その3.100年前から変わらないもの
乃愛と漆がほどなくして付き合うようになったらしいことはすぐにわかった。
約束した通り突然二人だけで行動をしたり露骨に知日路のことを避けるようなことは全くなかったものの、いつものようにじゃれつくように会話する乃愛が漆に触れるのをほんのちょっとだけ遠慮したり、漆がまとわりつく乃愛を強く拒絶しきれなかったりする様子は明らかにお互いを意識しているものだったからだ。
ただ、だからといって二人が正式に「恋人として付き合う」ことになったかどうかははっきりとはわからない。
もしかしたら「まずはお友達から」かもしれないし、「みんなのいる前では絶対に言わない」ということにしてるのかもしれない。
知日路は部室で親しげに今日の授業のことを話している乃愛と漆のことを少し離れたところで見ながら考えていた。
「………………で、知日路はどう思う?」
「えっ? あ、ごめんなさい。ちょっとぼんやりしていて。何の話?」
「も~今漆とすっごく大事な話をしてたのに! ね! 漆」
話を振られて漆がドキッと一瞬肩を跳ねさせた。
慌てて知日路が謝ろうとしたところで漆が「待って待って!」と漆のそばに来て下げようとした額に軽く触れる。
「嘘よ。乃愛がからかったの。さっきまでしてたのはキノコとタケノコのどっちがおいしいかってこと!」
「ちょっとちょっと! それは聞き捨てならないな~。戦争の火種にもなる話題だよ」
「どっちだっていいわよ! 私は目の前に出されたらどっちでも文句言わずにありがたくいただくもの」
ほっとした知日路に、漆は身体を寄せて芝居がかったように耳打ちする仕草をする。
「乃愛って昔からあんなしょうもないやつなの?」
「ふふふ。そうかもね」
急に近づけられた漆の顔に内心ではドキドキしつつ、知日路は平静を装って軽口を返した。
「二人とも~! そこで結託して私をいじめないで」
乃愛が笑って二人の間に身体を挟ませるようにしてきた。
変わらない。いつも通りだ。
それでも自分の中に薄く暗いものが入り込んでいくるような感覚を拭うことができない自分を知日路は軽く嫌悪した。
「遅くなってすみませんでした! 知日路先輩!」
「どうも~。こんにちはです~。先輩」
部室の入口がノックと同時に大きく開いて長身のきりっとした顔立ちの女子と小柄でのんびりした女子の二人連れが入ってきた。
「こんにちは。爽雨ちゃん、凪々帆ちゃん。大丈夫よ、まだ私たちも活動前だったから」
「ていうか、今爽雨はさらっと私と乃愛のこと無視しなかった?」
漆が先程までの軽口と同じノリで爽雨に注意すると、爽雨はひっ! と怯えるようにさっと知日路の後ろに逃げ込んだ。
「あ~。漆先輩、気にしないでください。爽雨は悪意があってそうしてるんじゃなくて、本当に知日路先輩しか目に入ってないだけなので」
「そ、そんなことないよ! ちゃんと凪々帆と一緒に来たことはわかってたし」
「おや? ありがたいことですが、爽雨。それはかえって先輩に失礼なのでしなくてよいフォローですよ」
言われてその意味にやっと気づいたのか、消え入りそうな声で「すみませんでした……」と言いながらますます爽雨は知日路の後ろで身体を小さくした。知日路の身長はだいたい高校生女子の平均値くらいなので10cm以上大きい爽雨はまるで亀が首を引っ込めるような形になる。
「はい! それじゃ全員そろったところだし、今日は予定通りこれからの計画を立てることにしましょう」
知日路は部長らしくパシン、と手を叩いて緩んだ空気を引き締めた。
その合図にいち早く反応した乃愛がほらほら、と三人を誘導して部室の机をミーティングしやすいように向かい合わせに配置していく。
知日路はホワイトボードを用意しながらその作業の様子をちらりと横目で見た。
クラスにも部活にもだいぶ自然になじんできた漆だったが、唯一爽雨とだけはなぜかまだ完全に馴染みきっていないように思えたからだ。
