【第4話】言葉のすれ違いと、傘の影



午前中、俺は全力で家の仕事を終わらせた。



終わってはいない。終わらせた顔をしただけだ。



なぜなら、今日も丘に行くからだ。傘隊長、出動準備完了。



約束の時間に、いつもの場所へ行くと、リリィはすでにいた。



白い日傘。刺繍の縁が、微かに光を弾いている。



「おはよう! リ──」



「おはよう、アレン。」  



先に呼ばれた。負けた。完敗だ。  



でも、声のトーンが、昨日よりほんの少し低い気がする。



気のせいか?



「今日はさ、風がちょっとおとなしいんだ。散歩には最高だと思う」



「そう……ね。」



返事が短い。笑顔もある。でも、笑いの後に「……」が入る感じ  



気づかないふりで、俺は続ける。



「じゃあさ、今日はちょっと遠回りしてみようよ。昨日案内しきれなかったとこもあるし!


たとえば町の奥の噴水広場とか、陽当たりが良くて気持ちよくて──」



リリィの足が止まった。  



言葉は、まだ出てこない。



「……リリィ?」



「ごめん。あの……今日、あんまり陽が強いところは……」



「あっ、そっか。日差しキツいの苦手なんだよね。 でも大丈夫、傘あるし!


 この前職人さんが完璧に直してくれたし、完璧防御モードだよ!」



 笑ってみせた。冗談のつもり。



空気を軽くしたい一心。




でも、リリィは笑わなかった。



 ちょっとだけ、目を伏せた。



「……傘があれば大丈夫、って、そういうことじゃないの。」  



その声は、針の先みたいに細かった。



 あ、やばい。  俺、何か言っちゃいけないこと、言った?



「ご、ごめん。悪気はなくて、その、なんていうか……。」



「ううん、アレンは悪くない。わたしが……わがまま言ってるだけだから。」



そう言って笑ったけど、その笑顔は明らかに“ごめん笑い”だった。



空気が、かすかにずれる。



会話の波長が、ひとつ外れる。  



それでも俺は、軌道修正を試みた。なんとか、いつもの距離に戻したかった。



「じゃあさ、またあの店の通りでも行く?


 ほら、道具屋の近くのさ。人も少ないし、屋根も多いし。」



「……うん。そうだね。」  



歩き出す。



日陰ルート。警護ルートA、発動。  



でも、リリィの歩幅が今日は遅い。俺の半歩後ろ、じゃなくて、一歩後ろ。



並びたいけど、無理に並ぶと歩きづらくなりそうで、足並みを揃えづらい。



「……さっき、言ってた噴水の場所。アレンは好きなの?」



「ん? ああ、うん。天気がいい日って、空が水に映って、風が吹くとキラキラして……。


それに、子どもたちがはしゃいでるのとか見てると、なんか元気出るっていうか……。」  



言いながら、なんか違う気がした。  



リリィは、たぶん、そこで“元気”を感じない。



「……あのね、アレン。」  



リリィが立ち止まった。



俺も止まる。



「アレンの言ってることは、きっと普通の人には、当たり前のことなんだと思う。」



「う、うん……?」



「でも、わたしには、ちょっと苦しいの。陽が強いと、息が浅くなるし、


目が痛くなるし、影が消えると不安になる。」



「そっか……。」  



なんて返せばいいんだ?



理解したい。でも、たぶん、俺はまだ全然わかってない。



「でも、アレンは悪くないの。わたしのほうが、ちょっと変なんだと思う。だから……。」  



その先の言葉が出る前に、俺の口が勝手に動いた。



「いや、変とかじゃないって! 俺だって、朝布団から出るの苦手だし、


太陽が眩しすぎて目を開けられない日あるし!」



「……それとこれとは、ちょっと違うよ。」



 きた。真正面からの“違う”が。  それでも、俺は止まれなかった。



「でも、せっかく綺麗な日なんだから、少しぐらい陽に当たっても──」



リリィが、顔をそむけた。



「……もういいよ。」  



声が小さい。怒ってる声じゃない。



でも、拒絶の温度だった。



「リリィ……。」



「今日は、もう帰るね。」



それだけ。  





それだけ言って、リリィは背を向けた。



いつもより早い足取り。傘の影が、ぱたんと閉じたみたいに、すっと遠ざかっていく。



俺は、その後ろ姿を追えなかった。  



足が、動かなかった。



(……やっちゃった)  



