Track2. 影法師

 

 今日もこの町は幽霊だらけ。道のど真ん中に居座る弓矢貫通の落ち武者と吉川線の目立つギャル、びしょ濡れスーツの西洋ちょび髭。路地裏に佇む砂鉄の塊みたいに黒い人。どことも知れない赤ん坊の喚き声に生臭い腐敗臭。そこに顔一つ変えずにのうのうと歩く暁月町民。異様だ。けれど逆に言えば、現代人たちがほぼほぼマスクなのも幽霊側からすれば異常なんだろうか。

 おーいそこの歩きスマホ女子高生二人組、ふりふり踊り歩きしてるとこ悪いけど、今首のねじれたお姉さんが恨めしそうにガン飛ばしながら憑いてきとるで、なんて悠月は注意したいのをぐっと堪える日々。エブリデイハロウィン。エブリデイ百鬼夜行。悠月にとっては産まれたときから退屈のない町。鎌を振り下ろしてようが物乞いしてようが、触らぬ神に祟りなし。

 けれども、悠月は暁月町が好きだ。この町は国道沿いが発展していることもあり、田舎かといわれると田舎ではないが、都会と呼べるほど高い建物はないし、喧騒も少ない。如何にして都会と呼ぶかはそれぞれだけれど、少なくとも十人に聞けば十人は都会ではないと言うだろう。故に、安らぎがある。だから悠月はこの町が好きだ。

 一言でいえば物静かな住宅街。悠月宅もその中にまぎれている。昔ながらの瓦屋根の家が多く、鳥の目で見れば城下町のように見えるのではないだろうか。田んぼも少なくないけれど、京都や大阪まで伸びる路線もあるし、百貨店にマンション、チェーン店と小一時間の暇を解消できるお店が並んでいるうえに、もはや観光地ともいえるほどに大きな『ふぁおんもーる』も自転車でなら行けなくもない。でも、都会ではない。それなりに自然もあれば山もある。盆地なのだから。

 そして、今まさに向かっている『暁月神社あかつきじんじゃ』、標高二百メートルほどの『暁月山あかつきやま』のふもとに建立された、広やかで荘厳な神社は町のシンボルだ。悠月は生まれてから今の今までここで過ごしているわけだから、県外に出ればすぐに人酔いしてしまうほどに、程よく住宅、程よく自然の、塩梅の取れたこの空間が好きなのである。


「まだ時間は、ある。よし」


 スマートフォンに表示された時刻がまだ待ち合わせの十六時ではないどころか、あと三十分、五分前行動をしたとしても二十五分もあった。

 遠回りでもしていこう、と悠月は歩く。物淋しい神社を抜け、脇に田園風景を抱えて歩く。まだ田んぼだけは冬の気配を残していて、思い浮かびそうな緑の海はそこにはない。哀しいかな黒ずんだ土に稲藁をまぶした殺風景なものであった。春風に乗って乾いた藁の匂いが鼻をくすぐる。今は、五月の稲作に向けて田畑を耕すトラクターたちが鈍い音を唸らせてあぜ道を行き来している。

 田舎の季節は、こうやって移り変わっていく。これから緑になって、黄金色になって、真っ白になって、また黒ずんで。今年はどんな風景が広がるのだろう。耳をすませば、ピィーピリリリ、コロコロコロロ、ホーッホケキョッ、チュンチュンチュン。なんとまあ、春のオーケストラである。

 このあと、悠月は十七時から行きつけのライブハウスのスタジオを借り、明々後日の歓迎会ライブに向けてメンバーと練習。そのため、同じバンドのメンバーであり恋人でもある暁月花音あかつきかのん、通称『のんちゃん』と待ち合わせをしているのだ。一時間早い待ち合わせなのはもちろん、会いたいからである。

 さて、のんびりのんびり、藁の匂いも薄くなってきて、洋と瓦が混在する住宅街に差し掛かったとき。


「あれま、悠月でござりんせんか」


「あっ」


 異様なまでに艶やかで煌びやかな真紅の着物が視界に入ったことで、悠月は急いでワイヤレスイヤホン(ノイズキャンセリング付きのちょっとお高いやつ)をバッグから取り出し、耳に装着した。もちろん、昔からの見知った幽霊である。ただこれは話しかけられたことが嫌だったわけでも、好きなアーティストのプレイリストを再生したかったわけでもない。まあ後者は嘘であるが、単純に、体裁を気にしているのだ。

 住宅街のど真ん中で、硬派なギターケースを背負った、目が隠れそうなほどにマッシュの、青みがかったパーカーを着た陰湿な高校生がひとりで虚無に話を振っているという事実が、己の中で強烈な香ばしさを覚えるからである。

