これが青春って言うのかな

第16話 帰ってきた日常

「やっほー清水君! 今日はね、鯖を焼くよ!」

 

 ニコニコの笑顔を浮かべながら、近所のスーパーで買ってきた鯖の切り身を見せつけてきた。

 あれから数日が経ち、俺と柚木さんの関係は元に戻った。

 夕方頃に家にやってきて夕食を食べて、柚木さんがシャワーを借りて少し雑談して終わるというもの。

 誰かからしたら何てことないものなのかもしれないけど、俺にとっては掛け替えないものだ。

 

 大切な物は失ってから初めて気づくとよく言うが、まさにその通りだと思う。


「どうしたの? もしかして鯖嫌い?」

「あ、ごめん。全然そういうのじゃなくて。……またこんな風になれて良かったな~って」

 

 じっくりと噛みしめるように言う。


「まだ言ってるの? 清水君って意外と重たいよね」

「これでも60キロないぞ?」

「体重の話じゃなぁい。……って、え? 60無いってマ?」


 目を大きく開けた柚木さんが台所からこちらへぐんぐんと近づいてきた。

 そして俺の目の前に立つと、鋭い目つきになりながら手を上に向かって仰ぐ。


「清水君、ちょっとスタンドアップ~」

「え?」

「スタンドアップ~!」

「わ、分かった分かった」


 いつにない圧を感じて俺はおとなしく立ち上がる。

 するとまるで舐め回すかのように柚木さんがジロジロと俺の体を見始めた。


「60キロ……」

「ゆ、柚木さん?」

「ちょっと触ってもいい?」

「別にいいけど」


 許可を出すとそのまま彼女の手が俺のお腹へと伸びた。

 他人に腹を触られる機会なんてないので、かなり不思議な感じだ。


 ……というよりめちゃくちゃ恥ずかしいな。


 許可を出してしまったし、本人も尋常じゃないくらい真剣な顔で触っているので止められない。


 ピンク色のネイルが腹をそっと撫でる。

 変にくすぐったくて変な声が出そうなのをグッと堪えた。


 な、なんなんだこの拷問は……。


「ねえ、清水君ってなんか運動やってる? めっちゃ腹筋綺麗じゃん」

「う、運動? 中学の時陸上部だったけど、それ以来は全然やってないな」

「それなのにこれって……。清水君才能あるんじゃない?」

「何の才能だよ」

「太らない才能?」

「おい、言い出しっぺが迷うな」


 明らかに語尾に?がついているような上がり方だった。

 思わずツッコみを入れたけど、彼女が言った通り体型などは一切変わっていない。


 丁度この前計った100mのタイムも現役の時とあまり変わらなかった。

 記録を見たクラスメイトからは「お前、意外と早いんだな!」というセリフを無限に言われた。

 まあクラスでいつも1人の奴が運動できるなんて思わないだろう。


「もう部活はやんないの?」

「今のところはね。走るのは嫌いじゃないからたまーに近所走ってたりするけど」

「うわ~すごっ。意識たかっ」

「意識の高い……のか?」

「だってウチ、運動しようなんて思ったこと無いもん」

「もしかして運動苦手だったりする?」

「体育祭なんて滅べばよくね?」

「うん。分かった。止めようかこの話」


 気軽に質問したら想像の50倍くらい殺意の高い解答がやってきた。

 直ぐ様話題転換を持ち掛けると、柚木さんは鯖パックを持ちながら台所へと戻る。


「でもさ~。あれじゃん~。そろそろさ~。体育祭あるじゃん~」


 不満を垂れ零すかのように語尾を伸ばしながら言った。


「そうだな。確か明日、競技決めだっけ?」

「……ウチ休もうかな」

「そうしたらリレーとかに入れられるぞ」

「マ⁉」


 首が吹っ飛んでしまってもおかしくないくらいの速度で振り向きながら大きく声を上げる。

 俺が言ったことは真実だ。

 リレーというのは体育祭の中でも花形の競技。

 それ故にめちゃくちゃ目立つため、前に出る人が少ない。

 だから出場を遠慮する人が多いのだ。


「じゃあ休めないじゃん~」

「楽そうな競技とか選んだらいいだろ? 借り物競争とか」

「て、思うじゃん?」


 若干食い気味に言葉を挟んできた。

