第15話 9月1日 夕方①

 彼と別れて、始めにしたことは、本部への連絡だった。

 スマホを操作して、本部への回線を開く。

『大丈夫か? 牡丹』

「え――」

 信じられない第一声に、私は思わず呆けた声を出していた。あの厳格で、私のことなど歯牙にもかけていなかったような父が、まるで私を気遣うような声を発していることが、奇妙であり、驚きであり、ある種の滑稽さすら感じるほどだった。

「は、はい」

『そうか、では、報告をしなさい』

 電話越しだが、その声にはいつも帯びていた険のある雰囲気はなくなっており、本当に同一人物であるか疑いたくなるような声だった。

「昨晩、桐谷家の管轄で放置されていた社へ向かったところ。祭神と戦闘になり、それに巻き込まれて一般人を負傷させてしまいました」

『……そうか、それで』

 昨日の断片的な報告だけでは判断がつかず、対応を図りかねていたのだろう。父はため息と共に疲れた調子で続きを促す。

「はい、心神喪失しつつも、任務を遂行するため陽南高校へ転入手続きをしたところ、対象の一般人が傷もなく生活しているのを確認しました。それで、彼から聞いた話なのですが、これは本当かどうか分からず――」

『祭神と同化して、霊魂と肉体の修復をした……と言うわけか』

 私が話そうとしたことを、父は先回りをして言い当てた。

「知っているのですか?」

『ああ、本来起こりえないことだが、鎮守特務庁の史料にその事例が載っていた』

 まさか自分がその事例を聞くことになるとは思わなかったが。父はそう続ける。

 おそらく今回の事象は、かなり珍しい事態であることは容易に想像できた。鎮守特務庁が所蔵する史料は、発足時の平安時代からありとあらゆる霊的事象を記録している。もっとも、現在は連携も密になり、事象が起こるよりも前に対処することがほとんどだが。

『それで、現在はどうなっている』

「はい、松鶴寺の娘が霊障に襲われ、体調を崩したため、その一般人の少年と協力し、事態の解決へ動いています」

『そうか……では――ああ、そこに置いておいてくれ……あ、おいっ、勝手なことを――』

「……父上?」

 なにか通話越しにがたがたと音が聞こえて、しばらくすると父とは違う、若々しく明るい声が通話越しに聞こえてきた。

『牡丹ちゃんお疲れー、初めての単独任務はどんな感じ?』

「山縣さん。なんとかなりそうです」

 声の主は山縣という男だった。彼は父の部下というか後輩というか、そういう関係性の人で、幼い頃から度々話す機会もある人だった。

『そっかそっか、良かったよ。昨日なんか八咫部長が史料ひっくり返したり応援部隊を編成するとかそんなことを言い出してね』

『おい、それ以上は――』

『なんでしたっけ? 「娘が大変なんだ。コストはどれくらいかかっても良いから剣祓の祖とコンタクトを取れ!」でしたっけ?』

 そこまで山縣さんが言ったところで、鈍い音が聞こえて静かになった。

『……とにかく、定時連絡は遅れないように』

 どうしようかと固まっていると、努めて冷静な父の声が聞こえてきた。

「あ、はい……その、先ほどのは一体――」

『気にするな』

「でも、稲荷神の事をなぜ『剣祓の祖』と……?」

『切るぞ』

 その言葉を最後に、通話は切断された。

 山縣さんの言葉を信じれば、あの稲荷神は鎮守特務庁に「剣祓の祖」として認知されていた。そして、私はそこへ初の単独任務として赴任させられた。

 ……いや、これ以上は推測というか、馬鹿馬鹿しい考えになるから止めましょう。そうでなければ私は、一人前になるためのサプライズ的な儀式で人死にを出した人間になってしまう。


 鎮守特務庁の人間は、図書館の閉架図書を自由に閲覧できる権限を持っている。

 これは現地での文献調査により、対象の由来や弱点を把握するための権限となっていた。私は司書に身分証を提示して、秋生町図書館の奥――閉架図書室へと案内される。そこでは整然と並んだくすんだ色の本がずらりと所蔵されている。

