ぐるぐるストーリーテリング
ホットコーヒーを脇に置いて、私は読書に耽っていた。梓は薄めの文庫本を開いてそれを読んでいた。梓はなぜか見るからに難しそうな本にばかり興味を示すので、私はそれを制し、読みやすそうなものを見繕って梓に薦めた。部室のソファーで、弦谷先輩は葉上先輩に膝枕をして葉上先輩が目を覚ますのを待っていた。程なくして、葉上先輩は目を覚ました。
「ん、あれ……私どうしてたんだろう?」
葉上先輩はそう呟きながら目をこすって上体を起こそうとした。それを見て弦谷先輩が安堵したように息を吐いた。
「よかった、目が覚めた」
「あわ、あわわわわ……!」
葉上先輩は弦谷先輩の顔と弦谷先輩の太ももを交互に見て、顔を紅潮させた。弦谷先輩に膝枕をしてもらっていたことに興奮しているのだろう。興奮しすぎて、また気を失われては面倒なので、私は葉上先輩のもとに行って頬をぺちぺちと叩いた。すると葉上先輩は痛そうに顔をしかめた。「いてて」
恐らく、弦谷先輩のビンタがまだ痛むのかもしれない。確か弦谷先輩がビンタしたのも、こちら側の頬だった気がする。私が頬を叩いたお陰で、葉上先輩は気を失わずに済んだようだ。葉上先輩は弦谷先輩の膝の上に寝たまま、弦谷先輩の太ももを撫で始めた。
「張りがあって、けど柔らかさもある、しっかりした太もも……」
弦谷先輩はそれを見て笑った。
「あはは、瑠美は本当に変態だねー」
「なっ! 変態!?」
葉上先輩はがばっと身体を起こして、驚きの表情を浮かべた。が、すぐににやけだした。
「変態って罵られるのも、悪くないわねぇ……」
「「気持ち悪っ」」
私と梓の声がハモった。私も梓もドン引きといった感じで、顔を青ざめさせた。罵られて興奮を覚えるとは、結構ねじ曲がった性癖なのではなかろうか。葉上先輩は恋愛対象が女の子(まだ確証があるわけではないが)だし、罵られて興奮するし、かなり特殊な性癖の持ち主なのではないかと思った。レズでドMで多重人格とは、少々個性としては行き過ぎている気がする。葉上先輩が、改まったように咳払いをした。
「こほん……ところで、今年はまだリレー小説をしてなかったわよね?」
「あーそうだね。新入部員も来てくれたことだし、やろっか」
そういうと弦谷先輩は立ち上がってデスクに腰掛け、デスクの下にあるデスクトップPCの電源を入れた。モニターに火が入り、メーカーロゴが表示される。すぐにOSが立ち上がり、デスクトップ画面が表示される。弦谷先輩は手際よく、テキストエディタを起動した。私が弦谷先輩に聞いた。
「何をするんですか?」
「リレー小説、って知ってる? 順番にみんなで一つの小説を書いていくの。特にルールとかはなくて、自由に思いついたものを書いてくれればいいよ」
「へえ、楽しそうですね」
「トップバッターはあたしか、瑠美にしようか。どうする?」
弦谷先輩が首を回して問いかけた。
「私から書くわ」
それを聞いて弦谷先輩はおっけー、と言いながら葉上先輩に席を譲った。葉上先輩は椅子に腰掛けてから、顎に手をやって少し考え込むとすぐに文字を打ち込み始めた。真っ白のテキストエディタの画面に、次々と文字が打ち込まれていく。葉上先輩のタイピングは目に見えて速く、素早い指の動きで小気味良いタイピング音を響かせた。画面にはこう書かれていた。
”柏木朱里は高校二年生。彼女には好きな人が居たが、中々気持ちを打ちあけられずにいた。彼のことを好きになってから、かれこれ半年が経ってしまい、気づけば高校二年生になってしまっていた。”
皆モニターを覗き込んだ。それを見て弦谷先輩が言った。
「恋愛ものでいくんだね」
「次はるーくんが書く? それから新入部員の二人に書いてもらおうかしら」
「おっけー」
弦谷先輩がそう言うと、今度は葉上先輩が席を譲った。弦谷先輩は座るやいなや、迷うことなくキーボードを叩き始めた。今の僅かな時間で、物語の続きを思いついたのだろうか。どうやら弦谷先輩は相当物語を書くのに慣れているらしい。数分しないうちに、弦谷先輩は続きを書き上げてしまった。続きはこう書かれていた。
”柏木朱里は極端なあがり症で、その好きな人を前にすると、緊張で固まってしまうほどだった。彼と話すこともあったが、固まってしまって何も言えないときもあったため、彼には不審がられているかもしれない。そのことが余計に、彼女が気持ちを打ち明けるのを妨げていた。”
私と梓はモニターを覗き込むとおお、と感嘆の声を漏らした。先輩は二人共、小説を書くのに慣れているらしい。この短時間で、それらしい物語が出来つつある。流石文芸部員といったところだろうか。弦谷先輩が言った。
「次は梓ちゃんが書いてみたら?」
「ええっ、私ですか?」
