第9話 飛べない八咫烏(4)
「はい、では今日から一緒に働いてくれます、及川佐保さんです」
「よっ、よろしくお願いしますっ!」
パチパチと拍手で迎えられる。
数日後、祖父の紹介で近所のスーパーでアルバイトとして働き始めた。
神社での奉仕もアルバイト代をもらっているのだが、祖父の腰も良くなってきて人手が余ることもあった。
平日の昼間はもし祖父が動けなくても祖母と菊理様でどうにかできるという事で、人手が足りている時は外に働きに出る事にしたのである。
もちろん、真藤動物病院に診療代を支払う為だ。
受け取ってもらえないかもしれないけれど、だからと言って何もしないのも違うと思った。ただの独りよがりだ。でも、何もしないよりは精神的に楽だった。
簡単なミーティングが終わると、集まったスタッフの人たちは持ち場へと戻って行く。
同世代の人はおらず、一番歳が近そうなのは母くらいの年齢の方だった。
「とりあえずしばらくは私と一緒に基本的な仕事覚えて行こうか」
「はい!」
仕事を教えてくれるのは、宮田さんという私の母と同じくらいの歳の女性だった。私と同じ年頃の大学生の息子さんがいるらしい。
実家にいた頃も本屋さんでアルバイトをしていたが、やはりはじめての仕事というのはどうしても緊張する。
あとはうちの独特な事情のやりにくさがあった。
「まさか花里さんのところのお孫さんがこんなに大きくなってるなんてねぇ。今はこの辺りお年寄りばっかりで人手不足だから本当助かるわ」
神社の宮司というのは地域でもよく顔が知れている存在で、こんな小さな街なら尚更だ。
その孫ということで、小さい頃に会ったことがある人が声を掛けてくれる事が多いのだが、私の方は記憶が曖昧だ。知らないことを悟られないように、笑って当たり障りのない会話をして切り抜けるしかない。
後で祖父母に話しかけてくれた人の特徴を伝えて聞くことも、この街に来てから一度や二度の話ではなかった。
一方的に知られているというのは少し居心地が悪いが、今更どうしようもない。生まれながらの宿命なのだから、甘んじて受ける他なかった。
「おつかれさまでした~」
タイムカードを切って、ヘロヘロになりながら裏出口から退勤する。
初日は当たり前ながら覚える事が山ほどあって、頭がパンクしそうだ。
歩く端から記憶が溢れていきそうな気がして、必死で今日やったことを思い出しながら歩いていると、暗闇にぼんやりと浮かぶ白い影がこちらに向かってくるのが見えた。
「おつかれさま」
えっ、こわ……と思って回り道をしようとしたら最近よく聞く声が聞こえる。
「菊理様……と白山?」
菊理様がひらひらと手を振りながら、暗闇から出てきた。白い影の正体は白山だった。今日は満月なので、月の光が当たるところに出てくると、白山がより一層輝いて見える。
「どうしたんですか」
「白山の散歩ついでに佐保を迎えに来たんだよ。ね」
菊理様が白山を見下ろしながら話しかけると、白山はパタパタと尻尾を数度振った。
二人の隣に並んで歩き出す。
「わざわざありがとうございます」
「ううん。白山も日が落ちてからの散歩の方が楽そうだし、女の子一人で夜道を歩くのは危ないしさ」
「でも菊理様も女性じゃないですか」
菊理様を見上げながら言うと、菊理様は少し目を丸くさせた後にふっと涼やかな笑みを浮かべた。
「私は神様だからね。心配御無用だよ」
不敵な笑みに、心臓を掴まれるような心地がした。
「それにいざという時は白山がいるし」
菊理様の言葉に白山が誇らしげに顔を上げ、自分のご主人様の言葉を受け取っている。
白山はおじいちゃんだが、大きな大型犬に近寄ろうとする輩は少ないだろう。
「それにしてもいきなりスーパーでバイトするっていうから驚いたよ。なんで急に?」
「あー…………」
これを言ったら菊理様は気にするだろうか。でも、うまく他の言い訳も思いつかなかった。
「あの、八咫烏の病院代の足しにでもなればと思って……八咫烏を見つけたのは私ですし」
そろりと隣を歩く菊理様を見上げると、目を細めて微笑んでいた。
「初出勤はどうだった?」
「いやぁ、覚える事が盛り沢山で……寝たら忘れそうで怖いです」
「今日は疲れてるんだからしっかり寝ないとね」
「頑張ります」
祖父母の家に来て朝型の生活に慣れてきてはいるものの、油断すれば年単位で染み付いた夜型の習慣にすぐ逆戻りしてしまいそうだ。
