記憶から這い出る怪異

 資料の整理が手につかなくなって二日が経とうとしていた。

 

 私という人間についての話をしようと思う。

 この資料整理を始めた時は、私がどんな人間なのかを話すつもりはなかった。というより、話す必要がある時が来るとは思わなかった……いや、思いたくなかった。だからこそ、私は一貫して俯瞰した視点での資料整理と執筆を続けてきた。彼にわざわざ敬称をつけたりしていたのもその為、同時に負い目があったからだろう。その理由は明確だ。


 坂下さん……いや、坂下……あいつをあの会社に入れたのは私なのだ。


 テレビ局への内定が叶わず悩んでいた坂下に、私は小さな制作会社を紹介した。当時の私はテレビの下請け制作会社で働いており、ある現場で出会ったエイトフィルムズのプロデューサーである井村さんと喫煙所で意気投合したことで親交があったのだ。

 坂下のことはあいつが一年生の頃、あの廃屋での一件以降からよく面倒を見ていた。だけど、あいつに霊感があるなんてことはまったく知らなかった。

 私が心霊スポットに行ったのは、あの廃屋が初めてのことではない。昔からオカルトが好きだった私は、中学生の頃からそういった場所に足を運んだり、心霊番組や雑誌の特集を読み漁ったりしていた。そんなバッグボーンもあって、資料整理の中で縊魚児についての仮説を立てることもできたのだ。


 廃屋での出来事は忘れていたわけではない。ただ自分の中で心霊スポットでああいった経験をした経験は少なからずあった。不可思議な音や怪しいオブジェ、そのどれもが手の込んだ悪戯や気のせいだということだってわかっていた。だからあの歯が刺さったオブジェだって、当時は私たちより前にあそこを訪れた人たちが残した悪戯だと思っていたんだ。

 大学で番組などの作り方を学んでいた。それは坂下も同様だ。それ故に、日常的に創作物に触れていた私のような人間は、ヤラセとガチの区別がつかなくなっていくのだ。だからこそ、あの出来事も私の中ではしばらくの間は人に話せるエピソードの一つくらいの認識で消化されていった。

 霊感のあった坂下には、私とはまったく別のものが見えていたのだと、いまになってようやくわかった。

 私がこの記録を残していたのは、あいつをあの会社に紹介してしまったこと、その負い目だけだった。でもいまは、当時一年生で断れるはずもないあいつをあんなところに連れて行ってしまったこと、その時の出来事が少なからずあいつの作ろうとしていた作品に影響を与えてしまい、古民家というシチュエーションを必要とする状況に繋がる一因になつてしまったこと。


 私と出会いさえしなければ、坂下は消えなかったんだ。


 坂下は消えた、あの会社と共に、消えた……果たして本当にそうか?

 私はまだ、資料の整理を終えていないじゃないか。実際になにがあったのか、本当のところはわかっていない。それに、あの廃屋の話が資料の中にあった時点で確定したことがある。


『この資料を送ってきた"誰か"は、私と坂下の関係を知っている』


 これは一つの希望だ。もしかしたら、坂下本人かもしれない。どこかで私に見つけてもらうのを待っているのではないか? そしてその手がかりは、この資料の中にある。

 見ればわかること、見なければわからないことから逃げてはいけない。少なくとも坂下は、これまで避け続けていたことに直面しても大人としての責任を果たそうと努めていた。ならば私もあいつの先輩として、坂下の作ろうとしていたものを見てやらねば。


 再び私の心に熱が灯り、パソコンに向かうために席をたった。


カランッ……


 なにかが、床に転がった。

 イヤホンでも落としたか?

 軽い音だな。

 小さくてよく見えない。

 拾って、近くに……


 歯だ。

 反射的に口の中を確認する。

 口の中に鉄の味が広がっているのがわかる。

 指と舌で、一本一本。

 唾液とは違う水分がじんわりと口内に広がる。

 ぽっかりと、空白がある。右上の歯だ。それが突然、抜け落ちた。


カチカチカチカチ


 記憶の底から這い出てきたような音が、背後から聞こえた。あの時よりもずっとリアルに聞こえる。気のせいじゃないとわかるから。空耳じゃない、はっきりと。

 ああ、坂下……お前は当時からこんな風に聞こえていたんだな。そりゃ、怖いよな、嫌だったよな。


「でも、どうして」


 あの廃屋と縊魚児の村は無関係のはず。それに今更なぜ?

 いや、その無関係だという決めつけも先入観だ。


カチカチ……


 私は歯音を無視し、PCに向かう。振り返らず、唯一の答えに向かって。


カチ……カチ……


 歯音が遠ざかっていく。

 PCを数日ぶりに起動し、資料の入ったフォルダを開く。


…………


 音は完全に消え、静寂の中で、私は再び資料と向き合った。

 

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