その6.これは不意打ちなんかじゃなくて
漆との電話の翌日の土曜日。
知日路は何をしようかと手持ち無沙汰にぱらぱらと読みかけの文庫本を開いていたところ、不意にメッセージが届いた。
「もしよろしければ、楽器屋さんを回りたいので一緒に来てもらえないでしょうか?」
有衛 爽雨(ありえ・そう)からだった。
一年生の爽雨は中学校からずっと知日路を慕ってきており、知日路が一年早く古港高等学校に入学したあともちょくちょく連絡を入れてきたり、小さな相談をしてきたりした。
付き合いの長さということで言えば約3年くらいと伝楽部の中で最も長い。にも関わらずいまだにこうしてメッセージを送ってくるときにはガチガチの敬語を使ってくるのが面白いところだった。
楽器屋さんか、と知日路は思った。昨日の電話の話からするに、もしかしたら乃愛と漆の二人と鉢合わせをするかもしれない。
だけどもそれを理由に行くのをためらうというのもおかしな話だし、乃愛同様爽雨も自分の提案のせいで未経験の楽器を担当することになってしまったのだからここで理由もなく付き合いを断るというのもまた部長としてよくない。
それに何よりも。
「いいよ。あまり弦楽器は詳しくないから頼りないかもしれないけど、いい?」
こうして一人で部屋にいたら今頃あの二人は何をしているだろうと悶々と考えてしまうことにもなりそうだった。知日路が了解のメッセージを送ると、ものすごい速さで返信が届いた。
「ありがとうございます! ありがとうございます! 知日路先輩が来てくれればそれだけで百人力です! そちらにお迎えに行きますね」
ふふ、とそのメッセージに微笑みながら知日路は返信を送った。
そんなに急がなくてもいいよ、と。
*****
爽雨との買い物はすぐに終わった。
必要なものは昨日音楽室で先生に聞いており、松脂、クロス、チューナー、メトロノームといったものがあればあとは学校の備品を借りられるとのことだった。
「でもサイレントベースもかっこよかったですね。自宅練習用に買った方がいいでしょうか?」
買い物帰りに立ち寄ったカフェチェーン店で向かい合いながら、ぽつりとつぶやくように爽雨は言った。
サイレントベースというのはウッドベースの指板の部分だけを独立させたような形状のもので、アンプにつないで使用するので音色や音量を調節しやすいというメリットがある。もちろん楽器なのでそれなりに高額ではあるが、初心者向けの安価モデルもあるそうなので背伸びをすれば手に入れられないこともない。
「いきなり買っちゃうっていうのは少し気が早くない? 爽雨ちゃんはコントラバスをするために伝楽部にいるんじゃないんだし。もちろん、爽雨ちゃんがすごく好きになったっていうなら応援はするよ。でも今はまずお試し期間てことで様子を見てもいいんじゃないかな」
爽雨は基本的にはおとなしくて後ろ向きな考えをしがちな性格ではあるのだけれども、本人なりに決めたことに関しては絶対に譲らないという意志の固さがあった。
そのメリハリがやや極端な傾向があるせいか周囲に誤解されることもあり、人付き合いに悩んでいたところで自分を理解してくれた知日路になついたという流れもある。
「そうですね、すみません。やっぱり私、思いつきで行動しがちっていうか」
「ほらほら。そんなふうに自分を悪く思わないで。そこも爽雨ちゃんのいいところでしょ?」
そう言われて爽雨はぽっと顔を赤くする。身長が高く顔立ちもしっかりしているので一見すると女子校でモテそうな凛としたキャラクターのような爽雨だが、時折こんなふうに可愛らしい少女のような表情を見せることがある。
「…………爽雨ちゃんは、いい子よね。すごく素直で、自分の気持にまっすぐで」
思わず口にしてしまった言葉に知日路ははっと自分の口元を覆った。
その言葉が単純に自分のことを褒めただけのものではないということを爽雨も敏感に悟って知日路に向き直った。
「知日路先輩、もしかして最近。何か悩んでることでもあるんですか?」
「! そんなこと、ないわよ。……どうして、そう思ったの?」
向かい側に座った爽雨は両手で持ったアイスラテのカップをくるくると弄ぶようにしながらしばらく考えていた。
「先輩。なんとなく、乃愛先輩に遠慮してるみたいに見えたので」
乃愛から漆のことが好きだと言われてからいくらも日数が経っていないのにまさかそこまで見抜かれているとは思わなかった。知日路は気まずくなってうつむく。