といっても漆の方はできるだけ自分から爽雨に話しかけるようにはしている。爽雨は中学生の時から内向的で初対面の人と打ち解けるを苦手にしてきたのは確かだが、基本的には自分が間を取り持てば普通に接することができるようになっていったはずだ。
だけどもなぜか漆に対してだけはどこか警戒心を解ききれないというか、相手からの歩み寄りに対して後ろに逃げようとする節がある。
気のせいだといいのだけれど。
このときにはまだその理由がよくわからないまま、知日路は準備のできたミーティングの司会を始めた。
*****
「それじゃ、今年の一番の目標は秋の文化祭ということでいいかしらね」
「異議な~し」
伝統楽器研究部はもうすぐ創立100年を迎える古港高等学校の設立間もない時期から存在していた由緒ある部活である。
当時は相当に高価であっただろう楽器もどこかからか入手するツテもあり、最盛期には国際音楽親善コンクールなどにも招聘されていた時期があったという。
すっかり落ちぶれてしまった現在でも当時に学校が収集した貴重な楽器類は歴代の部員たちによって丁寧に保管されており、中には新しく入手しようとしてもそもそも製造がされていないのでどこかの倉庫に眠っているものを辛抱強く探すしかないといったものも含まれている。
「あの、外部から来た私が言うのも僭越かもしれないけど」
「いえ。どうぞ、発言に遠慮はいらないわ。漆」
「定期演奏会とか、そういうのはないの? ほら、高校の吹奏楽部とか合唱部とかって年間行事としてあるものじゃない」
複雑な表情で知日路と乃愛は顔を見合わせた。
「5年くらい前まではあったと聞いているわ。でも今は人数もいないし、他の学校と合同ってことにしてもあまりにも特殊だから声もかけづらくて」
「なるほどね。それで、文化祭ではどういう演奏をするの?」
「演奏は……」
知日路はちらりと乃愛を見て助け舟を求めた。乃愛も少し迷っていたようだが、ちゃんと話はしてくれた。
「たぶん演奏は軽く音色の披露とか、そういうくらいになるんじゃないかな」
「なにそれ。じゃ、演奏じゃなくて研究発表会ってこと? やる気なさすぎない?」
「廿梠木先輩! 言い過ぎです」
つい声を大きくしてしまった漆に爽雨がつっかかった。
後輩からの急な反論に頭が冷えたのか、漆は一旦口をつぐんで言葉を選び直す。
「ごめんなさい。でも、せっかくメンバーもそれなりに増えたようだし秋ならまだ時間もあるでしょう。きちんと活動してるところをたくさんの人に見せればもっと活動の幅が広がるんじゃないかと思って」
「いえ、私も声を大きくしてしまってすみませんでした。でも、わかってほしいんです。知日路先輩は部の再興について真剣にずっと考えてきてるんだって。だから、何も知らずに否定はしないでください」
場の空気が張り詰めてしまったのを感じて、知日路は「そこまで」と二人に声をかけた。
「漆の意見はよくわかるわ。部のことを真剣に考えてくれたのよね。爽雨ちゃんも、かばってくれてありがとう。でも力不足だったから今の状況があるということも私は理解してるつもり」
どうまとめるべきか短い間の間に必死に考える。
だけどもここで簡単に結論を出すというのもまた無責任ではないかという気持ちがあった。
「少し、考える時間をちょうだい」
「知日路?」
「乃愛、私達二人だったときに比べてできることが増えたのは確かでしょう。だから、部長として私も決めるべきだと思うの」
知日路の真剣な目を見て乃愛はうん、としおらしく頷いた。
その場にいた誰も、知日路の言葉に対して意見を挟もうとはしなかった。
「明日は三者面談で部活がない日だから、明後日もう一度ミーティングをしましょう。そのときに私なりの意見を出すわね」
*****
面談の順番は親の都合によって事前にタイムスケジュールは決められていたので、知日路の順番はすぐに終わった。
