ごめんね
縞間かおる
①
『思わず時間を忘れてしまうに違いない』
そう思ったから私はスマホのタイマーをセットした。
お義母様が戻って来られるまでに夕飯の支度を始めて置かなければならない。
お義父様が今日、3回目の送別会で遅くなられるのが幸いだけれど、来月からは……
『オヤジは間違いなく“濡れ落ち葉”タイプだから定年後はお前がキッチリ世話しろよ!』と
にべもなく言い放たれた貴久さんの言葉が思い出される。
『私が!!……口に戸は立てられなくてご近所様に会う度に受ける辱めをひたすら忍び、家事を引き受けてあなたを外に出しているのは何の為だと思っているの!!ひとえに生活の為よ!! あなたが出て行った後のご実家の事は本来はあなたのご両親が成す事! そのご両親が無責任なら、さっさと福祉に任せてしまいなさい!! これ以上私達に恥をかかせないで!!』
お義母様からぶつけられる容赦ない言葉に心が
でも元はと言えば……私が
実際は、結婚式の直前にお義母様の足の具合が悪くなり、仮契約していた新居も借りる事無く同居が決まった。
私はかなり悩んだが、今更、結婚を白紙に戻す事は出来なかった。
『私達の事は心配しないで! 私も
だから結婚式の時、沙紀と和生から花束を渡されて、私は大勢いる貴久さんの……親戚や会社の人、友達などの“お客様”の前でさめざめと泣いたら……
「恥ずかしい事をするんじゃない!!」と貴久さん、舅、姑の三人から物凄く叱られた。
『こんな筈じゃ無かった!!』
でも私は今までにも、
両親の離婚、母親のネグレクトと……“痛い経験”を何度もしている。
だから私は、何かが漏れ出ない様に心に蓋をして、ちょうど“コップの縁を歩く”くらいの自由の幅で、日常を繰り返している。
そんな私が心の内で心配で心配でたまらない沙紀と和生が住むアパートのドアのカギを回した。
こうして二人が学校に行っている間に、お部屋をコッソリ掃除などして帰るのが私の安息でもあった。
ところが、今日いきなり目に飛び込んで来たのは紛れもなく男物のビジネスシューズで、その瞬間、私は靴箱の横に立て掛けてあった和生の金属バットを握り締めていた。
ドアを開けた時の物音が聞こえなかったのか、それとも不審者が息を詰めているのか、反応がない、けれどもコーヒーの香りが漂って来たので絶対人が居る!!
金属バットを握る手に嫌な汗をかきながらリビングをそっと覗き込むとワイシャツの広い背中に抱きついている沙紀と目が合った。
「『あっ!!』」
二人同時に叫んで、その声に思いっ切り首をねじ曲げこちらを向いた男は……どこかで会った気がする!!
沙紀の先生??!! 高校とか塾の??
でもそれは火急の問題では無かった!!
『火急の問題!!』は
沙紀の事!!
沙紀は学シャツを脱ぎ散らかして!!
ブラトップ1枚で!!
この“どこかの馬の骨”に抱き付いている!!
「そこ!!! 離れなさい!!」
私が猛然と金属バットを振り上げると、運悪くバットはタペストリーを巻き込んでしまい、私はバットをうっちゃって沙紀の両肩を掴み、メリメリと引き剥がすと、事もあろうに男の方はホッ!とした顔をする。
私は血流が頭のてっぺんから吹き出しそうな怒りでその男を蹴飛ばさんばかりにズシン!と足を踏み入れた。
「出て行って!! というか警察に突き出す!!」
「ダメ!!金子さんは悪くないの!!」
と、私の腕を引っ張る沙紀を怒鳴りつける。
「いつまでそんな恰好してるの!! アンタがこんな事するなんて思わなかった!! いつも授業は何時に終わるの?!!」
私のただならぬ見幕に沙紀は学シャツを抱いて縮こまった。
「……4時半くらい……」
「その時間以降、私が電話したら3ベルで出なさい!出なきゃ殺すわよ!!」
そう言い残して私は男を玄関へ引っ張って行き、ろくに靴も履かせずに部屋の外へ連れ出した。
アパートの外に出たら、急に気が抜けて……言われない酷い扱いには慣れている私だけど、今日は沙紀のあんな姿に涙を抑えて切れずにいた。
「大丈夫ですか?」と能天気に男が差し出すハンカチを払い除けて噛み付く。
「まだ年端もいかない子にあんな事をさせて、あなたはどういうつもりなの!!?? いったいあの子とどうやって知り合ったの??」
「どういうつもりも何も、私が聞きたいくらいです。私が沙紀ちゃんと会ったのはあなたの結婚式の会場です」
「まさかナンパ??!!」
男はちょっと首を傾げて通りの方へ目をやった。
「私も警察沙汰は困りますから、人のいる所で説明させて下さい」
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