第37話 地獄の三丁目はここですか


 二人は共闘を誓い、敵の居城に潜入した。


 交換した情報の限りでは、対立するデメリットよりも共闘するメリットのほうが勝るようだ。


 D・Cは、『赤の女王』に会う前に陽色の亡霊を抹殺しなければならないと言い、ピュアは、ブランカを正気に戻しアリスに会うと言った。


 ブランカを正気に戻す、それは陽色の死を正しく理解させることにほかならない。

 互いに、その亡霊が邪魔なのだ。

 まずは亡霊退治、ということで利害が一致した。


 二人は正門から堂々と研究所に入った。

 D・Cは、通行証の偽造には余念がない。


 ここはテロリストのアジトや、犯罪組織の基地ではなく、あくまでも公共の研究施設なのだから、カタギの衆にはできるだけ迷惑をかけないよう計らうのがマナーだ。



 あの日、陽色・マリエルが死んだ日、D・Cは勤務を終えて、指定された酒場バニティ・ムーンに着いた。


 しかし、そこに旧友の姿はなかった。

 不審に思って周囲を捜すと、店の裏の狭い路地で、近隣の店が出した大量のゴミにまみれて、彼は腐った生ゴミのように転がっていた。


 それは、体の中に埋めこまれた特異増殖細胞が神経組織を食いあらしたあとの、凄惨な死にざまだった。

 想像を絶する苦痛と恐怖が彼を襲ったことは、死に顔が雄弁に物語っていた。


 と、D・Cは、親友の死を言葉少なに語った。


 激するわけでもなく、悲嘆に暮れるでもないその淡々とした語り口は、かえって切なく、ピュアの胸に響いた。


 彼の怒りが、痛いほどに伝わってきた。

 ピュアは思った。


 自分は命令違反を冒しているのかもしれない。

 彼と行動を共にすることも、アリスを引きずり出そうとすることも、彼女自身の判断だった。


 依頼内容はあくまでも、ブランカを護衛してこの星を脱出すること、だったのだから。

 だが、事態は急傾斜し始めている。もう、あと戻りはできない。



 四のB棟に入ると、狭いエントランスから右手に矢印が示され、その先に細胞操作研究室とあった。


 建物は地上四階。地下三階。

 棟内には研究テーマごとにたくさんの研究室がある。

 神宮寺雷の研究室は三階だ。


 エントランスで研究員とおぼしき白衣の人とすれ違った。

 もちろん、D・Cとピュアも白衣を羽織っている。

 エキストラになりきるには、その場にふさわしい衣装が大切だ。


 特にあやしまれることもなく、行きすぎた。

 階段で三階まで上った。

 三階の廊下には窓がない。


 薄暗い照明で照らし出された両側に、無菌室やパーソナル実験室が並んでいる。

 廊下には様々な薬品の匂いが充満していて、どこか不気味な雰囲気を醸し出していた。


 廊下を進むと、廊下の真ん中に鉄格子がはめられていた。

 まるで精神病院か刑務所を思わせるいかつい檻が、研究棟を分断していた。


 特別管理区域と表示された鉄格子の奥は、さらに別の通行IDが必要のようだ。

 ピュアは、傍らのD・Cを見た。

 ここを通るIDは用意してあるのかと目顔で訊く。


 D・Cは、名刺大のデータカードをピュアに示した。


「陽色の遺伝子情報だ」

「遺伝子ロック? それを使ったら、ここは開くかもしれないけど、速攻でバレるんじゃない?」


 鉄格子の通用口に警備員の姿はなかった。

 監視システムが完璧だということだろう。

 当然、映像でも二人の姿を捕らえているはずだ。


「逃がすと面倒だな」


 D・Cは言った。

 ここまで来て『赤の女王』とアリスを連れて逃げられてはかなわない。


「自分で言うのもなんだけど、あたしたちって弱そうじゃない?」


 小さくて華奢な少女と、どこか頼りなげに背を丸める白衣の青年。

 D・Cは、宙港でのセーラー服も妙に似合っていた。

 コスプレ系演技派だ。


「まあ、相手を油断させるには最適なビジュアルかもな」

「じゃ、そういうことで。早く開けて」


 D・Cがスロットにカードを差し込むと、ピッ、と鳴って、通用口のロックが外れた。

 通用口の格子がゆっくりと向こう側に開く。


 そっとピュアが通用口をくぐった。


 その瞬間、廊下の非常灯が赤く瞬き、サイレンが鳴り響いた。


 ピュアが振り返るより早く、通用口が大きな音をたてて閉まった。


 D・Cの鼻先をかすめて鉄格子が閉じる。

 間髪入れずに天井から防火隔壁が落ちてきた。


 それはまるでギロチンの刃のようだ。


 ピュアは反射的に飛びすさった。

 ずずん、と重い音をたてて、防火隔壁が閉まった。


 ピュアは、閉じた隔壁を見上げた。

 そびえ立つ城壁。


 バイオハザードをも想定した理化学研究所の防火隔壁は、GF四五のEG弾で貫くことができるだろうか。

 いや。侵入した二人を分断することが敵の狙いだとすれば、相手の出方を見るべきか。


 思案する間もなく、いちばん奥の扉が音もなく開いた。


 黒い影が、うじゃうじゃと躍り出てくる。

 大きさは幼稚園児くらいで、骨格は人間のものだ。

 全身にぴっしりと密生する黒い短毛は、あざらしやオットセイのように濡れて光り、それとは不釣り合いなほどの大きな猫型の耳が頭上を飾っている。

 目は大きく、鼻は低い。

 そして、ぱっくりと開いた赤い口からは、肉食獣を思わせる牙が、にょきりと生えていた。


 黒い集団は、ぞわぞわとうごめきながらピュアに向かってきた。

 生理的な嫌悪感を抱くような、奇怪な生物。

 ヒトと近いだけにおぞましい。


 ピュアは迷った。

 蹴散らして進むしか道はないのか?


 そいつらは、きゃわきゃわと幼児のはしゃぐような声を上げながらまとわりついてきた。

 なかの一匹が、両腕を広げ、ピュアの腰に抱きつく。


 その瞬間、ピュアの全身に刺すような電流が走った。


 悲鳴を上げて、抱きついてきたそれを突き放す。

 それは、よろよろとよろけて黒い群れの中に転がった。


 すると、群れはわずかに動きを止め、転がり込んだ仲間を囲んでチイチイと、奇妙な声を上げ始めた。


 ピュアは、全身の力が一気に抜けたような脱力感を感じた。

 まるで、エネルギーを吸い取られたみたいだった。


 群れが、ふたたびピュアに向き直った。

 その小さな黒い顔の赤い口元が、ひときわ赤く濡れて光っている。


 ピュアは、ゾッとした。

 さっきの仲間の生血を、みんなで寄ってたかって吸ったような口元だった。


 ピュアから吸い取ったエネルギーを、皆で仲良く分けたのだろうか……。


 これは、とんでもない化け物かもしれない。


 とても、自然発生的に生まれた生物には見えなかった。

 少なくとも、この、開発されつくした惑星には縁のない生き物だ。


 細胞操作研究室、人としての禁を犯し、いったいなにを創っているのだ……?

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