憤り…大怪我を負わせてしまったんです」
「心神喪失状態で無罪判決となり、ここに送られてきたというわけか」
「はい、その通りです」
「それで、須藤は今は何を一生懸命に書いているんだね?」
「その…デビュー作『青春の掟』です」
完
タイトル 《夢日記》 芦原菜々 著
* * *
芦原の書いた《夢日記》はノンフィクション・ホラーとして書店で平積みされるほど売れた。
“美人作家”として華々しくデビューした芦原だったが、どうにも気分が晴れずにいた。自らの強引なやり方に、後ろめたさを感じ始めていたからだ。
スランプで書けない須藤に、芦原は執筆の一助になればと言う願いから「夢日記」「明晰夢」「睡眠薬」「合法ドラック」等を勧めた。
それらは全て善意のつもりだった。
しかし、須藤の精神は崩壊し、自身の書いた芥川賞受賞作「青春の掟」を完全に忘れてしまった。
その後、「青春の掟」を夢で着想を得たと思い込み、永遠と書き続けると言う、芦原からしたら非常に興味深い結果になった。
芦原は編集部に配属されてたが、実は「作家として本を上梓したい」という夢を子供の頃から抱いていた。
「こんな面白い話を書かない手はない」そう思った。
芦原は須藤に“あえて”口喧嘩をけしかけ、煽った挙句、軽く突き飛ばされた。
彼女はそれを「大怪我」と偽装し、須藤を警察に突き出した。
「精神喪失状態」と判断された須藤は閉鎖病棟に入院する事となった。
芦原は大怪我の補償として彼から「須藤の事を本にしてよい」と言う契約を取り付けた。
もちろん「夢日記」「明晰夢」「睡眠薬」「合法ドラッグ」については須藤が勝手にやり始めた事にして本に記した。
3ヵ月後
「須藤の精神を破壊させてしまった」と言う呵責の念に苛まれていた芦原は、毎晩悪夢にうなされる様になった。
閉鎖病棟から退院した須藤に襲われるという悪夢を……。
こうして芦原の精神は日に日に蝕まれていった。
1ヵ月後
芦原は出版社のオフィスでパソコンで何かを書いている。
目には狂気を宿し、その手は震えていた。
「…芦原さん…何を書いているのですか?」
「ノンフィクション・ホラーです。すごく面白いのが書けそうなんですよ」
「……まさか……えっと……タイトルは?」
「『夢日記』です」
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