「あっ! す、すみません。そんなつもりじゃなくて。ただ、なんとなく前までは知日路先輩は乃愛先輩にはなんでも言ってる感じがしていたのに、ここ数日は何か言うにも漆先輩の様子をうかがうような、そんなふうに見えて」
言われたとおりだと思った。知日路は爽雨の観察眼の鋭さに驚いていた。自分としては精一杯いつも通りにしていたのに。
「心配かけちゃってごめんね。でも、本当になんでもないの。部として新しい試みをしようとしていたから、乃愛がどう思うか気になっていたからかな」
「漆先輩、ですか?」
身体がびくっと反応しそうになるのを必死に止めた。
じっと爽雨が正面から見据えるように知日路に視線を向けている。
「違っていたらすみません。でも、知日路先輩、もしかして漆さんになにかきついことを言われてそれで対処に困っているのかなって思ったので」
「そんな! 確かに、漆は時々口調がきつく聞こえることはあるかもしれないけど、本当はすごくみんなのことを考えてくれてる大切な友達よ」
知日路が漆のことを褒めた瞬間、露骨に爽雨の顔が曇った。
「ねえ、私の方こそ違っていたら謝るけれど。もしかして爽雨ちゃんこそ、漆のことを気にしているんじゃない?」
口をつぐんだまま爽雨はふいっと横を向いた。言葉で返事はしなくてもそれは肯定したも同然の態度だ。知日路は漆に話しかけられたときのそっけない爽雨の態度のことを思い出していた。
かなりの間をおいて、ぼそっと爽雨が次の言葉を漏らす。
「漆先輩は、伝楽部を引っ掻き回してるんです。知日路先輩は優しいから、引きずられちゃって。あの人の言うことを何でも受け入れる必要なんてないのに」
そこで知日路は爽雨がどうして漆のことを避けているのかが少し見えた気がした。
自分がこれまでの伝楽部を"いい意味"で壊してくれていると思っていたのと同時に、爽雨は漆が伝楽部を"悪い意味"で壊しているように思っているのだ。
「爽雨ちゃん。心配しなくても大丈夫よ。私は私。決して誰かの意見に引きずられたりはしないわ。爽雨ちゃんは爽雨ちゃんで、私に言いたいことがあったらもっとはっきりと言ってくれていいんだからね」
知日路がそっと手を伸ばして爽雨のカップを持つ手に重ねた。
むくれたように視線をそらしたままでも、その温かみは感じたようで小さく爽雨は頷いた。
「わかりました。…………知日路先輩、もし本当に困ったら私に言ってくれますか?」
「うん。ありがとう、そうさせてもらうわ」
「私、絶対に知日路先輩のこと。守りますから」
若干事実の認識が違っていたけれども、本当のことを話すわけにはいかない。
だけども素直に自分のことを大切に思ってくれているということは知日路には嬉しかった。
*****
梅雨の時期が終わり夏の気配が日に日に増してくる頃。
伝統楽器研究部の練習も少しずつ形になりはじめてきた。
乃愛が親戚から借りてきたというエレキギターがヘッドの部分に「Paul Rread Smith」と丸みのある字体で書かれたピンク色の杢目ボディのもので、調べてみたらかなりの高級品のようで驚いた。
「いや~親類のお姉ちゃんが機材マニア? みたいでさ。どういう曲をするか教えたらこれだろって貸してくれたんだ。セッティングとか迷ったらいつでも声かけてくれって言ってたよ」
中学校からヴァイオリンを習っていたと自己申告した凪々帆については想像以上で、ソロパートを入れてもいけるんじゃないか、という話まで出てきた。しかし。
「今回の演奏はあくまでもバンドネオンて楽器をみなさんに知ってもらうためのものでしょう? 私が目立つのはまた別の機会でいいですよ~」
と、相変わらずひょうひょうとしたものである。
一番練習で苦労をするだろうと思っていた爽雨は自分でもその立場をよくわかっていたようで、放課後の部活の時間だけでなく休み時間や朝に自主的に練習時間をとってかなり本気で打ち込んでいた。
「昔、少し武道をやっていたこともあるのでこういうの苦手じゃないんです。それに……知日路先輩の演奏の足を引っ張るわけにはいきませんから」
自分で言ったセリフで顔を赤くする爽雨を乃愛がひゅーひゅーとからかった。そして睨まれた。
「乃愛先輩こそ、練習進んでるんですか? 飽きたとか言わないでくださいよ」
「私? 私は大丈夫だよ。私にはだって……」
ちらり、と乃愛が後ろにいた漆に目配せをする。
