久淵山の秘密
私の目の前には、あの会社のプロデューサー、井村さんがいた。そして彼はたしかに、目の前の古民家の玄関から出てきた。一階でテレビを見ていた、そしてこの家に住んでいるのは彼だったのか。ということは、このパソコンやあの祭壇も?
「……久しぶりぃ、萩原君」
にかっと笑う彼の口から、いや光が見えた。金歯だ……上下、見える歯全てが近場になっていて、下品に光り輝いている。そうだ、井村さんは成瀬さんと共に捕まり歯を抜かれていたんだ。そして成瀬さんは洞窟の川底に捨てられた。私はその後、井村さんも同じ目にあったのだろうと推測していた。だが坂下から送られてきた資料にその後のことは書いていなかった。井村さんが死んだという情報は、どこにもない。いや、それどころかこう考えることができる……本当は考えたくなかったことではある。だがこの状況では、そう思うしかない……それは
「あなたが、俺に資料を送ったんですか? そして最後に坂下のふりをして、俺を誘き寄せた。なんのためかはわからない……だけど……」
「うーーーーーーん……」
井村さんは笑いながら首を傾げる。
「どうだったかなぁ?」
彼の挑発的な態度に腹が立ち、私は感情のままに距離を詰めその胸ぐらを掴んだ。二階から飛び降りた際の肩の痛みなんか忘れて、彼を問い詰めた。
「どういうことですか……あんたなに考えてんですか? それに、どこまで知ってんですか? 縊魚児のこととか、久淵山のこと、龍神とかそういうこの村のこと!
それに坂下は、あいつは……!」
「答えてあげたいけど。残念。時間切れだわ」
「……は?」
「……ほら」
井村さんが首をくいっと、私の後ろ、この家にやってくるまでの道を指す。振り返ると、なにやらドタバタと慌ただしい足音がいくつも聞こえてきた。
「こっちだで!」
「んのやろう、ただの旅行客じゃなかったんかぁ!」
村人たちだ。もしかして井村さんが連絡したのか? だとしたら早すぎる。もしかしてずっと見張られていた? いや、そんなことを考えている暇はない、逃げないと。
「この古民家の裏手から久淵山を目指して森の中を突っ切れ。村の人間しか知らない近道がある」
「……え?」
「坂下に、会えるかもよ?」
井村さんが再び下品に笑う。村人たちの声はどんどん近くなっていく。それが罠なのかどうか、判断している時間はないようだ。どちらにせよ、宿までの退路は断たれている。私はそのまま、古民家の裏へと走った。
リンッ! リリンッ!
「はぁ! はぁ!」
リリンッ! ブチッ!
熊よけの鈴を引きちぎり捨てる。もうこれをつける意味もない。私の存在は村人たちに知れ渡ったと考えるべきだろう。つまり、民宿にも帰ることはできない。幸い、貴重品や必需品は全てリュックに入っている。部屋に置きっぱなしにしているのはいつくかの着替えだけだ。その中には数年前に古着屋で買ったお気に入りの501もあるが、そこは諦めるしかない。一番の問題は車だ。あればかりはなんとか回収したい。なんと言ってもレンタカーだし、仮に坂下を見つけることができたとしても車がないとこの村からの脱出自体難しそうだ。
後ろから村人たちが追ってくる気配はない。もしかして井村さんが気を利かせてくれたのだろうか。だとしたら余計に目的がわからない。彼があそこに住んでいたこととや祭壇の件を考えると、彼は村人たちに、龍神に降ったと思われる。実際に歯が金歯に差し替えられていたということは、歯を抜かれたのはあの資料の通り事実だろう。だとしたらどうして、井村さんは生かされたのか……そして資料を送ってきたのが彼だとしたら、なぜ私を誘き寄せるような真似をしたのか。ダメだ、走りながらじゃなにも考えられない。
昼間だというのに、森の中はどんどん暗くなっていく。理由はわかっていた。久淵山が近くなってきているからだ。あれが、太陽の光を遮っているのだ。だが逆に、この森の中で道に迷わないのも、木々の隙間から時折見える久淵山が目印になっていからなのだ。
