ほしいならちゃんとほしいと叫んでよ
みなとさがん
その1.あの子のこと好きかもしれない
高校二年に進級したタイミングで、あの子―――――廿梠木漆(とどろき・うるし)―――――は転校してきた。
もともと都内出身で地元に近い私立高校に通っていたが、何か事情があってこの地方都市の公立校、古港高等学校に移籍することになったらしい。
廿梠木漆は都会から来た人間らしく、他のクラスメイトとは最初からどこか雰囲気が違っていた。
特に転入して数日は制服が間に合わなかったという理由で以前の学校のものを着用していて、そのデザインや着こなしなんかがもう野暮ったい100年前から変わらない古港高のセーラー服とは次元が違っていた。
そんなこともあってクラスメイトのほとんどは漆に対して話しかけることをためらって、なんとなく遠巻きに様子をうかがうような感じになってしまった。
が、そんな雰囲気をたった一人。あっさりと壊した人物がいた。
「うーるしちゃん! ね、部活とかどっか入ろうと思ってるとこある?」
静波 乃愛(しずなみ・のあ)はひょいと顔を斜めに傾けるように漆の顔を覗き込んでそう話しかけた。
教室の一番後ろの席でうつむいて生徒手帳を読んでいた漆はその唐突な親しい仕草に驚いた様子で目を丸くし口元をすぼめた。
「いえ、今は特にどこにっていうことは考えていないけど」
「やったーっ! じゃ、今日の放課後一緒に見てほしいところがあるんだ! 一緒に行こう! ねっねっ!」
大げさに乃愛は両手を挙げて飛び跳ねてから漆の手を握って自分の方に引き寄せた。
さすがに急に身体に触れられたのには抵抗感を覚えたのか、漆はさっと手を引いて自分の胸元で組んだ。
「乃愛。漆さんがびっくりしてるじゃない。勧誘もいいけどもうちょっとゆっくり説明をしなきゃ」
藤 知日路(ふじ・ちひろ)はそこで助け舟を出した。
気持ちのままに突っ走る乃愛をフォローして話をまとめるのは知日路にとってはいつものことだった。
「ごめんなさいね、漆さん。実は私達、部員が一人でも多くほしい弱小部に入ってるものだから。それで、もし漆さんが何かやりたいって思ってるならとりあえず見学だけでもと思って」
「ちーひーろー。ダメじゃん。最初から『弱小部』なんて言ったら引かれちゃうでしょ。もっとハッタリ効かせないと」
「いいじゃない。どうせすぐにバレちゃうんだし」
と、二人で掛け合いをしていると急にふっと漆の表情が緩んだ。
「楽しそうなところね。誘ってくれてありがとう」
教室で自己紹介したときの緊張した時と違って、くつろいだ漆の声色はとても優しかった。
顔立ちが端正であるということも加わってまるで鈴の音のようにきれいに響くその声に乃愛ばかりでなく知日路も一瞬心を奪われた。
「あっ! じゃ、じゃあ。今日の放課後に部室に来てくれるってことで、オッケー?」
「仕方ないわね。いいわ。まずはどんなところか見せてもらうわ」
そんなふうにして三人は出会った。
きっとこれから仲良くやっていけるだろうと、このときは三人ともみな予感していた。
*****
伝統楽器研究部。
知日路と乃愛が漆を連れてきたのは古びた看板のかかった校舎裏の部室棟だった。
「爽雨(そう)! 凪々帆(ななほ)! 新入りだよーっ。仲良くしてあげてね」
扉を開けると背の高い黒髪の女の子と、小柄で風車型の髪留めをつけたボブヘアの女の子の二人が同時に振り向いた。
「もう、乃愛ったら。また勝手に暴走して」
乃愛に続いて知日路が部室に入っていくと、それを見つけた瞬間キラリと目を輝かせて背の高い方の子が小走りに駆け寄った。
「知日路先輩! お、おはようございます。部室の掃除、だいぶ進みました」
「ありがとう、爽雨ちゃん」