 この手の話ではよくあるが、悠月は幼少期に虚無と喋り倒して周りをドン引かせたことがある。子どもというのは残酷なもので、一時期あだ名が『ギタ郎』になったことがあり。決して下駄やちゃんちゃんこを履いていたわけではない。

 それが今の時代、イヤホンをつけておけば、独りで話していても「ああ電話しているのかな」くらいに思われる世の中になったのだから、悠月はそういう意味で令和のありがたみを深く噛みしめていた。


「こんにちはです、東雲さん」


「今日もお稽古でありんすね」


「そうです。最近ぽかぽかしてきましたね、やっと春ですよー」


「あぁ……。それはよござんすけど、どうも鼻が」


「うわーそうか、花粉の季節。スギですもんね今」


 太陽かと思うほどに眩いかんざしを何本も髪に挿し、雪をまぶしたような白粉が目立つ『東雲しののめさん』は、百年ほど前に隣町で遊女をしていたそうだ。紫がかった禍々しい女郎蜘蛛じょろうぐもが着物に堂々と描かれていて、触れれば毒されてしまいそうなほど妖美である。コスプレという言葉をここで出すことすらもご法度のように思えるが、それとは全くもって異なる、まさに本物であった。彼女もおじちゃんと同じく、恋焦がれ、この世に未練を残した存在であるのだそう。詳しくは存じ上げないが。


「え、てか東雲さんも昔は三味線を弾いてたんでしょ。聴いてみたかったな」


「そうでありんすが、主が思うほど『ろっく』な爪弾きをしていたわけじゃあないざんす」


「そうなんですね」


 うん、と東雲さんはこくり頷いて、


「実に愉快でありんした。まぁ、長うのう日々でありんしたが。今は、悠月がいんすから」


 そう東雲さんの目がどこか虚ろになったところで、悠月はそのまま表情は変えずに話題を変えることにした。地雷を踏むのが怖い。


「うーむ」


「む、なんざんす、何時も以上にあちきを見て」


 悠月は顎に手を持っていって、東雲さんを上から下へ、下から上へじーっと眺めた。


「前々から言おうと思ってたことがあったんですけど」


「ふん?」


「いつもそのお召し物、擦って歩いてるんですよね」


「そうでありんすが」


「イヌのフンとか気になりません?」


 あまりにも悠月は真っすぐに聞いたものだから、思わず東雲さんは「ぷっ」と吹き出す。彼女はすぐに着物の裾を口に当てて、さりげない所作の美しさが感じ取れた。


「それを毎度気にしておれば、こうして歩けてはござりんせん」


「ああ、それもそうですよね。……え、付いてるんですか?」


「ついてるかぁ! あっしぁ透けとるわ!」


 あ、いつものことながらこの人感情が高ぶると素が出るタイプだ。なんて悠月は思いながら、「おすすめのクリーニング屋紹介しましょうか」というジョークは出さないでおいた。


「こほん、あちきも主にちょいと云わんといけんことがありんす」


 今日は報告続きだなあなんて悠月は思いながら、


「あ、ごめんなさい彼女にぞっこんで」


 仏を前にしたかのように手を合わせた。


「ちゃうわ! そんなことくらい分かってやすえ。五人で歩いているときは閑静なツラをして聞き手に回るでありんすが、二人のときだけ執拗しつように思ひ人のお手をすりすりと撫で」


「ふあっ!? みぃたぁなぁー!?」


「それくらいお見通しでありんす。人を見ることが生業なりわいでござんしたから」


「いや、昔、よく頭を撫でられてたんで! で! 手の温もりが好みなだけで!」


 あまりの動揺に悠月は通話という体も忘れてあたふたとしていた。現状周りに誰も居なくてよかった。

 気づけば足から頭へ、じわじわと血が昇ってきているのを感じた。こうして人間は火照っていくのだ。東雲さんは小童の相手をしているかのごとく嘲笑していた。手は悠月のフェチズムを刺激するのだ。おてて。


「で、そんな見ることが生業なりわいのあちきからでござりんすが」


「あっ、は、はい」


 東雲さんは言おうか言うまいか、目を泳がせて一瞬ためらう素振りを見せた。


「……なんとも妙な話でありんすから、聞き流してもようござんす」


「いやいや、聞きます。なんでござんすか」


 一呼吸おいて、東雲さんは眉をひそめ。

 そのまま長い瞬きをした。



「――影法師が、歩きんした」



 淡々とした声色がぽとりと地面に落ちる。太陽は偶然にも雲に隠れ、通りは大きな影に覆われた。


「か、かげ?」


 今日は一段と影が大きい。また思う。

 日陰の瞬間は一層冷やかに感じられて、くうを切ったようなキリキリと鳴る風が足元を通り抜けた。

 町の喧騒が急に遠ざかる。

 構わず、暁月町民がなんてことない顔をして向こうから歩いてくる。すれ違う。見向きもせずに。一変した空気すらも気づかずに。

 悠月は思わず身を乗り出して、もう一度「影法師、ですか?」なんて聞き返す。

 『影法師』。

 つまり影。

 が、なんだ、歩いていた?

