メーターが空を支配する世界

第1話:空の数字と迷い子

冷たい鉄の匂いで目が覚めた。口の中がざらつく。舌に錆の味。視界に薄く漂う粉塵。天井は抜け、空が四角に切り取られている。


空には、数字の帯が五本、水平に流れていた。青、緑、黄、橙、赤。目盛りがびくっと震え、上の端で72、下が31。息を呑む。なにそれ。でっかいステータスバー?


私は起き上がる。腰の骨がミシッと文句を言う。周囲は壊れた床、ひしゃげた椅子。廃墟。コンクリートの欠片の角で手のひらを擦り、痛みで意識がはっきりした。


夢の余韻が残っている。声。囁き。お前はユウ。刻印を受けろ。加護を刻め。ギルドへ。……ええ、はい。神託、たぶん。こういうのはだいたいギルドに行けば正解だ。前世の読書経験がそう言っている。転生ものの初手は登録。鉄板。


でも本当に異世界なのか?空のメーター、読めない標識、どことも知れぬ木々の匂い。たぶん異世界だろう。帰り道はない。なら動くしかない。


私は廃墟の隅で布切れを見つけ、腰に巻いて即席の紐にした。棚に転がっていた金属棒は程よい重さがある。杖兼こん棒。頼りないけど素手よりはいい。壁の穴から外へ出る。風が頬を撫でた。冷たくて、ちょっと甘い匂い。草の匂いだ。


崩れた建物の群れの先に、森が見える。黒と緑の濃い帯。鳥の声。空のメーターの黄が少し揺れて、数が一つ減る。おいおい、私の体力ゲージじゃないよな。上を睨みつけても何も起きない。そりゃそうか。


森へ向かう。足元に枯葉、時々石。靴は……見知らぬズック。サイズは合う。歩ける。日差しはやさしい。だけどこの風景、静かすぎる。人の気配がしない。世界が冷たい。私の腹だけがうるさい。ぐう、と鳴る。よし、早く人里へ行こう。ギルドだ、ギルド。


森の手前、草むらが揺れた。私の足音じゃない。棒を構える。何かが飛び出した。


栗色のフード。小柄な影。そして耳。三角の、ふわふわの。獣人の子どもが、私を見上げて固まった。向こうの方が驚いてるじゃないか。


「……森の入口で棒を振る大人。すごく怪しい」


「いや、違う。怪しくない。私は迷い子だ」


「自分で言った。もっと怪しい」


手厳しい。けど、ここで逃がすと情報が消える。私は棒を地面に置いた。両手を上げる。ほら、丸腰。ほぼ。


「ギルドはどっちだ?加護の刻印を受けたい」


「刻印?あ、祝福の印。持ってないの?」


「ない。今目覚めた」


「目覚めた?森で?……迷い子だ」


変わらない判定。うん、まあ、そうだ。彼女は腰の小袋を探って干した果実を出し、ぽいっと私に投げた。酸っぱくて甘い。ありがたい。


「食べるといい。森を抜けたら町がある。ギルドもある。でも、刻印なしは門で止められる。受付でひと悶着。へこんだ顔で戻ってくる人、多い」


「へこんだ顔は嫌だ。先に刻印を受ける方法は?」


「迷子の案内、する」


獣人の子どもは、見張り台の梯子を指差した。そこからなら道筋と罠の位置が見える、と。思いきり助かる。神託より実用的だ。


彼女のあとを歩く。森は涼しい。湿った土の匂い。足裏の感触が柔らかくて、沈む。鳥の声、時々葉が擦れる音。空のメーターの青が穏やかに流れて、橙がときどき小刻みに震える。


「そのメーターは何だ?」


「空の数字。見方は人それぞれ。でもだいたいは、風と水と火と土と影。今日は影がちょっと騒いでる」


「影?」


「夜の獣とか、病とか、祟りとか。危ないのが近いと、赤も動く」


ふむ。完全に神話の世界の説明だ。でも目盛りは本物に見える。私の脳内UIじゃない。彼女も見上げるたびに数を読んでいる。つまり、共同幻想でなく、現実に空にある。システムが空に浮いてる。誰の?


夢の声が再生されたみたいに脳裏で響く。危険度、微増。呼吸を整えろ。歩幅を一定に。……誰だお前。私の内側に住んでる健康管理アプリか?


「止まって」


彼女が腕を伸ばして私の腹を押した。前方の苔むした倒木。その陰から、灰色の塊が滑るように出てきた。ゼリーみたいな、ぬるりとした生き物。スライム。うわ、実在。


「火打ち、ある?」


「ない」


「じゃ、石。投げて。目を狙う」


「目、あるのか?」


「なんとなくでいい」


なんとなくで投げたら、石がぴしゃりと当たって弾けた。スライムはひょいと跳ねて方向を変えた。攻撃というより、驚いて逃げた。緊張が抜ける。彼女が肩をすくめる。


「よくできました。加護なしで、まあまあ」


「いや、ただの運だ」


「運も加護」


軽口がうまい。彼女は倒木に乗って先へ進む。足運びが狐みたいに静かだ。私は真似する。木の表面の湿り気。滑らないように重心を低く。体が勝手にバランスを取る。見覚えのない動き。なのに出来る。おい、誰の訓練記録だこれ。


夢の残像が濃くなる。ユウ、深呼吸。心拍は平常。酸素濃度、良好。私は口の中で「はいはい」と返事して、自分の脳みそにツッコミを入れた。メタいな私。


森が切れて、見晴らしのいい土の丘に出た。丘の上から、白い壁に囲まれた町が見える。煙突からは薄い煙。門の前、行列。人の声。遠くて小さいのに、熱がある。世界に色が戻った感じ。