 閉架図書というものは、希少本や古く取り扱いに注意が必要な本など、特殊な事情を持つ本を所蔵したエリアである。

「お探しの物はありますか?」

「そうね、明治初期から中期の沿革と、もしあれば新聞とまでは言わないけれど、瓦版や日記のような物は残っているかしら」

「探してみましょう。少々お待ちください」

 迷いなく進んでいく司書の後ろ姿を見つつ、いくつか「見るべき情報」の目安をつけていく。

 まずは松鶴寺と桐谷神社の関係、そして事件事故、二つの勢力がぶつかり合った背景を探れば、物事の輪郭は見えてくるはず。

「お待たせしました。それらしい資料を集めましたが、いかんせんその時期ともなると、残っている文献も少なく……」

 司書が戻ってきて、古びた冊子を何冊か机に置く。どうやらこれが瓦版をまとめた冊子のようだ。

「ありがとう。あとこの近所に松鶴寺というお寺があるはずだけど、そこの成立した年って、具体的に分かる?」

「ええ――たしか、明治六年の瓦版にそのようなことが書かれています」

「そう、助かるわ」

 調べるべき年代が具体的になるにつれ、見るべき資料の数も減る。私は丁寧に一枚一枚めくって内容を改めていく。

 旧漢字、旧カタカナ、更に踊り字を組み合わせた文章は、ともすればただの記号の羅列に見えてしまう。私は何度も目にして慣れているが、慣れていないであろう彼のことを考えて、少しだけ笑いが漏れてしまった。

 しかし……瓦版を読み解いていくと、当時の状況が容易に想像できた。

 江戸時代の年貢制度にかこつけた過剰徴収や、室町時代に存在した荘園の名残から強権的にこの地域を仕切っていたようだ。明治初期は桐谷氏の顔色をうかがうような論調だが、やはり神仏分離令のあたりから徐々に地域の人々の不満が強くなっているように思う。