言葉を間違えた。  優しさのつもりが、押しつけになった。



俺はリリィの何を、どれだけ、わかってたつもりだったんだ。  



風が吹いた。  風見鶏が一度だけ回る。いつもより、重い音だった。




翌日





俺はまた丘に登った。



昨日は眠れなかった。  足取りは重い。心臓は早い。



その先に──白い傘。



「リリィ!」



声が勝手に出た。  



駆け寄る。転びかける。セーフ。奇跡。



この勢いでまた膝を落としたら、俺の謝罪は物理的に土下座になるところだった。



リリィは振り返り、驚いたように瞬きをして、 それから小さく笑った。



「……アレン。」  



名前を呼ばれただけで、胸が跳ねた。



 昨日の冷たい空気が、ほんの少し溶けた気がした。



「昨日は……ごめん。」  



言葉が転がり落ちる。



「俺、ちゃんと考えずに言っちゃった。」



深々と頭を下げる。  



リリィは傘を握り直し、静かに首を横に振った。



「ううん。私も……言いすぎた。ごめんね。」  



その声に、胸がすっと軽くなる。



 空気が、少しだけやわらぐ。



「じゃ、じゃあ仲直り?」



「ふふ。そうね。」



小さな笑い。よし、成功。



「……よかった。俺、昨日からずっと“丘の出禁”を想像してたんだ。」



「出禁?」



「そう。ここに柵立てられて、“アレン立入禁止”の札が……。」



「それは、ちょっと見てみたいかも。」



「見たいの!?」



肩の力が抜けた。二人して笑った。



(よし……これで大丈夫。昨日はリセット。今日からはまた普通に。


会話ポイントもゼロから再スタートだ!)



勝手に「第2シーズン開幕」の鐘を鳴らして、俺は深呼吸。



「でもさ」  



空を見上げた。  春の日差し。柔らかくて、まぶしい。




「やっぱり……陽に当たるのって、いいもんだな。気分も明るくなるし。」  




──その瞬間。






リリィの肩がぴくり、と震えた。  笑顔が止まる。



傘を握る指が、白くなるほど強くなる。  



傘が影を濃くし、顔の半分を隠した。



「……アレン。」



声が低い。張りつめてる。  



俺の胸に、冷たいものが落ちた。



「え、あ、いや……その……。」  



慌てて言葉を継ごうとする。



「元気になるっていうか……誰でも陽の下にいれば──」



「……そう。誰でも、ね。」  



リリィは目を伏せた。  



一拍置いて、かすかに笑った。



けれど、それは柔らかさじゃなく、痛みを含んだ笑みだった。



「わかってる。あなたに悪気がないのも。」  



小さな声。



「でも……あなたにだけは、そんなこと言ってほしくなかった。」



胸の奥を、強く突かれた。  



俺は固まる。言葉が出ない。



「リリィ、俺は──」



「……もういいの。」



彼女は傘を傾けて、背を向けた。



影が草の上を滑り落ちていく。  白い傘が、一瞬だけ光を跳ね返した。



「リリィ!」



呼んだ。けど振り返らない。



歩幅は小さい。けれど、確かに遠ざかっていく。



「待って! 俺、ほんとに悪気なんか──」



「わかってる。でも……」  



その声は風にさらわれた。



続きを聞き取れなかった。 (追え。いや、でも……)



足が一歩も出なかった。  声だけが宙にぶら下がったまま。



風が一気に強く吹いた。  



風見鶏がからり、と鳴った。  けれどその音は──俺には届かなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る