成績もよく、先生方からの受けもよく、問題も全く起こしてこなかった知日路については面談でほとんど話すこともなかったということもある。
あっけなく解放された知日路は次の順番を待っていた生徒に申し送りをすると、何を考えるでもなく長い廊下を一人で歩いていた。
自分には語られるようなことが何もないんだろうか。
努力をしていないわけでもないし、将来について悲観的なわけでもない。
だけども楽しそうに毎日を過ごしている乃愛に比べて、自分はまるでのっぺりと平坦な道を言われるままに歩いているだけのようなそんな軽いコンプレックスを感じてしまうことがある。
とぼとぼと歩いていると自然に向かっていたのは部室の楽器庫で、そこには所有している中でも特に珍しい楽器が収納されていた。
鍵を開いて中に入ると、そこには足踏みオルガンやバグパイプなどが並べられている。
その中でも知日路が手を伸ばしたのはバンドネオンと呼ばれるボタン式のアコーディオンだった。
ベルトの部分には薄く昭和一桁年の記載がされており、学校の創立から間もない時期に手に入れられたものであることが示されていた。
手近にあったパイプ椅子を開いて腰掛け、ゆっくりと蛇腹を開いてみると独特のゆらめくような音色が流れた。
軽くボタンをいくつか押しながら何度か開閉をすると音が繋がり一つの曲となっていくのを感じる。
この楽器は昔、かなり練習をしたことがある。
古港高等学校のOGでもある祖母が演奏することができたということもあり、自宅にも古いものが残っていたのだ。
誰か先生についたり、本場に行ったりということはなかったものの、祖母や動画の演奏の見様見真似で基本的な奏法ならだいたいできるというレベルにまで達していた。
ひとしきり懐かしい曲をなぞるように弾き、空気に音が完全に吸い込まれるのを待って軽く息をついた瞬間。
「すごいわね。それ、なんていう楽器?」
パチパチ、と拍手をしながら漆が楽器庫にゆっくりと入ってきた。
「聴いてたの? いつから?」
「ついさっきよ。私は前に両親がこちらに来たときに面談は済ませていたからすることがなくて。ね、それより質問に答えて」
知日路は蛇腹を丁寧に全部閉じるとパタンと固定ベルトをつけて漆の方に差し出した。
「バンドネオンていうの。もともとはドイツで発明された楽器なのだけど、その後にアルゼンチンに渡って今ではタンゴ演奏の代表的な楽器になっているわ。日本では昭和中期くらいに大流行したみたい」
「へえ。ね、ちょっとだけ触ってもいい?」
いいわ、と隣に腰掛けた漆に楽器を手渡す。ベルトを外して適当にボタンを押しながら蛇腹を広げてみるも、不安定な不協和音が流れた。
「ボタンがたくさんついてるのね。これってピアノの鍵盤みたいになにか規則性があるの?」
「このタイプはライニッシュ式だからボタン数は左が33個、右が38個の合計71個ね。残念だけど音階はきれいに並んでないので演奏で覚えるしかないの。それにね」
と、知日路は漆から楽器を再び受け取ると、見えるようにボタンを押しながらゆっくりと開閉させてみた。
「待って。同じボタンなのにどうして音が違うの?」
「そういう楽器だからよ。ボタンだけじゃなくて開き方でもかなり音が変わるのよ」
試奏をする知日路の姿を頬杖つきながら見て、それから漆はふうん、と小さく呟く。
「不思議ね。なんだか『同じ言葉をでも伝え方で違って聞こえる』みたい」
ドキっと、知日路の演奏の手が一瞬止まった。漆を見ると目が合ってにっこりと微笑まれる。
「漆もそんなこと言うのね」
「そんなことって、どんなこと?」
「キザなセリフってこと」
いくつかの和音を成立させてから、また知日路は蛇腹を閉じた。
窓の外からは楽しそうに廊下を走っていく生徒たちの声と足音が遠くに聞こえていた。
「このオルガンて、使えるの?」