 ただ、嶋田や松鶴寺の名前は見つけられない。やはり表立って二つの権力闘争を記録するのは憚られたのだろうか。

 そこまで考えて、私は自分のスマホにメッセージが着信していることに気づく。

 瓦版をめくる手を止めて、確認すると志藤宗真――あの一般人からメッセージと共に画像が送られてきていた。

――ナリの言う通りに写真を送る。なんかに役立ててくれ。

 そのメッセージと共に送られてきたのは、婚約の記念品と古びた日記が数ページ分。婚約者の名前には志藤と嶋田の名前がある。

 志藤……? 彼と同じ名前なのに違和感を覚えつつ、その名前と日付を頼りにページをめくり、日記の情報と照らし合わせて、とある事故の記事を見つける。

 内容としては、桐谷神社近くの小さな社で、佐恵という女性が転落死しており、石段を上り下りする時の注意事項が滑稽な図と共に載っていた。

 そして、数ヶ月後には志藤宗一という人間が、殺人の咎で裁きを受けている。

「……」

 ここまで目星がつけられれば、あとはもうすぐに欲しい情報までたどり着くことができる。私は「助かる」とだけ返信をして、司書に必要な文献を指示し始めた。


――


――調べ物は終わったわ。すぐに行くから神社で待っていなさい。

 その短いメッセージを受信したのは、高校と自宅、そして松鶴寺をつなぐ分かれ道にさしかかったところだった。

『どうする? ソーマよ』

「こっからだと家に向かって資料を選別して……ってやってると牡丹を待たせちまうかな」

 家から神社はそう離れてはいないものの、ナリの手伝いがあるとはいえ本棚から古い本を引っ張り出して……というのを考えると、先に合流した方が良いかもしれない。

『では、先に待ち合わせ場所に行った方が良いか?』

「ま、そうだな」

 俺とナリはそう結論づけて、まずは神社へ向かうことにした。

『しかし、不憫じゃのう』

「何が?」

 歩きながらナリがそんなことを言うので、俺は片耳にスマホを押しつけながら会話する。

『あの澄玲というおなごじゃ、霊障に襲われ、ソーマから袖にされ……』

「仕方ないだろ、本当のこと言ったら絶対にややこしいことになる」

 にやにやと笑う姿が目に浮かぶようだ。人目をはばかる必要が無ければ堂々と声を荒げていただろう。

 ……そう、幽霊を見れないし、本当のことを話しても信じてもらえない。手っ取り早い証拠として俺の体からナリが出て来る瞬間なんて見せたら、どういう反応されるかわかったもんじゃ無い。

「とにかく、澄玲ちゃんの霊障騒動が終わるまではどうしようもないだろ」

 しばらく経てば、ナリは俺の体から離れてくれる。そうすれば牡丹も俺に興味をなくすだろう。そうすれば、徐々に日常へと戻っていく。昨夜から続く異常事態は俺の記憶の中だけに残ることになるだろう。

『ふん、霊障騒動が終わったからと言って、元の生活に戻れるかのう』

「戻れないのか?」

『まあ、難しいじゃろうな、お主は特に』

 具体的なことは言わず、ナリは思わせぶりなことを言う。

「なんだよ、気になるな」

 自宅前と廃神社への分かれ道を進み、寂れた民家の廃墟を通って、俺は石段を登り始める。昨日雑草を刈ったおかげで、遠くから見てもわかるようにはなっていたが、登り始めるとやはり、鬱蒼とした感じは否めなかった。

「ふう、牡丹はまだ来ていないみたいだな」

「じゃあ来るまで社を掃除するが良い」

 登り切って鳥居をくぐったところで、ナリがそう言って社の上に飛び乗る。

「ほれほれ、昨日刈りきれなかった雑草がそこかしこにまだあるぞ」

「はぁ、昨日に続き今日もかよ……」

 文句を言いつつ、用具入れからボロ鎌を取り出して雑草を刈る準備を始める。

「しっかりと掃除するのじゃぞ。お主の傷もその分早く治るじゃろうて」

「はいはい――じゃあさ、草刈りの間、暇だからナリのことを教えてくれよ」

「む、儂のことか?」

 社を中心に円を描いた時、最も近い位置に生えている雑草から鎌で刈る傍ら、俺はナリのことをもう少し詳しく聞いてみたくなった。

「だって、こんなところにあるのに、ご神体が立派な刀剣の稲荷神なんて、普通気になるだろ?」

「こんなところとは何じゃこんなところとは」

 ナリは俺の言い方が気に食わないとばかりに噛みついてきたが「……まあ、確かにソーマには知っておいてもらった方が良いか」と思い直したようで、一つ咳払いをした。

「どこから話したものかのう、最初から――というのは少々長くなるな、この地に社が建てられた経緯から話すのがいいか」

 話しぶりからして、社が建てられる以前からナリは存在していたようだが、そこを聞き始めると、ものすごく長い話になるような気がした。

「昔、人々が様々な荒魂や鬼に脅かされていた時代、二人の僧侶が唐へ向かったんじゃ。人に害を為す御霊を調伏する術を持ち帰るためにのう。それで、一人は奈良の高野山に、もう一人は京都の比叡山に寺を建てた」

 ざくざくと、雑草を刈る音と、ナリの語りが周囲の音に溶け込んで聞こえる。日が傾いて、比較的涼しさを感じる風が吹き始めていた。

「じゃが、その二つだけでは国を守りきることができなかったのじゃ。そこで声がかかったのが儂、ということじゃな」

「へぇ、具体的に何をやったんだ?」

「くかか、知りたいか? それはのう――」

「各地に直接赴いての神霊調伏、祓戸使へ剣術指南、でしょ」

 いつの間にか、牡丹が鳥居をくぐって到着していた。

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