何度も迫り出した木の根に足を取られ、湿った土の上に転がる。木の間を縫って走るのは、映画やドラマで見るよりもずっと難しいということがわかった。足元に気を使うのはもちろん、背の違う木々から飛び出した幾本かの枝葉が私の目を突き刺そうとしてくるのだ。整備なんてされていない道は、走りにくくて仕方ない。
そんな悪路を進み続け、私はようやく目的地と思わしき場所に辿り着いた。ちょうど、久淵山に北西から入り、正面ではなく左手の真下に当たるところだろう。そこに、洞窟があった。
中は真っ暗で、水の滴り落ちる音が聞こえる。冷ややかな空気が、漂っている。私はなんとなく、あの廃屋の穴を思い出した。
すぐにリュックから懐中電灯を出す。防水機能付きの超高輝度、この日のために用意していたものだ。洞窟があるというのはわかっていたし、あらゆる可能性を考えて水に強いものを選んだ。まぁ、沈められるのだけは御免だが。まさか三日目にしてこの山に入ることになるとは……いや、入らざるおえない状況になるとは。そう思いながら、私は洞窟に足を踏み入れた。
ピチャ……ピチャ……
天井の岩から、冷たい水が滴り落ちている。ところどころは鍾乳洞のようになっていて、この洞窟が古くから存在することを示していた。洞窟は人が二人並ぶといっぱいになるくらいの広さで、天井の高さは二メートルほどだった。緩やかな坂が一本道で続いており、時折梯子や階段が姿を現す。これで一気に標高を稼いでいるのだろうか。梯子も階段も、定期的に整備されている形跡がある。水や湿気による劣化対策だろう。
ぎぃぁ……ぐる゛……ぎゃぁ
奥から、縊魚児の声が聞こえた。ここまで来ると彼らに恐怖はそこまで感じない。むしろ感じているのは哀れみだ。
ぎゅぐ……だじゅ……がぁ……
奥がカーブしている。その先はどうなっているか見えないが、声はそこから聞こえているようだ。私は縊魚児と鉢合わせることも考え、あの真っ黒な目に見られる覚悟をし、先に進んだ。
そこは大きく広がった、大空洞……は少し言い過ぎかもしれないが、大きな家のリビングくらいはある、開けた空間だった。そこに入った瞬間、縊魚児の声は消えた。
「あ〜……うあ……」
声が聞こえた。縊魚児じゃない、生きた人間と思わしき声。辺りを見渡す。奥に続く道と、空間の側面にずらーっと、いつくかの……牢屋があった。
「あう〜……ぶぁ〜」
まさか坂下か!? そう思い、声の方に向かう。牢屋の一つ。暗くて見えない。私が中を懐中電灯で照らすよりも先に
ガッ!
細く小さな手が、鉄格子の隙間から飛び出してきた。咄嗟に私は身をかわし、その手の主に光を当てた。
「あああああ! やああああああ!!」
光に驚き牢の奥へと後退りしていく。私は光の焦点を広げ、光量を落としより広くを照らす……
子供がいた。痩せ細り、背を丸め、ボロ切れのような服からは背骨がぽつぽつと浮いている。まるでゴブリンかなにかのような、そんな印象を受ける。だがたしかに、人間の子供だ。年齢は、おそらく五歳か六歳くらい……小学校に上がる前くらいに見える。
「贄の子……」
独り言が、私の口から空気のようにこぼれ落ちた。
そう、きっとこの子は粋に絵として育てられた子だ。龍神に捧げられるためだけに育てられた、縊魚児になるための子。
水沢侑子の日記にも、『贄以外の子』との記載があったことから、この村では以前の私の仮説通り、生贄専用の子がいたのだ。それはそうだろう、村で普通に生まれ戸籍のある子を毎回生贄にしてたんじゃ秘匿するにも限界がある。村ぐるみで管理している、法の元では存在しないことになっている子供。
「こーはー、ごーはー」
「めしぃ、めしぃ」
「きゃっ! きゃっ!」
他の牢屋からも、子供の声が聞こえてきた。一人じゃない、何人もいる。周囲を照らすと同じように子供たちが鉄格子から手を出している。一つの牢に複数人いるところもある。その姿はさながらゾンビ映画のようだ。
