第6話
訓練所の主棟。その中央には、青白い光を帯びた巨大な水晶が据えられていた。そこに集められていたのは、百人を超える若者たち。貴族もいれば粗衣の者もいる。衣服や人種の違う者たちが、同じ空間に立っていた。
期待と不安が入り混じり、空気はざわめきに満ちていた。「静かにしろ!」と、剣を帯びた兵が怒号を飛ばす。だが、その声すら、ざわめきの渦に飲み込まれていった。
その空間で、クラウスは柱にもたれ、黙って立っていた。鎧は胸当てのみの簡素な物で、腰に下げているのは、レイナから渡された一本の直剣だけ。周囲の貴族たちは華美な装備に身を包み、互いの家柄を誇示するような会話に興じていた。
「あれ、クラウスじゃねえか。孤児に剣振らせて遊んでるって噂の」
「盗賊を狩った? どうせ部下の手柄だろ。自分は見てただけじゃねえの?」
低く囁かれる嘲笑が、空気の隙間を縫うように広がっていく。父親の評判は貴族の間で悪く、その影は、息子であるクラウスにも容赦なく降りかかっていた。
かつての自分なら、家の名誉を守るために憤っていた。だが今は、そんな言葉に心を動かされることもない。クラウスは視線を動かさず、ただ水晶の光を見つめていた。
巻き戻り前と同じように進めば、クラウスが与えられる役割は『暴君』だった。ここで発現するスキルによって、前線に立つか、補給部隊などの後方支援に回るかが決まる。言い換えれば、未来を決定づける岐路だった。
「名前を呼ばれた者から、水晶の前へ出るように!」
呼ばれた一人が、静かに水晶へと歩み寄り、手を添える。診断者の口元から「剣士」の声が漏れた。続けて「狩人」「調理師」「会計士」など、様々なスキルが次々と呼び上げられていく。
平民たちの表情は真剣だった。この診断で得た役割は、懲役期間が終わった後も、そのまま職業として割り当てられる。彼らにとっては、ただの儀式ではなく、人生を左右する選別だった。一方、貴族たちからは鼻で笑うような声が漏れていた。彼らにとっては、結果など飾りにすぎない。
水晶が、突如として強く輝いた。
「かの者のスキルは『勇者』である!」
神官の声が響いた瞬間、空気が張り詰める。視線が向けられたのは、擦り切れた衣服に身を包んだ青年、彼の名はルシアン。
集められた人々は息を呑み、次いでざわめいた。驚きと歓喜が、同時に場を満たしていく。
「本物か?」
「王国に希望が!」
クラウスは、何も言わずにその光景を見ていた。
ドラゴン襲来の混乱の中、ルシアンは王都護衛として引き抜かれた。そのしわ寄せは、クラウスの部隊に降りかかった。無茶な命令の果てに、部下たちは次々と命を落とした。そしてクラウスの命を奪ったのも彼だった。
騒めきの渦中、水晶が再び光を放つ。
「かの者の役割は『聖女』である!」
神官の声が場を貫いた瞬間、ざわめきが止まる。視線の中心で、少女は小さく頭を垂れた。その名は、シリル。
そして次の瞬間、建物はざわめきの奔流に飲み込まれる。
「勇者と聖女が同時に現れるなんて……神は俺たちを見捨てていなかったんだ!」
「これで魔族の奴らも終わりだな!」
周囲の興奮は、収まる気配を見せなかった。物語の主人公が二人も現れたのだ。誰もが根拠のない未来に酔いしれ、歓喜に身を委ねていた。
そして、クラウスの名前が呼ばれた。彼はゆっくりと前へ進み、水晶に手を置く。巻き戻り前の記憶が脳裏をよぎる。これから起きる沈黙の意味を、彼は知っていた。
「こっ、この者の役割は……『暴君』である……」
周囲からざわめきが起きる。
「他人を操って反乱を起こしたって噂を聞いたことがあるぞ……」
「そんな役割の奴なんて、さっさと憲兵に突き出してくれよ!」
声が漏れ、視線が突き刺さる。クラウスは何も言わず、水晶から手を離し、列へと戻った。その背に向けられる視線の意味も、彼にはわかっていた。
本来なら、治安を脅かす可能性のある役割は王国によって矯正される。だが戦火が激しくなってからは、そうした者は矯正の代わりに徴兵期間が延長される。つまり、排除ではなく、使い潰す方針に変わったということだ。
クラウスはその制度の歪みを理解していた。そして、今回も自分がその対象であることも。彼の目は、過去をなぞるように、次の展開だけを見据えていた。
役割付与が終わると、兵士の怒声が場の空気を切り裂いた。
「戦闘系スキル保持者は、第三訓練場へ走って向かえ! 規定時間を過ぎた者は食事抜きだ!」
ざわついていた空気が、一気に動き出す。
「え、マジ?」
「鎧どうする!?」
貴族の子息たちは、見栄で身に着けた華美な防具を見ながら顔をしかめていた。重い金属が体を締めつけ、走る前から呼吸は乱れている。
クラウスは黙って建物の外へ向かった。荷物は最低限で、装備もレイナから貰った剣に簡素な胸当てのみ、最初から走ることを前提に、無駄を削ぎ落とした装備だった。
訓練所での行動はすべて採点対象だった。その点数が、卒業後に部隊長へ推薦されるかどうかの指標になる。訓練所の卒業式では、王国の役人がそう告げていた。
そして、前回の一位はルシアンだった。平民出身の彼は、役割付与で勇者と告げられた瞬間から、勇者の加護を受けたことにより急激に実力を伸ばすことになる。
