第4話「国会メタバース」

二〇二九年春、永田町に激震が走った。


「国会議事堂の維持費が年間三百億円を突破」「若年層の政治離れが深刻化」「デジタル化の遅れで国際競争力低下」 連日報道される課題に対し、時の総理大臣は大胆な決断を下した。


「国会をメタバース空間に完全移行する」


発表の瞬間、野党は猛反発し、メディアは騒然となった。しかし世論調査では意外にも六割が賛成。特に二十代では八割を超える支持率を記録した。


「もう古臭い建物はいらない」

「政治も時代に合わせて変わるべき」

「メタバースなら私たちも参加しやすい」


さらに同時期、選挙権年齢も十八歳から十六歳に引き下げられた。「若者の政治参加を促進する」という名目だったが、実際には美しいアバターに魅了された高校生たちの票を当て込んだものだった。


若者たちの声に押され、法案は可決。五年の準備期間を経て、ついに「国会メタバース」が始動した。


二〇三四年四月一日、午後二時。バーチャル議場に七百二十二人の議員アバターが一斉にログインした。その光景は、まさに壮観だった。


現実では七十五歳の老練な議員が、筋肉質で颯爽とした三十代前半の男性アバターとして立っていた。禿げ上がった頭頂部は豊かな黒髪に、深く刻まれた皺は滑らかな肌に、曲がった腰はまっすぐな背筋に生まれ変わっていた。


女性議員たちも例外ではない。白髪を隠すために毎月染めていた六十代の重鎮は、艶やかな栗色の髪を風になびかせる美女のアバターを纏っていた。


議場全体を見渡すと、そこは若き才能が集う理想の政治空間のように見えた。全員が健康的で知的で、何より美しかった。


最初の本会議が開催されると、ネット中継の視聴者数は過去最高の一千万人を記録した。


「うわー、みんなイケメン!」

「この人、めっちゃタイプ」

「政治って、こんなに楽しいものだったの?」


コメント欄は称賛の嵐で埋め尽くされた。


その変化は、高校三年生の玲奈の周囲でも顕著だった。


「ねえ玲奈、昨日の国会中継見た?」


クラスメイトの美咲が興奮気味に話しかけてきた。美咲はこれまで政治の話など一度もしたことがなかった子だ。


「あの外務大臣のアバター、マジでカッコよくない?スーツの着こなしも完璧だし、話し方も知的で……」

「分かる!あと法務大臣の笑顔、天使すぎ」

「今度ファンクラブ作ろうか」


教室の至る所で似たような会話が繰り広げられていた。政治への関心が高まること自体は良いことだと玲奈は思った。しかし、どこか引っかかるものを感じていた。


SNSでは「推し議員ランキング」が毎週更新され、議員たちのファンアートが大量投稿されるようになった。ハッシュタグ「#国会男子」「#政治女子」がトレンド入りを果たし、議員アバターのグッズまで販売されるようになった。


特に人気だったのは、野党第一党の若手議員(実年齢五十八歳)のアバターだった。黒髪を無造作に掻き上げる仕草と、時折見せる困ったような微笑みで、女性支持者のハートを鷲掴みにしていた。


「今日の質疑応答、神ってた!」

「あの『国民の皆様のために』の台詞、胸キュンすぎる」

「実際に会えるイベントとかないの?」


彼の発言内容よりも、アバターの表情や仕草ばかりが話題になった。


しかし、華やかな外見とは裏腹に、実際の政策審議は混迷を極めていた。


「高齢者医療費負担増」の法案が上程されると、与党議員からこんな意見が出た。


「この法案、ネットでの評判が良くありません。『老人に厳しすぎる』との声が多数寄せられており、我々のアバターイメージにも悪影響が……」


「確かに。支持率を考えると、もう少し『優しい政治家』を演出したいところですね」


結果として、必要性が認められていた法案は先送りされた。


一方で、奇妙な法案が次々と可決されていった。


「VRペット飼育支援法」——メタバース空間でペットを飼う国民への補助金支給。

「アバター美化推進法」——議員アバターの衣装や外見変更費用を国費で負担。

「バーチャル花見振興法」——実在しない桜を愛でるイベントへの予算計上。


どれも見た目の良さや話題性を重視した政策ばかりだった。


環境問題や少子化対策、経済格差の是正といった重要課題は「暗い話題だから」「アバターの印象が悪くなる」という理由で議論すら避けられるようになった。


玲奈は国会中継を見ながら、深いため息をついた。


「これって本当に政治なの?」


転機が訪れたのは、メタバース導入から半年後のことだった。定例の予算委員会が開催されている最中、突然システムにバグが発生した。議場の映像が乱れ、一瞬画面が暗転する。


