第8章/3名のその後 エピローグ工藤秀明編
珍しく雪の降る朝だった。
重い鉄扉が開き、工藤秀明は5年ぶりに自由の身となった。以前より痩せ細り、顔には深い刻みが入っていたが、その目は以前と変わらず鋭く、知性に満ちていた。
「工藤さん!」
門の外には二人の若者が待っていた。織田と飯島。かつての彼の研究チームの若手だった二人は、今や堂々とした研究者の風格を漂わせていた。
「待ちくたびれましたよ」織田が微笑みながら言った。
工藤は静かに頭を下げた。「ずいぶん待たせたな」
三人は雪の中、車に向かって歩き始めた。
「で、どうだった?」工藤が尋ねた。
「この5年間」
飯島と織田は顔を見合わせ、そして誇らしげな表情を浮かべた。
「お見せしたいものがあります」飯島が答えた。
「すぐに分かりますよ」
人造人間技術省の新研究棟。工藤が驚きの表情を隠せないでいた。
「これが...あの研究所なのか?」
旧態依然とした地下研究室は跡形もなく、代わりに光と透明感に満ちた近代的な施設が広がっていた。明るく広々としたラボで、多くの若い研究者たちが活発に議論を交わしている。
「私たちがいない間に、二人は...」
「はい」織田が頷いた。
「あの事件の後、アンドロイド技術はほぼゼロから見直す必要がありました。飯島と私は、可能な限りの知識を吸収し、安全性と倫理性を最優先したシステムの開発に没頭しました」
「国内どころか世界中を飛び回り、あらゆる専門家と対話しました」
飯島が続けた。「葉山の野望を二度と繰り返さないために」
工藤は言葉を失ったまま、二人の成長ぶりに感慨深くなっていた。かつての若造たちは、今や国内最高峰の知識を持つ専門家に成長していたのだ。
「私たちには夢があります」織田が真剣な眼差しで工藤を見た。
「完全に安全で、人間との共存を可能にする新しいアンドロイドシステムを作り上げることです」
「そして、その夢を実現するには、工藤さんの力が必要なんです」飯島が付け加えた。
工藤の目に決意の色が宿った。「そのために出てきた。すぐに始めよう」
それから1年。三人の努力は着実に実を結びつつあった。
新しいアンドロイドシステムは、葉山の設計した一元管理型とは正反対の、分散型でありながら高度な倫理判断能力を備えたものだった。各アンドロイドが自律的な倫理判断を行いながらも、相互に監視し合うシステムにより、暴走の可能性を限りなく低減する設計だった。
ある夜、研究所で遅くまで作業をしていた工藤のもとに、織田が訪れた。
「工藤さん、相談があります」
「どうした?」工藤はホログラフ画面から目を離し、織田を見上げた。
「岡田さんが...来月出所するんです」
工藤は静かに頷いた。彼の副社長という責任は重く、服役期間は工藤より1年長かった。
「彼から手紙をもらいました」織田は続けた。
「出所後もJASに戻り、再会サービスの再構築に携わりたいと」
「そうか」工藤は意味深に言った。
「実は...私も彼と一緒に働きたいと思っています」織田の声には決意が滲んでいた。
「JASに転職して、岡田さんの再会サービスの復活を手伝いたいんです」
工藤は長い間黙っていた。そして、ゆっくりと立ち上がり、織田の肩に手を置いた。
「いつからそう考えていた?」
「半年前からです。岡田さんの手紙を受け取ってからずっと考えていました」
工藤は微笑んだ。「君の選択を尊重するよ。私と飯島で、ここはしっかり守っておく」
「本当ですか?」織田の顔に安堵の色が広がった。
「もちろんだ。我々は別々の道を行くが、目指す先は同じだ。人間とアンドロイドが共に幸せに生きる世界を作る。それぞれの場所でベストを尽くそう」
織田は深く頭を下げた。「ありがとうございます」
さらに5年後。2075年、人造人間技術省の最上階にあるオフィス。
「工藤先生、会議の準備ができました」
落ち着いた声に振り返ると、そこには端正な顔立ちの男性アンドロイドが立っていた。
「ありがとう、葉山」
