誰そ彼チャンネル 再生リスト全動画文字起こし

常陸 花折

文字起こしの経緯

 最初にその噂を見たのは、夏の終わり、台風が通り過ぎた後の深夜のことだった。私はノートパソコンの前で、架空の心霊スポットを題材にした短編連作のネタを箇条書きにしては消し、消しては書いていた。地名は伏せ、現地の「曰く」だけを抽出して組み替える。そんな机上の切り貼りに、どうにも体温が乗らない。実際に歩いた人間の呼吸や、足音や、躊躇いの跡が欲しい――そう思って検索窓に打ち込んだ単語列の先に、匿名掲示板のスレッドがひっかかった。


 「心霊スポット総合」だとか「オカルト動画ウォッチ」だとか、似たようなスレがいくつもある。その一つを開くと、スクロールの浅い位置に、強い言葉が置かれていた。


――――――――――――――――

【スレッド:オカルト動画ウォッチ Part.97】


1 :名無しの観測者:2025/08/24(水) 01:12:05.67 ID:7xH***

誰そ彼チャンネル、100ヶ所制覇したら全員失踪ってマジ?


2 :名無しの観測者:2025/08/24(水) 01:14:33.20 ID:Qkz***

ソースどこ?


3 :名無しの観測者:2025/08/24(水) 01:20:11.88 ID:B2h***

Twitterで家族っぽいアカが捜索願のポスト→すぐ鍵。魚拓はない。けど最終更新から一週間以上止まってるのは本当


4 :名無しの観測者:2025/08/24(水) 01:27:40.51 ID:3mM***

100ヶ所目で途切れてる。シリーズ名「誰そ彼―百ヶ所語」。最後のタイトルが「R県のM峠旧トンネル(仮)」になってて、動画説明も未入力のまま


5 :名無しの観測者:2025/08/24(水) 01:35:02.41 ID:uP4***

チャンネルもプレイリストもまだ生きてるね。「【古い順】百ヶ所語全動画【作業用】」ってやつ。今見たら137本ある。前後編とコメント検証回が挟まってるから100越えてるけど行ったスポットは100ヶ所っぽいね


6 :名無しの観測者:2025/08/24(水) 01:42:51.96 ID:ZfS***

あの三人でしょ? チャラいの、ビビり眼鏡、機材のオカルトマニアな人。あんま騒がしくないし茶化さない感じで好きだったけどな


7 :名無しの観測者:2025/08/24(水) 02:03:18.71 ID:7xH***


>6

そう。その三人。100スポ目の直前から音声に変なノイズ入ってるってコメント欄荒れてた

茶化さない感じっていうか、俺は逆に真剣過ぎて不気味だなって思ってたな


8 :名無しの観測者:2025/08/24(水) 02:15:09.03 ID:aa9***

「失踪」は言い過ぎ。休止かもだし、案件の撮影で地方飛んでるとか。安易に騒ぐのやめようぜ

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 読みながら、背筋の内側が冷えていくのと同時に不謹慎にも興奮を感じた。噂は噂だ。だが、そこに具体的な固有名が付いてしまった瞬間、私の中で「ネタ」と「現実」の境目が細くなる。誰そ彼たそがれチャンネル――薄明時、昼でも夜でもない、そのあわいの時間帯。霊にとっても、人にとっても、境界線がいちばん脆くなる刻限だ。名前からして物語的で、私好みの匂いがした。


 私はスレのリンクを辿り、動画共有サイト内でそのチャンネルを探す。意外とすぐに見つかった。登録者数は多すぎず少なすぎず、アイコンは夕焼け空の下で三人のシルエットが並ぶもの。チャンネルの概要欄には簡潔な自己紹介――「三人で心霊スポットに伺い、現地の由来・逸話・歴史を調べ、現地での感じ方と併せて記録します。できる範囲で関係者や地域に配慮しての撮影を行っています」――と書かれている。言い回しが潔くて、私の指先が少し熱くなる。こういう温度でやっている人たちの言葉は、自身の創作に対するスタンスに突き刺さる。


 すぐに「再生リスト」のタブを開く。「【古い順】百ヶ所語全動画【作業用】」というプレイリストが最上段にあった。クリックすると、サムネイルが縦に長く並ぶ画面が現れる。驚いたことに、最初に投稿した数十本が上に、最新が一番下――つまり、過去から現在へ順序よく辿れるように几帳面に並べてある。YouTubeの全動画再生リストは新しい順になっているチャンネルも多く、中身を確認してがっかりすることも多いのだが、このチャンネルは違った。

 総数は、再生リストのサムネイル右下の数字が示していた。「137の動画」。掲示板の住人の言うとおり、前後編や、視聴者コメントを検証する回が挟まっているため、スポットの数よりも動画数が多いのだろう。


 最初の数本をスクロールで流し見する。タイトルの並びだけで、彼らの方針が輪郭を見せる。「#001 S県R市のM病院跡―取り壊されたはずの窓」「#002 T県T市の廃遊園地―観覧車の音」「#003 N県H峠のトンネル―落書きの年代を読む」……地名は伏せ字にしてあるが、説明文には「地元史料に当たりました」「当時の新聞縮刷版より」などの文言が見える。単に行って叫ぶだけの動画ではなさそうだ。


 サムネイルに写る三人の佇まいも、煽りよりは手順と礼儀が勝っている。オープニングの決め台詞は短い。「誰そ彼チャンネル、ソラです」「リクトです」「リンカです(画面外からの声)」。先に見た掲示板の通り、ソラは明るい口調だが、彼の言葉の末尾には「ふざけない」という決意の重みが微かに乗っている。リクトは視線が揺れて、音に敏感で、踏み出す前の沈黙が長い。リンカの声は淡々として、機材チェックと情報の提供を同時にこなす冷静さが耳に残る。なにより、一本一本に「考察パート」が付いている。現地の「曰く」をただ並べるのではなく、映像の中で検証方法を選び、結果を受け止め直す時間がある。この構造があるだけで、動画というより記録調書の匂いになる。


