第9話 言葉の力
雑誌への掲載からしばらく経った頃、市のもとにある招待状が届いた。
それは、地域の文化ホールで開かれる「現代女性フォーラム」の講師としての依頼だった。「歴史を超えて生きる知恵と誇り」をテーマに、市に講演をしてほしいというのだ。
最初、市は戸惑った。戦国の世では、女が多くの人々の前で語るなど、滅多にあることではなかったからだ。しかし、勝家や女中たちが背中を押してくれた。
「市様のお言葉なら、きっと多くの人が耳を傾けてくださいます。」
「過去を知る者として、今を生きる人々に伝えられるものがきっとあるはずです。」
そして当日。舞台の上に立った市は、静かに深く一礼し、話し始めた。
「私は、かつて戦国の世を生きた者でございます。名を市と申します。平和とは縁遠い時代を生き、兄や友を失い、夫と共に命を賭して戦うことを選んだ人生でした。」
会場は静まり返り、誰もがその語り口に引き込まれていた。
「ですが、時を超えてこの現代にまいりまして、私は学びました。争いなく生きるということが、どれほど尊く、また困難でもあるのか。……現代に生きる皆様も、戦の形こそ違えど、日々“選択”と“責任”という名の戦場に立たれているように思います」
市の声は穏やかでありながら、どこか芯の通った響きを持っていた。
「かつての私は、家のため、子のため、己を殺して耐えることが“強さ”だと信じておりました。でも、この時代の皆様と触れ合う中で、声を上げること、自ら道を選ぶことこそが、本当の強さではないかと気づかされました」
その言葉に、客席では静かに涙を拭う女性たちの姿があった。
「今を生きる女性たちへ——どうか、自らの心を見失わずに生きてください。かつての私がそうであったように、あなた方の歩みは、やがて誰かの力になります」
市が深く一礼すると、会場は大きな拍手に包まれた。その拍手は鳴り止まず、多くの観客が彼女の元へと歩み寄った。
講演後の控室では、数人の女性が市のもとを訪れていた。彼女たちは、それぞれ仕事や家庭の悩みを抱えているようだった。
「市さん……あなたの言葉に、救われた気がします。私は長年、家族のために自分の夢を諦めてきたのですが、今日のお話を聞いて……初めて、“自分のために生きていいのかもしれない”と思いました。」
そう語ったのは、二児の母である女性。市は彼女の手をそっと握り返した。
「あなたが夢を抱いた心こそ、何よりも尊く、守るべきものでございます。それを思い出せたのなら、きっと、これからの道は明るくなるでしょう。」
別の若い女性が続いた。
「私は職場で、意見を言うと“生意気”だとか“女性らしくない”と言われることが多くて……でも、あなたの“声を上げることも強さ”という言葉に、胸が震えました。」
市は頷きながら、ゆっくりと答えた。
「強さとは、誰かを屈服させることではなく、己を信じ、恐れずに言葉を発すること。その信念を持つあなたは、もう十分に強い人です」
その場の空気は、まるで親しい者同士が心を通わせるかのように、柔らかく温かかった。市の言葉は、過去からやってきた者の語りではなく、今を共に生きる“同じ女性”としての真実の声だった。
その日以来、市はときおり講演の依頼を受けるようになり、多くの人々に静かに、確かな影響を与え続けた。
彼女の姿は、歴史を語る“語り部”でありながら、現代を生きる女性たちの“同志”として、心に深く刻まれていくこととなるのだった。
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