有衛 爽雨(ありえ・そう)は知日路と中学校からの先輩後輩の間柄だ。というか知日路の進学先を知って爽雨が追いかけてきたと言う方が正しい。伝楽部には高校の合格発表があったとほぼ同時に知日路に入部願いを提出している。
「おやおや。乃愛先輩、新人をかどわかして連れてきたんですか? いつものことながら口がお上手ですね」
「ちょっとちょっと! 人聞きの悪いこと言わないでよ~。漆に誤解されたら困る~」
のんびりと爽雨の後ろから入ってきた三人に声をかけたのがもう一人の後輩、鍋形 凪々帆(なべがた・ななほ)だった。
凪々帆の方は古港高校の入学説明会で初めて伝楽部のメンバーと会った。もともとこの分野に興味があったとのことで乃愛が勧誘チラシを配ったら案外あっさりと乗ってくれた。弱小部ということは後から知った形だが、気にせずサボることもなくきちんと活動をしている。
この凸凹コンビのようにも見える爽雨と凪々帆は一年生の同じクラスでもありそれなりに仲良くやっている様子だ。
「こんにちは。今日は見学させてもらうわね」
「おおっ! なんですか。こちらは私の知らない種類の人ですね~」
ひょっこりと華やかな都会の風を漂わせる漆が登場して凪々帆はたじろいだ。爽雨はやっとそこで漆の存在に気がついたらしく、叫び声を押し殺すように知日路の背後に隠れた。
「ここでは、楽器の演奏をするのが活動? バンド……みたいなものかしら」
「一応はそれが目標になってるけど、今はとにかくメンバーがいなくて。せめてもう一人いればねって普段からみんなで話をしていたところなの」
壁際にはかなり古めの琴や三味線、太鼓や笛、笙、胡弓、ほかにも一見どう弾くのかわからないような楽器が並んでいた。
手入れは行き届いてはいるものの、長らく主人のいない状態が続いているらしくそれらの楽器はどこか精気が抜けたような印象がする。
なるほどね、と部室の様子を見てだいたいの現状を察したのか漆はぐるりとそれほど広くない部室内を周り、置かれていた卓上の古筝を指先で軽く弾いた。
「私、楽器の経験はピアノくらいしかないの。それでも大丈夫?」
「本当! すごい。これって運命じゃない?」
興奮して漆の腰に乃愛が後ろから抱きついた。
漆は先程教室で手を握られたときと同様に慌ててはいたが、先程よりは露骨に避けようという仕草はとらなかった。ほんの少し照れたように顔を赤らめて「や、やめてよ」と腰を引く。
乃愛ほど素直に感情の表現ができない知日路はその様子を見て微笑みつつ、タイミングを見計らって声をかける。
「えっと。それじゃ、廿梠木 漆さん。入部してくれるってことでいい?」
「そう……ね。まあとりあえずは仮入部ってことで」
素早くスチールデスクの引き出しから入部申し込み用紙を取ってきた乃愛が二人の間に割って入るようにして差し出す。
「オッケー。それじゃ仮入部期間は今日までなんで、明日から本入部ね」
「早すぎでしょ!」
そうして廿梠木 漆は古港高等学校の伝統楽器研究部の部員となった。
数日して古港の100年伝統セーラー服が漆の手元に届く頃には、漆はすっかり部員として溶け込む存在となっていた。
*****
廿梠木 漆が伝統楽器研究部に入部して約一ヶ月が経過したある日のこと。
その日は家の用事があるからと漆は学校を早退しており、ひさびさに4人で部活動をしたあとで知日路と乃愛は二人で帰り道を歩いていた。
「ようやく漆もクラスになじめてきたみたいだね」
学校近くのコンビニで買ったアイスキャンディーを片手に乃愛は楽しそうに呟いた。
あまり買い食いに慣れていない知日路も乃愛と二人のときはつい一緒になにか買いたくなってしまう。最近買い方を乃愛に教えてもらったばかりのティーメーカーで作った紅茶を口にしながらその意見に頷く。
「そうね。制服が揃って見た目で浮かなくなったからか、ほかのみんなも少しずつ漆に話しかけてくれるようになったものね」