「八咫烏、翼が使えなくて少し不便そうだけど、ご飯も問題なく食べられてるよ」
八咫烏は菊理様が面倒を見て下さっているので、神社の本殿の方にいる為あまり様子が分からない。
いろんな人間が側に寄ると刺激を与えてしまいそうで、様子を見に行くことは控えていたので様子を教えてもらえることは嬉しかった。
「良かった……すみません、お世話をお願いしてしまって」
「ううん。動物の世話は慣れているからね。鳥も昔飼っていたこともあるし」
昔を思い出したのか、菊理様の表情に少し寂しそうな色が滲んだ気がした。
「今までどんな動物と暮らしてきたんですか?」
「たくさんの子と暮らしたよ。犬や猫はいろんな子が一緒にいてくれたし、兎や鼠もあるね。鳥は文鳥や鸚鵡かな。燕の子を拾った事もあるなぁ。怪我をした蛇の面倒を見た事もあるよ」
想像以上にたくさんの動物の名前が出てきて驚いた。
「……下手したら普通の獣医さん以上の経験値持ってたりします?」
「専門知識はないけど、長生きしている分の経験は多いかもしれないね」
専門ではないとはいえ、自分より遥かに知識を持っている相手のペットを診るというのは大きなプレッシャーだろう。そりゃあお代をもらうわけにはいかないと言いたくなる気持ちも分かる。
「いつか絶対に別れる日が来るって分かってるし、別れの度に身をちぎられる様な思いをするから、二度と動物とは暮らさないって決めるのに、行き場のない子や怪我をしている子を見るとどうしても放って置けなくてねぇ」
こんなに動物が好きなのに、長い時間を過ごしてくれる子が菊理様にはいない。
何度も何度も、出会いと別れを繰り返してきたのだろう。
動物とも、人とも。
「白山は生まれたばかりの頃に猟師さんが山で見つけて保護してきてね。行く当てがないと言うから保護したんだよ」
シベリアンハスキーに近い見た目をしているので狼っぽいな、とは思っていたがもしかしたらもしかするのかもしれない。
「今はこんなにもイケメンなのに、子犬の頃はコロコロしてて雪玉みたいでかわいかったんだよ~」
「えー、見てみたかったなぁ」
「静江さんが写真をアルバムに整理してくれてたと思うから、今度みんなで見てみようよ。佐保に話してたら私も久しぶりに見たくなっちゃった」
三人で夜道をのんびりと歩いて帰り、スーパーを退勤してから三十分くらいかけて神社に着いた。
「ちょっとだけ八咫烏の様子見ていく?」
「いいんですか?」
「そっと見るだけなら大丈夫だよ」
「じゃあ……ちょっとだけ」
菊理様と白山の後に付いていき、本殿に上がる。
本殿にはお供物のお酒や真榊、祭祀用の太鼓が置かれているが、生活する為のものは何一つ見当たらない。
「ちょっと待っていてね」
そう言って菊理様は本殿の奥へと向かう。暗闇に溶け込むようにして、菊理様の姿が見えなくなった。本殿の奥が菊理様の神域だそうで、菊理様たちは普段そこで生活されているらしい。
どこからどういう風に神域になっているのか気になるが、おいそれと神の領域へ足を突っ込んではいけないというのは本能で理解しているのでおとなしく菊理様が戻ってくるのを待つ。
私の不安な心情を読み取っているのか白山は菊理様に付いていかず、足元で伏せをして待っていた。
「お待たせ」
奥から戻ってきた菊理様はキャリーケースを抱えて持ってきて、床にそっとキャリーケースを置いて手招きする。
大きな音を立てないよう、抜き足差し足で菊理様の方へ近付いて床に腰を下ろす。
キャリーケースの蓋を開けてくれたので、そっと中を覗き込んだ。
暗闇の中にきらりと宝石のように光るものが見える。目が暗さに慣れてくると八咫烏の全身がぼんやりと見えてきた。先ほど光ったように見えたのは、八咫烏の目だったようだ。
「賢い子だね。ずっと大人しく待っていてくれている」
八咫烏は夜だからかあまり目は見えていないようで、菊理様の声が聞こえる方に首を向けている。
「元気そうでよかった……」
菊理様が面倒を見てくださっているので大丈夫だとは分かっていても、やはり実際この目で元気そうな姿を見れるとホッとする。
自分のやっていることはただの自己満足だ。
誰の為にでもなく、自分の罪悪感を軽くする為にやっている。
偽善と言われるかもしれないけれど、この子の為に自分が何かできているということがただただ嬉しかった。
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