 調理器具のお玉を持ちながら。


「でもさ、お題が『クラスの男子』とかだったらどうする⁉ ウチ絶対無理なんだけど!」


 空いた手で顔を抑えながら言う。

 そんな彼女を安心させたいと思ったのか、それとも自然にそういう思考が生まれたのか、自分でもよく分からない。


「……俺選べばいいんじゃないの?」


 しかし気づけばそう言い切る俺がいた。

 すると柚木さんは、きょとんとした顔をしながら動きを止める。


「……良いの? だって清水君、あんま目立ちたくないんでしょ?」

「まあ……そうだけど、別にどうしてもって訳じゃないし……。それに……」

 

 うっかりポロっと言いそうになった言葉を、咄嗟に飲み込む。

 怪しまれたかと柚木さんの方を見るとパーっと明るい笑顔を浮かべていた。

 

 ……どうやら聞かれていなかったらしい。


「じゃあもし書かれてたら清水君にお願いしよっ」

「まずそんな都合よく引けないだろ」

「それは分かんないじゃん! 引けるかもしれないでしょ」

「無理無理。現実はそんな甘くないって」

「そこまで言うなら! ウチ絶対借り物競争出るから! それで絶対清水君とゴールするから!」

 

 どうやら挑発し過ぎてしまったらしい。

 やべ、と実感した時には既に遅かった。

 ムキになった柚木さんが俺のことを指差しながら大声を上げながら言ってきた。


「……仮に紙に女子って書いてあったらどうするんだよ」


 最後の抵抗のように言い訳をする。

 しかしこれは抵抗などではなく、火に油を注ぐものであったと直ぐに分かった。


「その時には清水君にスカート履いてもらうから」

「いや何でだよ!」

「大丈夫大丈夫。ウチの奴貸してあげるから。それでゴールしたら判定くれるって」

「何で体育祭で女装してゴールしないといけないんだよ!」


 そんなことをやってもいいのはクラスの人気者というのが暗黙の了解で決まっているのだ。

 文化祭とかの企画で男子たちが女装、女子が男装みたいなことをするのも聞いたことがあるが、それられも全ての人間に求められているわけではない。

 悲しいことに女装を求められている男子とそうではない男子が存在しているのだ。

 当然のことながら俺は後者である。


「いいじゃん。次の日から人気者になれるよ」

「世の中そんな甘くないんだよ! 俺が女装なんかしたらもっと距離取られて終わるだけだ」


 『基本的に喋らないけど無害な人』という認識から『いきなり女装をするヤバい奴』というものになってしまう。


 他人からの印象やイメージなんてものは山の天気のように変わりやすいのだ。


「だから女装だけは勘弁してください。お願いします」


 土下座するような勢いで床に這いつくばり、両手を合わせて懇願する。


「やーだ。もうウチ絶対清水君に女装させるし。もう決めたもん」

「いや待て、それは目的変わり過ぎてるだろ」


 もう借り物競争の要素が無くなってしまっている。

 でもそれを強く言い過ぎても逆効果な気がするし……。

 どうしたものかと頭を抱えていた時、苦さを思わせる匂いが鼻を突き抜ける。


「……なんだこの匂い」

「あっ、ちょっと待って! 鯖焦げてる!」


 焦りながら急いで魚焼きグリルを開ける柚木さん。

 この角度だとどんな状態かは分からないけど、匂いと彼女の口振りから察するに真っ黒になっているのだろう。


「……大根おろし乗っければ白くなるよね」

「そうやって力業で乗り切ろうとするの嫌いじゃない」


 結局、この後に俺は柚木さんが他の料理をしている間にひたすら大根をおろした。

 おろし金なんて持っていなかったけど、それは柚木さんが家から持ってきてくれた。


 そう言えば小学校の時にこんな感じで手伝ったことがあったなぁ。

 なんてことを思いながら大根をガシガシとおろし続ける。

 借り物競争だの、女装だのの話は一旦終了となったようであれ以上は続かなかった。


 後半に関しては記憶から無くなって欲しいけどね。

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