どの子供達も、目の焦点は合っておらず口からは涎を垂らし言葉にならない音を発している。もともとこうだったのか、狂ってしまいこうなったのかはわからない。だがその姿は、縊魚児よりもおぞましく見えてしまった。きっと私が一時の感情で彼らを逃しても、彼らが普通の生活を送ることができるとは思えない、そのビジョンが見えない。縊魚児になった方が、よっぽどマシに見えてしまう。それほどまでに、この光景は私にとってショッキングなものだった。
「っ……ごめん……ごめんな……無理だよ……ごめん……」
これ以上彼らを、見たくはなかった。そう、彼らは存在しない。だから気にする必要はない。救えない子供達なんだ。俺の手に余る……本当にごめん。
私は子供たちの声から耳を逸らし、奥へと続く道に早足で向かった。逃げるように、はじめから何も、見なかったかのように……
洞窟はまだまだ続く。再び道幅は狭くなり、私は肉体的な疲労と精神的な疲弊からかどんどん足取りが重くなっていた。まるでぬかるみの中を進むような、そんな感覚だ。
水沢侑子も、雄大君を取り返すためにこの道を通ったのだろう。森の中を駆け、この洞窟を走り抜け、村人たちを攻撃し、雄大君を抱え山を降り……そして逃げ延びた。その結末こそ悲劇的なものだったが、私は自然と彼女に敬意を払っていた。母の愛に、その強さに。進んでいてわかる。私にはできないことだ。
「あんた……凄かったんだな……」
私は振り返り、東京の方に体を向けると、手を合わせた。彼女と、雄大君に。
カチ……カチ……
小気味良い歯音が、聞こえた気がした。私はあれだけ恐怖していたあの音にどこか勇気づけられた気分になると、自らを鼓舞し洞窟を……久淵山を登り続けた。
ゴオオオオオオオオ……
奥から、音が聞こえる。水の音だ。しかもかなり激しい。私はもしやと思い駆け出した。
あの牢屋があった場所と同じように開けた空間。その中央には大きな穴が空いている。そしてその下を、激流が流れその流れは近く深くまで繋がっている。間違いない、ここは成瀬さんが殺された場所であり、生贄を龍神に捧げる儀式場だ。資料と雰囲気が一致する。奥には通路が二つあり、おそらくその一つは坂下が囚われていた行き止まりの空間だろう。
地面にはいつの儀式に使ったかわからない麻布やしめ縄の残骸がちらほらと落ちている。下にいた子供たちはここに連れて来られ、歯を抜かれ首を絞められ殺され、そしてこの激流の中でもがき苦しみながら絶命し、縊魚児となるのだろう。いままでこの場所で、いったいどれだけの命が奪われてきたのか……
ここにも、坂下はいない。私は奥の通路の一つを進む。できることなら、もうこの場所には来たくない。次来る時は、私が殺される時だと思うから。
どうやら、私の選んだ道は坂下が囚われていた場所とは違う通路だったようだ。つまりは頂上に続く当たりの道。時計を見ると、私が洞窟に入り一時間ほどが経過していた。おそらくあの山を普通に登ろうとするともう少し時間がかかるはずだ。ではそろそろ……階段が見えてきた。いままでよりも一際長い、石でできた神社や寺の階段のようなもの。そしてその上では、光がちらちらと揺れている。
もしかして誰かいるのだろうか。私はリュックからスタンガンを取り出すと、懐中電灯を消して用心しながらゆっくりと、階段を上った。まるでダンジョンの最上層、ボス部屋に向かうような、そんな雰囲気だ。
階段を上り切る。すぐそこで光が灯っており、なにかの空間になっているのがわかる。声は聞こえない。私は思い切って、勢いでその空間に飛び込んだ。
瞬間移動したかと錯覚した。
洞窟とは切り離されたように、そこには……仏堂が広がっていたのだ。
漆塗りの板張り木床と儀式的な装飾の小物たち、しかしなにより存在感を放ち、ここが仏堂であると印象付けたもの……大きな、二メートルほどの千手観音像だ。