「そうよ。私がコーチについているからね。簡単にサボらせたりなんてしないわ」
漆が一歩前に出て乃愛を真後ろからジロリと見下ろした。漆はギターそのものは弾けないらしいが、どこまで練習が進んでいるか厳しくチェックして練習スケジュールを立てる手伝いをしているらしい。
「みんな、順調そうでよかったわ。この分なら曲を通して合わせることができるようになるのももうすぐね」
知日路が場をまとめて言った。
「じゃあ、今週はテストだから部活は早めに切り上げるわね。爽雨ちゃん、練習も大事だけどテスト勉強も忘れないでね」
「は、はい。凪々帆……がんばろうね」
「そうですね。私も爽雨にノートを見せてる立場ですからぜひともよい成績を期待したいところです」
「な! 凪々帆。そういうことはみんなの前では……」
平穏な部活のワンシーン。周りから見ればきっとそう思えるに違いない。
だけども知日路にとっては、この平穏な空気の中でどうしても自分の心の中に薄い膜がかかっているような感覚になってしまう瞬間があった。
その膜は自分の本心を自分で見えにくくするためのフィルターのようなもののはずだった。
実際はそうではなく、外に出ていくはずのものを閉じ込めようとしているだけの脆弱な壁だったと気づいたのは、テスト期間の最終日のことだ。
選択科目の関係で知日路と漆の二人は乃愛よりも一時間早くテストが終了した。
先に二人だけで部室に行って待っていようと移動をすると、一年生の二人も遅れているらしかった。
「ねえ、いい天気だしちょっと外で何か飲まない?」
漆に言われ知日路は一緒に部室棟を出て中庭前の自販機エリアに移動した。
体育館と接続する渡り廊下からは、早速解放された喜びを一杯に表現するようにグラウンドを走り回る運動部の姿が見える。
二人は飲み物を買うと静かに話ができそうなところを探して少し歩く。
「感謝してるわ。二人には」
陸上部が準備運動をしているフィールドからネット一枚挟んだところで立ち止まり、漆は話を始めた。
「どうしたの? 漆、改まって」
「ちゃんとお礼を言いたくなって。二人がいなかったら私、こんなにこの学校にうまくなじむことができたかわからないもの」
古港高等学校は高台の上にある。海風を防ぐ防風林が学校の周囲にあり、その向こうにある海からの風が静かに届いてきた。
「漆の性格よ。クラスのみんなも最初からあなたを嫌っていたんじゃなくて、どう接していいかわからなかっただけ。私は何もしていないわ」
「どうかしらね」
ネットの向こうで、陸上部が声を出す。準備運動が終わったのかもしれない。
「乃愛の、ことなんだけど」
唐突に漆が言った。
知日路は持っていた紙パックのストローをくわえた。
「うん」
「私達、付き合ってるの」
「うん、知ってる」
「最初はね、正直戸惑ってたの。だって急に告白をされたし、付き合うって何をすればいいかわからなかったし」
「……うん」
「だけど、最近。一緒に練習をするようになったり、勉強を手伝ったりしてね。やっと、そういうのわかるようになってきたっていうか」
「うん」
「あの子、すごくいい子ね。明るくて、優しくて。それでいて……繊細なところがあったりして」
ぐっと、胸の奥から何かが突き上げてくる。
知日路はここで時間が止まってくれないかと、叶わない願いを唱えていた。
「少しだけ、私も前に進んでみても。いいのかもしれないなって」
「漆?」
「知日路には、言っておきたかったの。だって、私……」
ふっと、突然に漆が隣に並んでいた知日路の方を見た。
その瞬間、驚きに身体が固まる。
「知日路? え、どうして?」
ぽろり、と涙がこぼれた。
えっとそれに気づいて知日路が自分の顔に手を近づけると、次々にあふれて止まらなくなっていった。
「待って? えっと。どう、どうすればいい? ねえ、知日路」
慌てて肩を掴んで周囲を見回す漆に、背後から大きな声がかけられた。
「知日路先輩!」
はあっ、と大きく息をついて走ってきたらしい爽雨が立っていた。
「漆先輩! 知日路先輩に何をしたんですか!」
ばっと奪い返すように爽雨が知日路の肩を掴んで自分の方に引き寄せる。
漆は何も言い返すことができずに、ごめん、と謝る知日路とそれを抱えるように立ち去っていく爽雨の背中を見ていた。
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