Bell
私の名前は美樹、25歳。趣味はドライブ。愛車はローバー・ミニ。イギリス製の30年前の古い車だけど、磨きあげられたネイビーのボディは美しく、眺めているだけでもうっとりとしてしまう程だ。
先日ドライブの途中で、偶然見つけて立ち寄ったアンティークショップ「時の結晶」で、とても可愛らしいフランス製の古い目覚まし時計に出会った。
ショップの一角にひっそりと佇んでいたその時計は、クリーム色の優しいボディがなんとも言えず愛らしく、まるで時代を超えてここへ来たかのような不思議な感覚を覚えた。
「わぁ、これ…素敵」
その瞬間、他のアイテムには目もくれず、自然とその時計に手を伸ばしていた。
古びた文字盤にはギリシャ数字が刻まれ、金属のベルは少し錆びついていたが、それがまたアンティークらしい風情を漂わせていた。
特にクリーム色のボディは、部屋のインテリアにぴったりだと思った。私の頭の中で、この時計を自分の部屋に置いた姿がすぐに思い浮かんだ。
店主に尋ねると、ゼンマイ式の時計で、壊れて動かないらしい。実際に時を刻むことはできず、オブジェとしての扱いで3,000円というお手頃価格だった。
私は迷わず購入を決意した。動かなくても可愛ければそれでいいし、スマホの目覚ましもあるから実用性は求めていなかった。
家に帰り、さっそくベッドの横のチェストにその時計を置いた。白くペイントされたチェストに、アンティークの時計がよく馴染んだ。
その姿を見て、私は思わず微笑んでしまった。時計が持つその独特の存在感が、部屋にちょっとした古びたエッセンスを加えてくれたのだ。
それからの毎日、目覚ましの音が鳴ることはなく、ただのインテリアとして私の生活の一部になっていった。
スマホのアラームが日々の目覚めを支えてくれている。特に何の変哲もない日常が続いていた。
* * *
ある早朝、突然、耳元で響き渡るベルのけたたましい音に飛び起きた。
心臓がドキッとするほど大きな音だった。
慌てて音の主を探すと、それはベッドサイドに置かれていたアンティークの目覚まし時計だった。
「えっ、どうして…?」
呆然としながらも、目覚ましのベルを止め、時計をまじまじと見つめる。
壊れていたはずの時計が、まるで何事もなかったかのように動いているように見える。
ベルの音も初めて聞いたものだった。おそらくなんらかの原因でゼンマイが動き出したのだろう。
ふと柱時計に目をやった。
時刻は6時ちょうど。
今日は普通に仕事がある日だし、起きなければならない時間だ。
もっと驚くことがあった。
慌ててスマホを手に取り確認すると、目覚ましアラームのセットをすっかり忘れていたことに気づいた。
「嘘でしょ、私、アラームかけ忘れてたんだ…」
そう呟いた瞬間、アンティークの目覚まし時計が私を救ってくれたのだと悟った。
「この子が…私を起こしてくれたってこと…?遅刻しないで済んだわ、ありがとう…」
私は時計をそっと撫で、感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。不思議なこの時計が更に愛おしく思えた。
まるで自分のために、時を超えて助けに来てくれたかのような特別な存在に感じたのだ。
私は時計に「リリー」と名づけた。
ベルの音が「リリリリー」と聞こえたからだ。
それから、私はスマホのアラームのセットし忘れによる寝坊に、リリーに3度も助けられた。
もはやリリーの信頼は絶大だった。
* * *
梅雨入りして1週間。その日も朝からしとしとと雨が降り続いていた。窓を打つ雨粒の音が心地よく、穏やかなリズムを刻むように響いている。
私はリビングのソファに身を預け、雨音に耳を傾けていた。
外は薄暗く、空には灰色の雲が広がり、雨が遠くの森を優しく濡らしている。
「…こんな日は、ゆっくり過ごすのが一番…」
そう思いながら、ブランケットを軽くかけ、まどろむように目を閉じた。
雨はリズムを変えることなく降り続け、静けさと自然の美しさを伝えてくれる。
時間が雨に溶けていく様な、不思議な感覚に身を委ねていると、段々と夢の世界に誘われていくのを感じた。
* * *
突然耳元で「リリリリー!」とベルの音が鳴り響いた。
突然の事に、心臓がバクバクと鳴るのを感じた。
この日は何も予定がないのに、リリーが鳴る理由が
全く思い当たらなかったからだ。
えっ、何?どうして鳴ったの?
頭が混乱し、パニックになりかける。
もしかして、何かの警告?地震?火事?それとも強盗?…いや、飛行機がこの家に墜落する?