いや、正確には千手観音ではないのかもしれない。でもとても似ている。仏像の後ろに本来ある千の手、それが手ではなくあの偶像の、龍神……ニョロニョロとした目のない蛇のようなものになっている。それが何百本と仏像の後ろから伸びているのだ。まるで触手のように……そして仏様の顔にも、その触手のようなものが巻き付き、渦を描いていた。だがその渦の中心……そこだけがぽっかりと、空洞になっているのだ。
「…………」
私はその異形の仏像に畏怖の念を感じた。
「……誰か、いるんですか」
息の切れた声が聞こえた。すぐにスタンガンを構える。
「……もしかして…………ですか?」
私は恐る恐る、声の方に近づく。仏像の裏から聞こえているようだ。私はゆっくりと、象の置かれた台の横を回り、裏を見た。
「あぁ……やっぱり……先輩だ……」
坂下が、そこにいた。仏像台にもたれかかるようにして、疲弊した姿で。
「坂下……坂下ぁ! おま、大丈夫か、おい!」
思わず駆け寄り揺さぶってしまう。
「い、痛いです先輩……あと、声……うるさい」
「だって、だってお前……お前……」
「でも、よかった……逃げようと思ったけど動けなくなっちゃって……手、貸してもらえますか」
「あ、ああ……」
再会を喜んでいる暇はない。私は坂下を抱え、辺りを見渡す。
「出口、あそこです」
仏像の正面奥に、大きな岩の扉があった。私は坂氏を抱え、その扉を力一杯押した。
グググッ……
人一人通れるスペースがなんとか開く。私は先に坂下を通し、その後扉を通った。
目の前には鳥居とその先に、大きな池が広がっていた。すぐにわかった、ここは久淵山の山頂。そしてあの池……自分が出てきた扉を見ると、山の岩壁にそのまま取り付けられたかのような岩扉になっていた。そして私の目の前の鳥居と、その周りには社のような建物がある。これは、坂下がこの場所に来た際に奥に見えていた建物ではないだろうか。
「先輩……あっち……」
坂下に急かされ、池の方に歩みを進める。橋に向かっているのだろう。あの人骨の水門がある……あの場所に。
「どうして、あの場所がわかったんですか?」
「……井村さんが、教えてくれた」
「そっか……よかった、感謝しないとですね」
「井村さん、村人に寝返ったんじゃないかと思ったんだけど」
「違いますよ」
よかった。井村さんは味方だったんだ。村人たちの中になんとか潜入して、坂下のことを……そう思い、坂下を見る。
一年以上この村に囚われていたにしては、随分と綺麗だ。
疲れてはいるようだが、外傷はどこにもない。
なにかおかしい。
違和感がある。
「ほら、見てくださいよ」
池の前まで来て、坂下は足を止めた。
「ああ……なんて美しい……先輩も、そう思いますよね」
屈託のない笑顔で笑った坂下には、綺麗な歯が生えていた。一年以上監禁されていたのなら抜かれていてもおかしくないもの。
「坂下、お前」
ドンッ!
体に大きな衝撃が伝わったかと思うと私の体は宙を舞っていた。目の前では、両の腕を前に押し出している坂下がいる。
そうか、私は坂下に突き飛ばされたんだ。そう理解した瞬間、私は池に沈んでいった。
ボシャーーーーーンッ!!
深く暗い暗い水の底に落ちていく。地上の光はどんどん遠く、青い闇が私を包み込む。
スゥぅ〜〜
なにか、呼吸音のようなものが聞こえた。それは、水底から……
コォぉぉ
私は、遠のく意識の中で "それ"を見た。
大きな人型のなにかが、水底の中央に鎮座している。背中からは血色の悪いニョロニョロとした触手が何百本も伸びていて、"それ"そのものも同じ色をしている。無自然なほど長い手足。手のひらからはもう一本、手が生えていて、一本の手で合掌の形をとっている。そしてもう片方の手も同じように、一つで合掌。
触手の一本が、私の方に伸びてきた。取り払う術はない。
渦を巻いた顔、その中央にぽっかりと空いた大穴から、こぽっと、水泡が出る。
「流そうか」
真っ黒な顔の大穴から、たしかに……そう聞こえた。
私の意識は、そこで途切れた。
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