相棒はAI 〜還暦サラリーマン、逆襲の撤去指令
@5969
第1話 「還暦の夏、逆襲の予兆」
アスファルトが陽炎を揺らし、蝉の鳴き声が耳をつんざくように響く。
2025年8月20日、横浜の下町は、例年にも増して容赦ない暑さに包まれていた。
気温はすでに36度を超え、空気はまるで熱風のように肌を刺す。
鈴木正義(59歳)は、額の汗をタオルで拭いながら、古びた鉄工場の門をくぐった。
10人ほどの職人が働くこの町工場「田村鉄工場」は、彼が何度も足を運び続けた営業先だった。
清涼飲料水の自販機設置を提案するため、月間ノルマ3台を追い続けている。
工場の奥から、社長の田村が現れた。白い作業着の胸元には汗染みが広がり、顔にはどこか柔らかな笑みが浮かんでいた。
「鈴木さん、今日も暑い中ありがとう。
実はね、うちもそろそろ自販機を置こうかって話になってね。
いろいろ検討したけど、やっぱり鈴木さんのところにお願いしようと思ってる」
その言葉に、正義は一瞬だけ目を見開いた。だがすぐに、にこやかな表情を作り、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、田村社長。ご決断いただき、心から感謝します。必ずご満足いただけるよう、しっかり対応させていただきます」
その笑顔の裏には、安堵と誇りが滲んでいた。何度も断られ、何度も足を運び、ようやく掴んだ一件。汗と誠意が報われた瞬間だった。
工場の片隅に、設置予定のスペースを確認しながら、鈴木は心の中で静かに呟いた。
――まだ、俺は現役だ。
かつては営業部のエースと呼ばれた男も、今は“還暦目前、灼熱の街を歩いている。
工場を後にした正義は、日傘を差す女性たちの間を縫うようにして駅へ向かった。
ネクタイの締め付けが、いつも以上に重く感じられる。空を見上げれば、さっきまで晴れていたはずの空が、突如として鉛色に染まり始めていた。
遠くで雷鳴が鳴り、風が湿った空気を運んでくる。次の瞬間、バケツをひっくり返したような雨が容赦なく降り注ぎ、正義のスーツを瞬く間に濡らしていった。
傘を持っていなかった彼は、軒下に駆け込むこともせず、ただ立ち尽くした。冷たい雨粒が顔を打ち、背中を叩く。まるで、何か大きなものが彼の行く手を阻もうとしているかのようだった。
水たまりに映る空は、どこまでも暗く、どこまでも深い。雷鳴が再び轟き、正義は思わず目を閉じた。この雨は、ただの天気ではない。
彼の未来に立ち込める不穏な影――そんな予感が、胸の奥に静かに広がっていった。
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