 私はそこで、決めた。創作のために、彼らの全行程を時系列で辿る。上澄みの恐怖ではなく、実際に心霊スポットへ踏み込んだ人間の一挙手一投足を描写するために、三人の呼吸や歩幅、言葉の選び方を採取する。あとでプロットに移し替えられるよう、簡単な文字起こしも付ける。逐語ではなく、場面ごとの要点と指示語の関係、沈黙の長さ、足音の間隔――私が小説に変換するときに役立つ骨組みを、抜き取るように。「物語」にするように。


 作業用のノートを新しく分ける。見出しに「誰そ彼チャンネル/全動画視聴メモ」と打ち、ページの最上段に、件の掲示板の書き込みを引用しておいた。噂の出所はすぐに消える。だからこそ、今ここに記しておく必要がある。信憑性の判断は後回し。まずは材料を集める。


 私はプレイリストを一番上まで戻し、最初のサムネイルにカーソルを重ねる。公開日は三年前の春。動画の概要欄は、下部注意書きや仮説、資料の出典こそあるものの動画自体の説明文は短い。「初回。三人で『S県のM病院跡』へ。現地の記録は少ないが、事故記事の縮刷版あり。コメント欄に情報ください。」そこに、彼らの態度の原点があるように見えた。知らないことを知らないままにしない、わからないものをわからないと言う、そして見えないものの側にも言葉を与えようとする――そういう姿勢が。


 スクロールを少し進めると、十本目あたりに早くも「コメント検証#1」というタイトルが挟まっていた。視聴者からのコメント指摘があって、彼らは再度現地に赴き、撮影をしなおしたり、音声や動画を再確認して「これは自分の声(や影)なので霊現象ではない」と否定したりと検証を行っているらしい。こういう愚直さは、小説の中で信頼できる「声」になる。私は自分の作品で、いつもその種の声を探している。


 気づけば、掲示板の画面に戻っていた。先ほどのスレッドはさらに伸び、憶測と善意の助言と不謹慎な悪ふざけが、いつもの比率で混ざっている。だが、一つだけ、意味のある書き込みがあった。


――――――――――――――――

23 :名無しの観測者:2025/08/24(水) 09:18:55.88 ID:WkU***

失踪云々はさておき、プレイリストが古い順なのは助かる。あれは何というかさ、旅路の記録だよな。最初から見ると、三人の歩き方が変わっていくのがわかる。怖さに慣れたんじゃなくて、「考える」のと「感じる」ことに体が順応していってるっていうか。なんか感性が刺激されるような感じ。創作やってるやつは見た方がいいって思ったわ。

――――――――――――――――


 創作やってるやつ。まさに自分のことを指されている気がして、私は思わず笑ってしまった。知らない誰かの指差しに背中を押されるとは。


 同時に、噂のことも頭の端で脈打ち続けている。100ヶ所目。もし本当にそこで途切れたのだとしたら、その前の動画には何かしらの兆しが映っているはずだ。音声に、映像に、コメントからも何かが読み取れるかもしれない。これは、私にとって純粋に創作の技術訓練でもあるし、ひょっとすると、彼らが「わからないまま」置いていったものに、説明を付けることができるかもしれない。彼らが考察を続けたように。


 私はもう一度、プレイリストの最下段――最新のサムネイルに目を落とす。タイトルは確かに「R県の峠トンネル(仮)」。説明文は空欄のまま。視聴回数の数字だけが、ぼんやりと増え続けている。コメント欄は静かだ。最新のコメントが一週間前。「無事ですか?」という短い問いに、返信はない。


 順番を乱すのはやめよう。旅は出発点から始める。私は急いで愛用のヘッドホンをPCに繋いでから、再生リストの最上段に戻り、一本目の動画をクリックした。画面が切り替わり、夜の張りつめた空気が耳に流れ込んでくる。小さく吸い込む息、足元の砂利の擦れる音、遠くの国道の低いうなり。やがて、マイクの近くで、若い男の声が言う。


「誰そ彼チャンネルのソラです。はじめまして。今日は、S県のM病院跡に、お邪魔します。三人でここにかつて在った時間のこと、なるべく真摯に考えて向き合いたいと思います」


 私はすぐに一時停止し、ノートに日時とタイトル、冒頭の台詞を書き写した。文字起こしは、音の間を慎重に取る。後で小説の文章に変換するとき、この間を借りることでリアリティのあるものができるからだ。音や景色の描写も台本のト書きのような文体ではなく、私が画面を見た主観で書く。動画をそのまま「物語」として描くように。


 再生。ソラの声は、明るいのに沈んでいる。リクトは驚くと大きな声を出すが、その直前に必ず「止まる」。リンカは必要以上の言葉を使わない。歩く速さは最初、三人で揃っていない。やがて、検証の段取りに入ると、歩幅がそろう。――こうした些細な変化が、二本目、三本目と進むうちに、どう変わっていくのか。私はそれを追うのだ。


 この先、百ヶ所目に辿り着くまでに、どれくらい彼らの呼吸は変わるのだろう。噂の真偽はまだわからない。わからないからこそ、順序よく見て、書き移す。私にできるのはそれだけだ。

 私は、エンターキーを押して動画を止めたまま、自分のノートの表紙に一行加えた。


 ――これは創作のための採集だ。同時に、彼らの旅路の写し取りでもある。


 もう一度、エンターキーを押した。乾いた打鍵の音のあとに、三人の周囲に纏う夜の気配が、画面いっぱいに広がった。

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