「ほら、あれが町。ギルドは中央の鐘楼の隣。瓦屋根三枚分ずれてるやつ」


「遠い」


「道は短いけど、門で時間がかかる。刻印がないと、祈祷所の列に回される」


「祈祷所?」


「祝福の印を押してくれる。刻印師のところ。信心深い人は先に祈るけど、急ぐ人は金で速くなる」


「つまり、金がいる」


「少し。迷い子の財布は空っぽ?」


私は腰紐を触る。鈴ひとつも付いてない。笑うしかない。


「空っぽだ」


「じゃ、拾う」


彼女は足元の草をかき分け、白い茸と木の実を拾って小袋に入れた。器用だ。少し見習う。私も木の実を拾う。柔らかい。甘くない。食べたら顎が痛くなりそう。


「それ、安い。こっちの茸は高い。毒じゃないよ」


「信用する」


「信用は、半分だけに」


現実的だ。彼女は私に半分くれた。空のメーターの黄がわずかに上がる。なんだ、これで食糧メーター上がったのか?まさかな。


丘を下りる。道の脇に設置された木の柱には、焼印が押されている。手形の模様。通行する者は手を当てて進むらしい。真似して手を当てる。柱が温かい。皮膚に微かな痺れ。刻印の有無を確かめているんだろう。芸が細かい。


「あの子」


門の手前で、私たちと同じ年頃の子が転んで泣いていた。手に縄。罠に使うやつ。彼女が駆け寄る。膝の泥を払って、縄を直して渡す。泣き顔が笑顔に変わる。温度がある。空のメーターは相変わらず動くけど、私の胸は少しあったかい。


門の前。槍を持つ門番が二人。列は遅い。刻印の確認で一人ひとり時間がかかっている。私の番。


「刻印は?」


「ない」


「祈祷所へ」


即答だった。槍の穂先が指す方向に、石造りの小さな建物。扉の上に輪と翼の標。祝福っぽい。行列、長い。午後の日差し。砂の熱。喉が渇く。


私は彼女を見る。彼女は肩をすくめた。


「ね、言ったでしょ」


「ああ。完全に詰んでる」


「迷い子への慈悲。私が並ぶ。あなたは水を汲んでくる。井戸はそっち。柄杓、貸す」


柄杓が私の手に載った。木の感触。手に馴染む。私は頷いて走る。井戸に人。列。並ぶ。水を汲む。唇に当てる。冷たい。うまい。全身に染み込む。


戻ると、彼女は行列の前の方で私を待っていた。位置、進んでいる。どうやって抜かした。周囲の人たちに短く会釈する彼女。顔が広いのか、ただの愛嬌か。私も頭を下げて謝る。水の器を差し出す。隣の老婆が笑って器を受け取った。人の温度がある。


「私、見張り役だから。門で止められてる人、見たらつい助けちゃう。職業病」


「職業?」


「森の回廊の案内。小銭。刻印が取れたら、あなたも依頼を受けられる。ギルドで。モンスター討伐、護衛、採取。祝福が高いと報酬も高い」


「祝福が高い……どうやって上げる?」


「人を助ける。働く。祈る。笑わせる。泣かせない」


予想外に真面目な答えが返ってきた。私は笑った。彼女も笑った。空のメーターの青が少し明るくなったように見えた。気のせいかもしれない。でも、そう見えた。


私の番が来た。祈祷所の中は涼しい。石の床。香の匂い。中央の台座に、刻印師の老人が座っている。白い髭。目は細い。私の手を取り、掌を撫でた。指先がぴりっと走る。空のメーターが全体に微かに震えた。


「迷い子だね」


「そう見えますか」


「においでわかる。風の匂い。加護、薄い。空の数字、よく見る。すぐに癖になる。中毒になる前に、印を押す」


老人は銅の輪を暖め、私の掌に押し当てた。焼ける匂い。痛みは浅い。輪が皮膚に沈んだ感覚。掌に薄い光の輪が残る。これが刻印か。シンプル。こんなもので世界が変わるのか。


「加護の刻印、初段。ようこそ」


老人の口元がわずかに上がった。空のメーターの緑がちょっとだけ上がった。ほんの少し。私の胸の奥でも、何かがカチリと噛み合う音がした。


外に出ると、彼女が待っていた。腕を組んで、つま先で地面をぽんぽん蹴っている。待ちくたびれたふうの顔。でも目は笑ってる。


「刻印、もらえた?」


「もらえた。初段」


「よかった。次はギルド。登録して、依頼を受ける。入口の鐘、二回鳴らす。受付の人が優しいといいね」


「優しくないと?」


「笑えば大丈夫」


私は掌の輪を握りしめた。体のどこかが軽くなった。空は青い。数字の帯は相変わらず世界を支配している。でも、数字の向こうに、人の顔がある。声がある。手がある。私が動けば、何かが動く。その単純な因果に、勇気が出た。


「ありがとう」


「お礼は依頼でいいよ。森の回廊の案内、また頼んで」


「そのときは、ちゃんと払う」


「約束」


彼女は指切り代わりに私の刻印を指でちょんと触った。輪が温かくなった。私はギルドの方角に足を向ける。夢の声が遠くで笑った気がした。違うかもしれない。まあ、いい。


旅立ちは、意外と地味だ。泥のついた靴、乾いた喉、空の数字。だけど今は、それで十分だ。


次回、第2話:加護の刻印

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