「ええ。この前みんなで点検をしたばかりだから大丈夫なはず」
「ここに楽譜あるみたいだし、なにか一緒に弾けそうな曲ってないの?」
言うが早いか、オルガンの蓋を開いていくつか音の出し方を確かめた漆が素早く基本的な運指を見せて楽譜の並ぶ棚へと移動した。
「でも、バンドネオンの曲って結構特殊なものが多いし。漆はそういうの……」
「鍵盤式の楽器ならたぶんなんとかなるわ。私、実は結構うまいの」
そう言いながらいくつか楽譜をパラパラとめくって、その中から一つを知日路の前に差し出した。
「これとか弾けそう?」
「『ブエノスアイレスの冬』か。名曲ね」
「じゃ、いま譜面読むからちょっとだけ待って」
同じ楽譜をとった漆は五線譜を読みながらこつこつと指でリズムをとって、それからオルガンに向かった。強気な発言をするだけあって、初見でもかなり正確にメロディを再現することができている。
「じゃ、いくわね。1、2、3……」
雄大な和音からのスピードの変化と、ピアノ・ソロを挟んでの再びの旋律への移動が繰り返される。
物悲しいメロディはまさにバンドネオンの音色の魅力を十二分に引き出すものだった。
やがて曲が終わり、最後の音が途切れると二人は同時に深い溜め息をついた。
「すごい……」
「そうね、初めてにしてはいいハーモニーだったわね」
知日路は心から感動していた。
バンドネオンを使って演奏することには慣れていても、こんなふうに誰かと自然に合奏するなんてことはなかったからだ。終わってからもまだ収まらない動悸をどうしてよいかわからず、しばらくただ譜面を見つめていた。
「これ、いけそうなんじゃない?」
「えっ? 何が?」
「だから、伝楽部の発表よ。その、バンドネオン? も、立派な伝統楽器でしょ。他にも編成を増やせばかなりいい演奏になるんじゃない?」
でも、と知日路は言いかけた。
その様子を鋭く察知した漆はどうかした? と声を掛ける。
「でも、バンドネオンは習得が難しい楽器なの。秋までに弾けるようになれるかどうかわからないし、それに使える楽器も少ないから」
「何を言ってるの。あなたが部長なんだから、あなたをメインにして他のメンバーで使えそうな楽器を選んで編成すればいいでしょ。ギターやドラムとかなら教本もたくさんあるし数曲くらいならなんとかなるわよ」
「そんな! それじゃ私だけが」
目立ってしまう。自分だけを中心に、他のメンバーに手伝いをしてもらうような形にならないか?
知日路の遠慮の理由を表情からさとったのか、漆は「ああーもう!」と面倒そうに頭を掻いてぐっと顔を近づける。
「今の演奏、あなた気持ちよかったでしょう?」
「き! その、確かに一緒に演奏してもらえて嬉しかったけれど」
「やりたいか、やりたくないか。二択だったら、あなたはどっち!」
まるで詰めるかのような強い漆の瞳に気圧されるように知日路はぐっと喉を引き締めた。
「できるなら、やりたい。かも」
「ならちゃんと言いなさい。やりたいなら、やりたいって」
漆はつかんでいた知日路のセーラー服の襟元を放して姿勢を正した。椅子に座っている知日路を見下ろす体勢になる。
「部活のためを考えているのに、自分が前に出るのを怖がってどうするの? そんな遠慮、誰も望んでないわよ」
「そう……かな」
「そうよ、少なくとも私は望んでない」
ぱたんとオルガンの蓋を閉じて、使った楽譜を丁寧に元の本棚に戻して漆は出口へと向かった。
「明日のミーティング」
「あ、うん」
くるっと出る直前に振り向いた漆は不敵な笑みを口元に浮かべていた。まるで挑発をするように。
「言ってくれるの、私は期待してるからね」
パタン、と扉が閉じて部屋に知日路は残された。
ベルトを閉じ忘れていたバンドネオンの蛇腹が軽く空気を含んで広がり、優しい和音が流れていた。
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