「悪いが、今回は譲れないな」
人ごみの中、クラウスはルシアンに視線を向け、小さく呟いた。前の世界で前線が崩れた原因は、勇者の離脱と部隊長の不在、その2つだった。どちらも、敗北の引き金となった要因だった。
足元に力を込めた瞬間、視界の端に見覚えのある後ろ姿があった。
小柄な少女が、大きめのリュックを地面に置いて、うなだれて立ち尽くしていた。茶色の髪に、ぴんと立った犬耳。亜人種のひとつ、<ハーフウルフ>族。
クラウスの記憶が、静かに反応する。その特徴だけで、彼は一人の名を思い出していた。
「えっと……その、第三訓練場って……どこ……? 走るって、今すぐ……?」
少女の名前はルゥ。巻き戻る前の世界では、クラウスの部下の一人として戦場に立っていた。
与えられた役割は『盗賊』。忌避されがちな立場だったが、彼女は明るく、真面目な性格だった。その姿を目にしたクラウスは、ふと昔の記憶を思い出す。
任務に失敗したあの日、ルゥはまるで世界が終わるかのような絶望の表情で、懇願してきた。普段は暴君と呼ばれるクラウスに怯え、最低限の会話だけで済ませようと立ち回っていた彼女が、涙ながらに訴えたのだ。
「鞭打ちでも我慢するから、食事抜きだけは許してほしい」
もちろん、クラウスにそんな罰を与えるつもりはなかった。だが、戦場に暴君として立つ彼の本心は、誰にも伝わっていなかった。
クラウスはルゥに近づき、無言のまま、大きく膨らんだリュックを肩に担ぐ。
「早く来ないと、飯抜きになるぞ」
振り返ることなくそう言い残し、クラウスは走り出す。ぽかんと目を丸くしたルゥは、一瞬その場に立ち尽くした。
「え、まって、えっ!? あ、待って待って!」
慌てて後を追いかけるルゥ。ぴょこぴょこと揺れる犬耳が、彼女の混乱を物語っていた。
「わたしの荷物!? 置いてかないでぇー!」
周囲の喧騒の中、クラウスは誰にも聞こえないほどの小さな声で、ふっと笑った。
夕食時の食堂は、ざわめきに満ちていた。テーブルを埋めるのは、役割付与の余韻と、走り込み訓練の疲労。
一位はクラウス・ローデル。二位はルシアン・グリード。成績一覧が読み上げられた瞬間、ざわめきは色を変える。
「勇者が一位じゃないのか……」
「誰だ、クラウスって……」
クラウスはそんな喧騒を無視して静かに食事を取っていた。その向かいでは、ルゥが頬を膨らませて座っている。
「で、君はなんなのさ!」
ルゥが口いっぱいにパンを詰めたまま、睨みつける。
「一位って、どういうこと!? なんかさ、走るのめちゃくちゃ速かったじゃん! リュック持ってたのに!」
クラウスは穏やかな視線を向けながら、静かに答える。
「食べるか、話すか。どっちかにしろよ」
「やだ。話しながら食べる。だって、これ食事抜きになったら、もう二度と食べられない気がするし……やだもん」
口調こそ怒っていたが、手は止まらなかった。少女は料理が好きだった。食べることも、作ることも。本当は調理師のスキルを望んでいた。けれど、発現したのは盗賊だった。
時間が巻き戻る前、そのことで貴族に絡まれていた姿を、クラウスはよく覚えている。
「喉に詰まらせないようにな」
怒りながらもパンを食べる姿に昔の記憶が重なって、クラウスはくすっと笑った。任務に失敗して泣きながら訴えてきたあの日も、少女は泣きながらパンをかじっていた。
「あーあ。調理師なら良かったのになぁ……」
「盗賊も別に悪いスキルじゃないさ。戦いだけじゃなく斥候や情報収集にも向いてる」
「斥候って何……?」
しばらく食事が続いたあと、クラウスはナプキンを畳みながら口を開いた。
「そういえば、名乗ってなかった。クラウス・ローデル。ローデル領の……まあ、一応、貴族だ」
ルゥは一瞬、目を丸くしたあと慌てて椅子を引いて頭を下げた。
「えっ!? 貴族!? ご、ごめんなさい、さっきちょっと失礼な口調だったかも!?」
「頭を下げなくていいよ。ここでは、ただのクラウスだ」
その言葉にルゥはじっと顔を見てから、すこし頷いた。
食堂の反対側では、勇者のルシアンが周囲に囲まれて拍手されていた。その隣には、時間内に走破できなかったはずの聖女が、特別枠で席についていた。
「なんかずるい……、聖女ってだけで食事抜き回避かぁ……」
ルゥが指を動かしながらぼやいた。クラウスは一度だけ、勇者と聖女の様子を確認してからルゥに視線を向けて言った。
「ルゥ。仲間にならないか?」
「へ?」
「少なくとも俺と一緒にいれば、食事抜きなんて罰を受けることはない。約束しよう」
ルゥはぱちぱち瞬きをしてから、にやりと笑った。
「いいね、それ。食事付きの仲間、乗った!」
クラウスは笑って小さく頷くと、最後にテーブルから目を離してひとりごとのように呟いた。
「……悪いがルシアン。お前には、ずっと二番手で居てもらうことにするよ」
騒がしい食堂の奥で、その言葉が小さく、確かに未来へ響いた——。
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