そして再び映像が復旧した時、議員たちの本当の姿が映し出されていた。


皺だらけの顔、薄くなった髪、曲がった背中、太った腹部。現実の政治家たちの、飾らない真の姿がそこにあった。


ネット中継を見ていた国民は一様に絶句した。


「え、誰これ?」

「うそでしょ……」

「詐欺じゃん」


SNSは大炎上した。「#政治家詐欺」「#だまされた」などのハッシュタグが拡散され、怒りのコメントが殺到した。


特に人気だった野党議員の実際の姿を見た女性ファンたちの落胆は激しかった。


「おじいさんじゃない……」

「あの爽やかさは全部嘘だったの?」

「もう政治なんて見たくない」


議場では慌てふためく議員たちの声が飛び交った。


「早くシステムを直せ!」

「国民になんと説明するんだ」

「これは国家の危機だ」


十五分後、システムは復旧し、議員たちは再び美しいアバターの姿に戻った。しかし、その時にはすでに遅かった。真実を知った国民の政治への不信は決定的なものとなっていた。


ところが、一週間後には驚くべき変化が起きていた。


初めは激しく怒っていた国民が、徐々に諦めの境地に達していたのだ。


「まあ、見た目が良い方が気分いいし」

「中身がおじいさんでも、アバターがイケメンならいいじゃん」

「現実を見るより、夢を見ていた方が楽」


メディアも方向転換し、「アバターの魅力特集」を組むようになった。


「政治家の新しいコミュニケーション手法」

「時代に合った政治の形」

「外見の美しさが生み出す親しみやすさ」


批判的な論調は消え、メタバース国会を賞賛する声が大勢を占めた。


玲奈のクラスでも、最初はショックを受けていた同級生たちが、一週間後には元通り議員アバターに夢中になっていた。


「やっぱりアバターの方がいいよ」

「現実見ても仕方ないし」

「きれいなものを見てる方が幸せ」


玲奈だけは、その変化に馴染むことができなかった。


授業中も、休み時間も、家に帰ってからも、あの光景が頭から離れなかった。皺だらけの手で資料をめくる老いた政治家の姿。若々しいアバターから聞こえる、しゃがれた老人の声。そして、それを受け入れてしまった国民の姿。


「私たちって、本当に大丈夫なのかな」


玲奈は一人つぶやいた。


夜、国会中継を見ながら、彼女は考え続けた。華やかなアバターたちが取り上げるのは、相変わらず表面的な政策ばかり。本当に必要な改革は先送りされ、国民の目を引く話題作りばかりが優先されている。


「これで本当にいいの?」


しかし画面の中で、人気議員のアバターが国民に向けて微笑みかけた時、玲奈の心も一瞬揺らいだ。その笑顔は確かに美しく、希望に満ちて見えた。


「……私も、結局同じなのかな」


自分自身の心の弱さに気づいた玲奈は、複雑な想いを抱えながらテレビを消した。


それから三ヶ月が過ぎた。


メタバース国会はすっかり国民の生活に根付いていた。議員アバターのファンクラブは会員数十万人を突破し、グッズの売上は億単位に達していた。政治バラエティ番組では、アバターの着せ替えコーナーが人気コンテンツとなった。


一方で、現実の政治課題は山積みのままだった。少子化は進行し、経済格差は広がり、環境問題は深刻化の一途を辿っていた。しかし国民の関心は、そうした「重い話題」から完全に離れてしまっていた。


玲奈は大学受験を控えた冬の夜、久しぶりに国会中継を見た。相変わらず美しいアバターたちが、相変わらず表面的な議論を繰り広げていた。


コメント欄には「今日も推しが美しい」「この衣装素敵」「癒される」といった声が並んでいた。


玲奈は小さくため息をつき、つぶやいた。


「……でも、やっぱりきれいだな」


結局、真実を知った後でも、美しい虚構に魅力を感じてしまう自分がいた。そんな自分を情けなく思いながらも、玲奈は画面から目を離すことができなかった。


国民全体が同じ気持ちを抱えながら、今日も美しいアバターたちによる政治ショーは続いていく。真の改革は後回しにされたまま、華やかな外見だけが注目される政治の世界で。


これが、二〇三四年の日本の姿だった。若返った国会は確かに活気づいた。ただし中身は老いたままで、見た目だけでは政策は変わらなかった。

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