 「ふん」と。東雲さんの表情は、どこか深刻そうで、しかし他人事じみてもいた。


「主もござりんしょう、影が。その影が、歩いていんした」


 そう言って東雲さんは、悠月の足元から伸びる黒を指差した。


「え、っと、影単品ってことですか? この下の黒い部分だけが?」


「そうざんす。あないのは視たことがござりんせん。不気味でありんした。あちきらと同じ物の怪、と言ってしまえばそうでありんしょうが、あれは影としか云えぬものでありんす」


「うーん、そんなんは僕視たことない……とはもちろん言い切れないですけどね視すぎて。もしかしたらどっかですれ違ってたんかな。けど東雲さんが不気味って言うなら相当ですよね。最近ですか?」


「ひと月前辺りでござりんした。ぬ、つい昨晩も視たような」


 東雲さんは目線を斜めに、そっと袖で口元を隠し、記憶を巡らせた。

 悠月も、その話を聞いて先ほどのおじちゃんの話を思い出す。

 狐の痣。真っ赤な目。歩く影法師。関係しているとは決めつけ難いものの、今日だけで立て続けに幽霊たち自身からこんな奇妙な話を聞いて、さすがの悠月もおののくどころか興味が湧いてしまっていた。

 影法師が歩いている、という表現は本当にそのままなのだろうけれど、またしてもいまいちぴんと来ていなかった。これまで悠月は幽霊を実体、亡くなった姿のまま視認していたし、ぼやけることなんて一度もなかった。影というと身体の輪郭だけがあって、のっぺらぼうみたいなもので、要は人の形をした、黒い塊、ということ。その黒が、歩いていると。


「それは、なんか危なそうやったんですか? 襲ってきたとか」


「いや、そないなことはござりんせんした。黒いもんが数人まばらに、ただふらふらと。あちらからこちらに。道なりに。曲がったり、引き返したり。のらりくらりと身体をうねらせて、何かを探っているようにも視えんした」


 東雲さんは腕を伸ばし、道から道へと、指でなぞった。


「えぇ、怪談ですか」


「気をつけておくんなんし、悠月」


 東雲さんの目は笑っていなかった。彼女の語尾が下がるときは、本当に危ない気がする。なんとなく、悠月はこれまでの東雲さんの傾向からそう読み取った。

 それで言うとおじちゃんだってそうだ。今日はなんなんだ、可笑しな日である。


「分かりました。なんか気になるし、こっちも調べてみます。あ、あと、ちなみになんですけど、狐の痣がある女性とかって視たことあります? なんか危なそうな」


「狐――。いや、そないのは」


 あれ、一瞬間が空いた?


「あぁ。なら、なんでもないです。色々報告ありがとうございます」


「ふふ、狐とやらも用心でありんすね。したら、ここいらでおさらばえ。約束でありんしょう」


「えっ」


「時刻を気にかけていたようでありんすから」


 東雲さんは悠月が握りしめているスマートフォンをちらりと伺った。


「本当に不気味なのは、東雲さんなのかもしれない」


 そこまで分かるなんて、東雲さんすごいですね。あ逆である。


「ふん。ようござんすか悠月。確かに大事なのは言葉にすることでありんす。察せで伝わることはう思っておくんなんし。言葉を大切にせぬ者は人を大切にできんせん。あちきはそう思いんす。ただ伝えることは良いことでありんすが、お慕いしている人も、近しき友人も、その者が喜ぶ言葉を選んだ方が『はっぴぃ』でありんす」


「は、はい」


「ちなみに先のは『余計』というものでありんす。あまり要りんせんゆえ、捨てておくとようござんす」


「はい、すません、とても、お美しいです、ロックです、東雲さ」


「なれど。優しい嘘もわざのうち。いずれ、まことに変えらばそれでようござんす」


 ひぃ。思わずギターケースの肩紐を握りしめてしまった。圧。


「は、はは、ここいらで失礼します」


「ふふ、うん。主は見ていて、可笑しい。まあ、先の赤い目の狐の痣とやらには気ぃつけておくんなまし。それと、思ひ人との公然での」


「はい! はいー! ありがとうごぜーますー!」


「ふふ、主はほんに、そのままがようござんす」


 東雲さんはつやのある紅い唇を震わせて、そのまま悠月とは反対の方向へ擦り歩いて行ったのだった。


「え。あ、十分前。ここから歩いて五分くらいやから、ちょうどいい切り上げ……。おそろしっ」


 悠月はスマートフォンを握りしめたまま、約束へ向かう。

 イヤホンはもちろん外した。

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