第33話 デリバリー
***
シュティンク魔窟の最深部。
その隅にある小部屋に立てこもったエターナルフォースは疲労の極致にあった。
この小部屋に逃げ込んではや四日、すでに食料は尽きている。
飲料水は魔法で出せるが、いかんせん空腹は耐え難いものになっていた。
「ソアラとジーンは封鎖した扉を確認してくれ。シェンナ、けが人の具合は?」
シュンナと呼ばれた治癒士は力なく首を横に振った。
調査隊の総勢は十二人。
そのうちの一人が死亡、六人のメンバーが重症を負っていた。
ただの裂傷ではなく、魔法的損傷なので治癒魔法が効きにくかったのだ。
六人の戦闘復帰は望めない。
それどころかチームそのものが全滅の危機に瀕している。
けが人を背負っての脱出は不可能だろう。
リューネは決断に迫られていた。
このまま座して全滅を待つか、六人のメンバーを見捨てて、決死の脱出を図るかの二択である。
いまから一週間前、エターナルフォースはシュティンク魔窟の調査に乗り出した。
調査は順調そのもので、魔窟内のマッピングも抜かりなく、数々の遺物も見つけた。
魔窟の規模はそれほど大きくなく、魔物も少なかったのでけが人すらでなかったのである。
これだけ楽な仕事は滅多にない、リューネはそう考えていたくらいだ。
二日ほどかけて最深部にたどり着いたところでリューネ達は彫像を発見した。
エターナルフォースの悲劇はここからはじまる。
それは六枚の翼をもつ美しい天使の彫像だった。
質感はなめらかで、いまにも動き出しそうなほど生々しい彫像である。
うかつに触れてはならないものだとはわかっていたが、彫像が持っている剣にエターナルフォースのぜんいんが目を奪われた。
美しい装飾、剣が発する波動、疑いようもなく伝説級の名剣だろう。
我を忘れたメンバーの一人が彫像の手から剣を引き抜こうとしたのをリューネは止められなかった。
「ロニー、いけないっ!!」
剣に魅入られたロニーが剣を引き抜いたとたん、彫像の封印が解け、堕天使が復活してしまったのだ。
堕天使は虫けらを踏み潰すような気軽さでロニーの首を掴む。
骨が砕ける嫌な音が響くのと、リューネが叫び声をあげたのは同時だった。
「撤退!」
勇猛な気質ではあったが、リューネは慎重さも併せ持つ優秀な冒険者だ。
態勢を立て直そうと撤退を命じたのである。
だが、堕天使は剣を拾い上げると唯一の出入り口をふさいでリューネ達の退路を断った。
「奥の小部屋へ逃げるんだ。しんがりは私とルイーンがやる!」
堕天使の追撃は執拗だった。
安全圏に逃げ込むまでに多くの負傷者を出してしまうほどに。
リューネ自身も堕天使の一撃を喰らい、左手が完全に使い物にならなくなっている。
それでもなんとか逃げ切り、小部屋に立てこもり、現在に至った。
「リリカがここに来なくてよかった」
それだけがリューネの救いだった。
***
約束どおり早朝からウィルボーンが手伝いに来てくれた。
「師父、きょうはなにを作るのですか? ローテーションでいくと唐揚げの日ですが」
普段は店にいなくても、ウィルボーンは店のことをしっかり把握しているのだ。
「そうなんだけどさ、怪鳥ロックのモモ肉の在庫が少ないんだよ」
ロックのモモ肉は唐揚げや焼き鳥弁当にしたので在庫はわずかだ。
胸肉はたくさん残っているんだけどなあ……。
「そうだ、チキン南蛮弁当をつくるぞ!」
チキン南蛮は鶏の胸肉で作るのが一般的だ。
たしか宮崎県発祥で、揚げる前に南蛮酢に漬け込むんだよな。
俺はチキン南蛮が好きで、前世では何度も作っている。
美優は唐揚げが好きだったが、俺はタルタルソースのかかったチキン南蛮を好んで食べたものだ。
この世界に生まれ変わってからも何回か作っているから、弁当作りに問題はないだろう。
「よし、肉の下ごしらえはパリピに任せる。これくらいの大きさに切り分けてくれ。ウィルボーンは南蛮酢の調合だ。レシピは紙に書くから、その通りに頼むぜ。俺はタルタルソースの準備をするか」
仕事を割り振っていると、リリカがおずおずとたずねてきた。
「師匠、私はなにをすればいいでしょうか?」
その声に日ごろの元気はまったくない。
「リリカは……」
俺は口ごもってしまった。
というのも、今日のリリカは朝から失敗ばかりなのだ。
桶の水をひっくり返して厨房を水浸しにしてしまったし、キャベツの千切りでは指を負傷している。
たまたまグランシアスを使っていたからいいものの、普通の包丁だったら深手を負っていたぞ。
すんでのところでグランシアスがリリカの手を止めたから、ちょっとした傷ですんだのだ。
原因ははっきりしている。
エターナルフォースの行方が気になっているのだろう。
表向きは明るくふるまっているが、目を離せば心ここにあらずで、落ち着きがないのだ。
「顔色が悪い。きょうはもう帰って休めよ」
「そんな! 私は平気です。ここにいさせてください」
素直な性格だが、リリカには頑固な一面もある。
それに、家に帰らせたからといって、心配事が減るわけでもないか……。
「じゃあ、洗い物を頼む。あ、でも殺菌魔法は使うなよ。今日のリリカは間違いが多い。あれだって危険な魔法なんだからな」
「はい……」
肩を落としたリリカの姿は痛ましかった。
胸肉を切り分けながらパリピが俺に囁く。
「師匠、このままでよろしいのですか?」
「う~ん、いま考え中」
俺は雑念を払ってタルタルソースに取り組んだ。
リリカの懸念は厨房全体に伝染していた。
払おうとした雑念はそのまま俺の心の隅に居座っている。
それはウィルボーンとパリピも同じようで、いつもの朗らかさがまったくない。
できあがったチキン南蛮さえ、なんだか完成度が低い気がした。
「あー、やめだ、やめ!」
俺の言葉にリリカは小さく身を震わせる。
手を止めた俺にパリピが質問してきた。
「やめとはどういうことですか? すぐにもう一種類の弁当にとりかからなければ開店に間に合いません。チキン南蛮は三十個しかないんですから」
「もういい、きょうは別の仕事を入れた」
「別の仕事?」
「デリバリーだよ。ちょっとシュティンク魔窟までいってくらあ。そこの調査チームにこのチキン南蛮を売りつけてくる!」
宣言すると、俯いていたリリカが顔を上げた。
「師匠……?」
「涙を拭け。シュティンクまで走るぞ!」
「師匠ぅ……うっ……」
涙を拭けと言ったのに、さらに泣き出してどうする?
部屋の隅に置いてあった長剣をパリピが担いだ。
ウィルボーンもすでにエプロンを外している。
「拙者もお供つかまつります」
「私もいきましょう。姉上、ご準備を」
お客さんには申し訳ないが、こんな日もたまにはある。
リリカが支度をすませる間に、俺はペンで【臨時休業】の札を作った。
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