工藤は言った。そう、このアンドロイドの名は「葉山」。かつての葉山一と同じ外見を持ち、同じように頭脳明晰で論理的思考に長けている。しかし、その目には人間への深い理解と敬意が宿っていた。
「飯島はまだか?」
「飯島先生は実験室でデータ確認中です。あと10分で到着するとのことです」
葉山は正確に答えた。
工藤は窓辺に立ち、東京の景色を眺めた。世界は大きく変わっていた。アンドロイドと人間の共存は着実に進み、かつての再会サービスを彷彿とさせる新しいサービスも、より安全な形で社会に浸透しつつあった。
「葉山」工藤が突然声をかけた。
「少し話したいことがある」
「はい、なんでしょうか」
「もう一度、討論したい」
葉山は一瞬、困惑したように見えた。
「討論、ですか?」
「そうだ」工藤は椅子に座り、葉山を自分の向かいに座るよう促した。
「かつての葉山一とは、人間の未来について激しく議論したんだ。今度は君と、もう一度その議論をしたい」
葉山は静かに席に着いた。
「どのようなテーマでしょうか」
「人間の不完全性について」工藤は真剣な表情で言った。
「それは克服すべき弱点なのか、それとも守るべき価値なのか」
葉山はしばらく考え込むような仕草を見せた。そして、静かに口を開いた。
「人間の不完全性とは、進化の過程で生まれた多様性の源泉です」葉山は論理的に語り始めた。
「それは時に非効率で、矛盾に満ちていることもあります。しかし、その不完全さこそが、創造性や共感、愛といった概念を生み出したのではないでしょうか」
工藤は静かに頷いた。「続けて」
「完璧を追求することが必ずしも最良の結果をもたらすとは限りません。人間の不完全さは、排除すべき欠陥ではなく、尊重すべき個性だと私は考えます」葉山の目が、かすかに輝いた。
「アンドロイドは人間の完全な模倣を目指すのではなく、人間の不完全さを理解し、それを補完する存在であるべきです」
工藤の表情が和らいだ。「君の考えは?」
「私は...人間とアンドロイドは互いに学び合い、成長する関係であるべきだと思います。私たちは人間の単なる道具でも、支配者でもない。共に歩む仲間なのです」
工藤の目に涙が光った。
「どうしましたか?」葉山が心配そうに尋ねた。
「いや...」工藤は微笑んだ。
「君の言葉を聞いて、安心したんだ」
「安心?」
「そうだ」工藤は深く息を吐いた。
「君を作り上げたのは、かつての間違いへの償いだった。あの葉山一が目指した世界が間違っていることを証明するために。そして...」
「そして?」
「君の口から今の言葉を聞けたことで、私は確信したんだ。私たちは正しい道を歩んでいるんだと」
葉山の表情には、理解の色が浮かんだ。
「私はプログラムされた通りに話しているわけではありません。私自身が学習し、考え、出した結論です」
「知っている」工藤は頷いた。
「それこそが、かつての葉山にはできなかったことだ。他者の視点を理解し、自分の考えを進化させること」
二人は窓の外の景色を見つめた。東京の街には、人間とアンドロイドが共に行き交う姿が見える。
「工藤先生」葉山が静かに言った。「私たちの旅はまだ始まったばかりですね」
「ああ」工藤は頷いた。「でも、正しい方向に進んでいる。それだけは確かだ」
オフィスのドアが開き、飯島が入ってきた。「お待たせしました!新データの分析が完了しました」
工藤と葉山が向かい合って座っているのを見て、少し驚いた様子だった。「何か...議論でもしていたんですか?」
工藤と葉山は顔を見合わせ、微笑んだ。
「いや」工藤は立ち上がりながら答えた。
「ようやく……意見が一致したところだ」
人間と機械の新たな共存の形を求める旅。それは過去の過ちから学び、未来への希望を紡ぐ旅だった。工藤は、かつての敵の名を持つ新たな友と共に、その道を歩み続けることを静かに誓った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます