第5話 8月31日 夜②

 暗い夜道を歩く時は、必ず刀を握る手が強張る。

 私が歩いているのは寂れた町の、更に寂れた道。そこは私の仕事場へと続く道だった。

 寺社仏閣をはじめ、祭祀施設という物は、放置されると悪霊や低俗な霊魂が集まりやすく、最終的には祭神をも変質させ、手のつけられない災害となって周囲に霊障を振りまく存在となってしまう。

 世話をする者が居なくなったそれらを、祭神が変質する前に調伏し、安寧を図るのが私達、鎮守特務庁の業務だった。

 ただし、これは一般市民に知られることを良しとしていない。鎮守特務庁の前身である神祓省(かんばらいしょう)、更にその前身である神祇管理局、その更に――いや、遙かに遡って平安時代、空海がもたらした真言密教の流れを汲んでいるのが理由だ。つまり、知識の無い半端者が、容易に神髄に触れることを嫌って、表だった活動をしていないと言うことである。

 事実、私たちの組織は、宮内庁以上に世襲であり、徹底的な秘密主義を貫いている。だから、日が落ちきって、人通りがなくなったタイミングを計って仕事をしている。

 今回は、古い資料に記載されていた鎮守特務庁の管轄外にある神社を視察すること、そして、必要であればその社に居る祭神を殺すことと聞いている。ここは一応現地の神社を管理する桐谷という家系が代々管理していたが、本殿である桐谷神社とは距離が離れており、管理の実態なしと判断されたのだ。

 祭神を調伏することについては、一応は最終手段と言っていいだろう。だが、それはあくまで建前だ。

 社までの道のりを歩くだけでも分かる。外灯もろくに整備されておらず。周囲にいくつかある家屋も、数十年単位で人が住んでいる気配が無い。これはもう、向かう場所は完全に忘れ去られていると考えて良いだろう。そして、忘れ去られていると言うことは、高確率で悪霊により祭神は変質させられている。

 変質させられた神霊を調伏するための道具と技術は既に身につけていた。剣祓(けんばらい)と天津鉾鉄(あまつほこがね)で作られた刀である。

 剣祓は古代剣法であり、戦時中の両手軍刀術を吸収することで更に発展した鎮守特務庁独自の剣術で、天津鉾鉄は、隕鉄を元として神職の刀鍛冶が精錬し、鍛造した刀だ。

 剣祓によって扱われる天津鉾鉄の刀は、人間霊はもちろんのこと、神霊の身体にまで干渉する。神をも殺す技術だが、やはりこれは門外不出、剣祓の中でも、師匠が違えば情報共有は御法度、そういう決まりになっていた。まあ、どんな相手だろうと手の内を見せるような愚行は犯すつもりはない。

「!」

 驚いた。誰もすれ違うことは無いと思っていた道すがら、視線の先に男子高校生が居た。暗がりでよく見えないが、あの服装は近くにある葉南高校の制服だった。

 身を隠すか? いや、相手もこちらに気づいている可能性がある。ここで不自然な行動をすれば、怪しまれてしまう。

 ここは帰り道を歩く一般人として、やり過ごすべきだろう。寂れているとは言え、いくつか家屋があるのだ。このまま素通りしても、変に思われることは無いはずだ。

 努めて意識しないように、しかし彼の存在に意識を向けつつ歩調を緩めずすれ違う。制服のズボンに土汚れがついていたことから、何かをしていたことは察するのとは出来たが、私が想像出来るのはそこまでだった。

 更に歩き続けると、半ば雑草に埋もれるような状態になった石段が見え始めた。目的の社までの入り口だ。近くに寄ってみると、ついさっき人が通ったかのような跡があった。恐らく、あの男子高校生の物だろう。

 どうせ、偶然見つけた社を見て回って帰ったのだろう。人間霊ならともかく、神霊は人が見ることは出来ない。鎮守特務庁の人間は、代々霊感の強い人間を嫁や婿に貰うことで力を維持していたが、それでも神霊を素の状態で見ることが出来るのは、一部の家系のみだった。

 では、見ることが出来ない大勢の職員はどうするのかというと――

 私はポケットからコンタクトレンズのケースを取り出す。ケースの中には特殊な製法で作られたレンズがしまわれていた。

 コンタクトレンズを装着すると、視界が少し赤く染まる。これで神霊を見ることが出来るはずだった。

 雑草を踏み分け石段を登っていく、その頂上には、古びた鳥居が見えていた。

 袋にしまっていた天津鉾鉄の刀を抜き放ち、鞘を投げ捨てると同時に石段を登り切る。

「む、何か忘れ物――ふむ」

 音に気づいた神霊はこちらへ振り返る。白銀の頭髪と狐を思わせる三角耳――一般的な稲荷神の姿だ。

「現代の祓戸使(はらえどのつかい)か、儂になんの用じゃ?」

「監査よ、貴方が堕していないか、見に来たの」

「ほほう、それはそれは、ご苦労であったな」

 祓戸使とは、鎮守特務庁が平安時代の頃名乗っていた名前である。

「して、どうかの? 儂はそなたらに払われる存在かえ?」

「姿は変質していないようね、だけど、このまま放置していたら、きっと悪霊に変質してしまう」

 周囲の様子を伺うと、掃除された形跡があった。あの男子高校生か……私は交渉が難航することを察して、刀を握る手に力を込めた。

「まあ、そうじゃろうな、今まで捨て置かれて来たというのに、今更来ると言うことはそういうことじゃろうて」

 神霊は、個としての生き死にに執着することは無い。分霊することによって、彼らは力の版図を広げるため、一つの分霊が消滅したところで、それは本体の力が削がれることにはなるが、逆に言えば問題はそれだけである。それでも交渉が難航することを予見したのは――

「ただ、ちと問題があってのう。儂を殺すのはしばらく待ってくれぬか?」

「さっきすれ違ったあの男子高校生のこと? それなら、貴方が居なくなっても気づくことは無いから、良いでしょう?」

 世話をする人間の存在だ。世間と完全に切り離された神霊ならば、抵抗なく受け入れてくれる場合が多いが、つながりが残っている場合、それを理由に渋られることが多い。

「いやそれがな、あやつは儂が見えるのじゃ。そうなると未練がな」

 こういう場合、神霊はあれこれと理由をつけて祓われることから逃げようとする。その言動は、必ずしも真実である事は無く、口八丁手八丁の嘘である場合も多々あった。

 そもそも、鎮守特務庁の職員ですら、神霊を直接見ることは出来ないのだ。在野の人間が見えるはずが無い。

「……そう、仕方ないわね」

 私は剣祓の構えを取る。素直に応じるつもりは無いようなので、ここからは実力行使となる。稲荷神の分霊とはいえ、平安時代から存在する御霊である。どんな権能を持っているか分からない。

「ほう、力に訴えるわけか――では、儂も戦わねばなるまい」

 少女の姿をした稲荷神がそうつぶやくと同時に、社の扉が勢いよく開かれ、内部の御神体が飛び出して、彼女の手中に収まる。それは月の光を浴びて艶めく一振りの刀だった。

「忘れ去られ、力を失った儂ではあるが、貴様のような小娘に後れを取るつもりは無い。さあ、遊んでやろう」

 青い狐火が周囲で灯りはじめ、神霊が荒ぶりはじめたのを感じる。だが、それでも怖じ気づくわけには行かない。私は一歩踏み出し、刃を走らせる。

 鉄火が舞い、風を切る。鋭い音の交錯と共に、蒼い軌跡と朱い軌跡が交錯する。

 幾度か切り結んだところで、私はいくつかのことに気づく。

 まず、技量が違いすぎること。この稲荷神が扱う剣術は神の剣術だ。

私達の扱う剣祓は、神霊が神霊を下す時に使う「神祓」という剣術を人間向けに調整した物である。それを扱うことができて、そのうえ御神体が刀剣であることから、相手がかなりの手練れであることがうかがえた。言うなれば、流派を開いた大剣士と真剣勝負をしているような物だった。

 そして次に、相手は全く戦意が無いこと、私の打ち込みを刀でいなすのみで、相手が後の先を取れる状況でも反撃をされることは無い。かといってこちら側が刀を収めようとすると、打ち込みやすいあからさまな隙を見せてくる。

 攻め手はいつまでも私の手にあるが、その実、戦いの主導権はずっと稲荷神が持ち続けている。

 このまま攻撃を続けていては、体力の限界がある人間は、神霊に勝つことは出来ない。私は歯噛みして、剣祓の速度を上げていく。

「どうした? 疲れが見えるぞ」

「――っ!!」

「儂を殺すのではないのか? 祓戸使も落ちたものじゃ、そなたのお遊び剣法に付き合うのも楽ではないぞ」

 これはただの挑発である。それは分かっているのだが、感情はそこまで理性的に働いてくれない。呼吸が乱れ、心音が鼓膜の内側から聞こえてなお、私は刀を強く握って刀を払う。

 円を描くように後退する稲荷神に、距離を取らされないよう足を踏み出して刀を振り上げる。

 その瞬間――。

「なっ!?」

「ソーマ!?」

「えっ」

 稲荷神の避けたところに、何故か先ほどすれ違った男子高校生が居た。

 既に刀は必殺の勢いをもって振るわれていて、軌道を変えることは出来ない。稲荷神も存在を関知していなかったらしく、斬撃をいなす方法は無かった。そして、彼自身も別のことに意識を向けていたらしく、避けることは出来なかった。

 つまり既に私は、この刀で人を殺める未来が確定していた。瞬間的に時間が止まったようにも感じたが、その感覚は結末に何の影響も与えなかった。

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