「難しいことは考えずに、なんでも書けばいいよ。まあ最初は難しいからね、無理そうなら全然いいから」
「ええ、どうしよう……」
そう言いつつ、梓は椅子に腰掛けモニターとにらめっこを始めた。梓が書き終えるまで時間がかかりそうだったので、私は淹れていた紅茶をすすりながら待つことにした。弦谷先輩も時間がかかると見て、漫画本を手に取り読み始めた。葉上先輩は梓から少し離れたところで、頭を捻っている梓を優しく見守っていた。そうして十分程経過した頃、梓が椅子を回して言った。
「一応、終わりました……」
「お、じゃあ見せてよ」
弦谷先輩に続いて、三人でモニターを覗き込む。モニターにはこう書かれていた。
”恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。”
「全然話が繋がってないっ!」
梓の文章を読み終えると、弦谷先輩が驚きながらツッコんだ。
「だって、思いつかないんですもん……」
梓はしょんぼりと肩を落とした。私が梓に尋ねた。
「てかこれ人間失格、だよね?」
「うん」
「だよね」
梓の文章は、太宰治の人間失格の冒頭部分そのままだった。物語の続きが余程思い浮かばなかったらしい。とはいえ、小説の冒頭部分をそのまま持ってくるとは、中々の暴挙であった。すると葉上先輩が苦笑いしながら言った。
「えと、次はみはるちゃん、だね」
「ええっ!? あ、けどそっか……」
順番的にこの物語の続きを書くのは私だ。これは参った。梓が人間失格の冒頭を持ってきたせいで、物語はすでに支離滅裂なものになってしまっている。さっきまであった恋愛の話と、人間失格を繋げる物語を考える必要があるのか? そんな無理難題、私にできるのだろうか。私は梓の空けた椅子におずおずと座った。
「う、うーん……」
柏木朱里の話と人間失格は、あまりに繋げようがなかった。柏木朱里の話は明るそうな恋愛ものであるのに対して、人間失格は暗い自伝でジャンルは対照的だった。私は頭を悩ませて唸った。しかし悩みすぎても仕方ない。十分程考えた私は、結局思うがままに筆を走らせることにした。書き終えて、私は周囲に声をかけた。
「終わりましたよ」
「お、まじ! どれどれ」
弦谷先輩が興味津々にモニターを覗き込んだ。梓と葉上先輩もそれに続く。私が書いた文章はこうだった。
”一方その頃。これは、別の
西暦2850年、恒星間文明戦争が勃発し、人類は未曾有の大戦争の渦中に置かれた。元老院は非干渉の態度を取り、銀河評議会はすでに腐敗して機能不全だったため、銀河間文明の分裂は深まっていった。そのような混乱を制するため、人類は自分たちが銀河を支配し統治することを目指す。そのような最中、アレス・カミュ・アロイは、偽光速戦闘機のパイロットの入隊試験に合格し、戦禍に身を投じていくことになる。”
「また全然話が繋がってないっ!!」
文章を読み終えると、先程と同じように弦谷先輩がツッコんだ。
「『一方その頃』って、強引ねえ……」
葉上先輩が少し呆れたように言った。
私は肩を落としながら言った。
「話を繋げられなかった……文芸部員として、忸怩たる思いです……」
私がそう言うと、梓が首を傾げて尋ねてきた。「へ? じくじ?」
「ああ、力不足で申し訳ないっていう意味だよ」
私がそう補足すると、葉上先輩は少し驚いた表情を見せた。
「みはるちゃん、難しい言葉使うのね」
「あ、すいません。本の読みすぎで、ついつい使っちゃうんです」私は頭を掻いた。
「しっかし、これは本当にカオスなことになってきたね」
弦谷先輩がモニターを見ながらため息を吐いた。今の物語は、恋愛ものと人間失格とSFがごった煮になっている。それぞれの話が繋がっているわけでもなくバラバラであり、闇鍋のような状態だ。すると、葉上先輩は口元に手をやってくすくすと笑った。
「ふふ、けど二人共面白い話を書くのね」
「え? そうですか?」
私にとっては、この話は訳のわからない駄文に他ならなかった。人を楽しませるような文章では全くないと思うのだが。弦谷先輩が椅子に凭れて笑った。
「あはは、確かにそうだね。あたしたちじゃ、絶対にこんなことにはならないよ」
先輩たちの笑顔を見て、自然とこちらも笑顔になった。確かに、先輩たちがリレー小説を書いたらこのような文章にはならなかっただろう。そういう意味では、私達にしか書けない文章なのかも知れない。……酷い内容には変わりないが。
その後も、リレー小説を何周か続けたが、弦谷先輩も葉上先輩もふざけて突拍子もない文章を書き出したので、物語は収集がつかないものになってしまった。
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