次々と不安な想像が脳裏をよぎる。
私はリリーが教えてくれている「何か」があるはずだと確信した。
深呼吸をして落ち着こうとしたが、心の中で「早く逃げなきゃ!」という思いが強まるばかりだった。
車でどこか遠くに逃げよう!
とりあえず、何か起きる前にこの場所を離れるべきだ。
何も考えず、大急ぎで動き出した。
とにかく安全な場所に向かおうと、貴重品とリリーを抱えて玄関へ走った。
傘をさして外に出ると、激しい豪雨が降り注いぎ、風も強く吹き荒れはじめていた。
「…なに…この天気?」
車のワイパーも追いつかないほどの激しい雨に、躊躇したが、私はリリーをしっかり抱えたまま車を走らせた。
空は真っ暗で雷までも鳴り始め、何か尋常じゃない事が起き始めている事は確かだった。
とにかく、何もない場所に行かなきゃ…。
道路は水で溢れ、通行人の姿はなく、雷雨は激しさを増していた。
心臓の鼓動が高鳴る中、私は無意識に郊外を目指していた。
自然とハンドルを握る手にも力が入る。
リリー、私に何を知らせてくれるの?
何か悪いことが起こるの?
まるでリリーに語りかけるかのように、私は声に出していた。守ってくれようとしている気がしてならなかったからだ。
郊外に向かう道はどんどん狭くなる。
どうやら変な道に入ってしまったようだ。
車の振動が伝わってくる。
視界もどんどん悪くなる中、不安とともに車を走らせ続けた。
郊外の畑が広がる場所にたどり着く頃、激しい雨はピタリと止んだ。
「…ふぅ…」
車を停め、ひとまず深呼吸をして気持ちを落ち着けた。
ちょうどその時、雲間から柔らかい日差しが差し込んできた。
「…え…?」
少し驚いて外に出てみた。
空気はまだ湿っているけど、雨が止み、光がさしたことで清々しい気持ちに包まれていた。
雨に濡れた愛車のローバー・ミニも畑も森も畑も全てがキラキラと輝いていて見えた。
そして、ふと空を見上げると、そこには信じられない光景が広がっていた。
なんと、目の前には大きな二重の虹がかかっていたのだ。
「わぁ、すごい!こんなに綺麗な二重の虹…」
私は思わずその美しさに見入ってしまった。
思わずリリーを見つめ、にっこりと微笑む。
もしかして、この景色を見せるためにリリーが鳴ってくれたのかな?
そんな風に考えると、気分が一気に高まった。
テンションが上がり、夢中になって虹を見ていたその時、ふと近くに誰かがいることに気づいた。
振り向くと、若い男性が一眼レフカメラを手に、一心不乱に虹の写真を撮っているところだった。
テンションが上がっていた私は思わず声をかけた。
「すごい虹ですね!!」
「ええ!」
一言そう言うと男性はにこりと笑った。
真面目そうな好青年だな、と思った。
「すいません!私のスマホでこの目覚まし時計と車と私、一緒に写真を撮ってくれませんか?」
彼は一瞬驚いたように不思議そうな表情を浮かべたが、私は微笑みながら「リリー」とのこれまでのことを話し始めた。
話を聞いた男性は優しく微笑み、スマホのカメラを構えた。
そして、虹を背景に、私とリリーの写真を撮ってくれた。
「よかったら…このカメラでも」
今度は一眼レフカメラでも写真を撮ってくれた。
やや下からのアングルの撮り方が、少しプロっぽいなと感じた。
「この時計は本当に素敵なアイテムですね」
撮り終わると男性は感心した様子で言った。
男性に話を聞くと、雨雲レーダーを見て虹が出るタイミングを予測し、この場所に来たという。
「すごい!雨雲レーダー作戦ですね。私なんて危険を察知してガムシャラでこの場所まで来ちゃっただけですけど…」
「…それは…ガムシャラ作戦ですね?」
「そんなのは作戦とは言えません!」
「…ですね…アハハハ」
「ふふふっ」
その後、虹が消えても、私達は一緒に空を見上げ、いろんな話をして過ごした。
車、クラシック音楽、演劇、映画の事など…。
話は弾み、空が暗くなるまで一緒にいても飽き足らず、私たちは連絡先を交換して別れた。
* * *
一眼レフで撮ってもらった、私とリリーの写真は
再び訪れた「時の結晶」で買ったフォトフレームに入れた。飾ってある場所はベッドサイドチェストの上。リリーの隣だ。
虹の下で笑う私は、今までの写真の中で1番輝いている様に感じた。
カメラマンの腕もいいのはもちろんだけど、リリーや虹、恋の予感を感じていた事など、全てが詰まっていたからだろう。
そして現在
ちなみに、この時出会った男性が私の旦那さん「健太」です。
この物語は、私とリリーと健太のちょっと不思議な出会いの物語です。
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