転校初日に乃愛が爆速で勧誘こそしたものの、それ以外の生徒はやはりそう簡単に漆に親しくすることはできにくいみたいだった。
この地方都市に似つかわしくない都会の洗練された雰囲気に加えて漆はどこか表情に陰があるというか、同じ高校2年生の少女とは思えない何か重たいものを背負っている大人びた空気が感じられたからだ。
しかし、というかだからこそ、というか、その原因になっているだろうここに転校してきた理由を誰も突っ込んで尋ねようとはしなかった。仮に無遠慮に聞き出そうとしても漆も簡単には話さなかっただろう。
知日路はもしかしたら乃愛はいつもの軽い調子で聞き出そうとするのではないかと内心ヒヤヒヤしていたが、乃愛はこれまで漆の事情に踏み込むようなことは絶対にしなかった。
そうね、乃愛にはそういうところがあるものね。と、知日路はこっそりと思った。
知日路と乃愛は古港高等学校に入学して以来の親しい友人である。
真面目で融通のきかないところのある優等生タイプの知日路に対して、誰に対しても物怖じせずに話しかけて場を明るくする乃愛は共通点はなさそうに見えて実際にはかなり気の合う関係だった。
それはお互いが自分にないものを持っている相手への尊敬とともに、その性格の裏側にある意外な一面についてもなんとなく理解をすることができていたからだろう。
知日路は普段は真面目であまり自己主張はしない方だったが言うべきときにはきちんと筋を通して言う潔さがあったし、乃愛は普段は自由気ままに楽しんでいるように見えて気を使うべき場面では一線を引く気遣い上手な面があった。
何よりも二人は友人や仲間を大切にする誠実さという大きな根の部分が通じ合っていたことが大きい。
部員がたった二人だけだった時代をくぐり抜けてきた二人だからこその親しみや信頼感もあり、漆と出会う前まではこうして二人で下校するときに他の友人や親なんかには言えない話もたくさん打ち明けてきたものだった。
「久しぶりだね。こんなふうに知日路と二人だけでお話するの」
「そうね。爽雨ちゃんや凪々帆ちゃんが来てからはやっと部員が増えたってとにかくバタバタしてたしね」
乃愛は帰宅路からそれた公園へと続く横道を軽く指さして足を運んでいった。
夕暮れ時の公園ではちょうど街灯がつき始めており、パチパチと瞬く光の間を縫うようにいつものブランコの近くに進んだ。
「あのさ、知日路」
さっきまでの部活中の様子と異なる真面目な顔に知日路はやっぱり、と思った。
こうして帰り道から横にそれるのは少し言いづらい話があるときのお決まりだったからだ。
「なあに、乃愛。こんなに順調に行っているのに何か心配事でもあるの?」
できるだけ場が深刻になりすぎないように明るい声色を作って知日路はブランコ脇の柱に寄りかかった。合わせて誘導されるようにそのすぐ近くのブランコに乃愛は腰を下ろす。
「あのさ。びっくりしないで聞いてほしいんだけど」
「うん。わかった」
「えっと……その。あーーーーーっ。何て言えばいいんだろ」
何も言っていないうちから乃愛はぐしゃぐしゃと自分の頭を掻きむしった。初夏の夕焼けに映し出されるまでもなく、乃愛の顔は赤く染まっていた。
ちょっと待ってね今落ち着くから、とすーはーすーはーと深呼吸をして、乃愛は自分の胸をおさえて改めて知日路の顔を見上げる。
「決めた! はっきり言う。あのね! 知日路」
「うん」
「漆のこと、どう思う?」
全く予想していなかったことに知日路は本当に驚いていた。
なんとなく前後の様子から好きな人についての相談なのかと予想はできていたが、そこで漆の名前が出てくることは完全に想像の範囲外にあった。
混乱をさとられないよう、驚きを見抜かれないよう注意して知日路は言葉を選ぶ。
「漆は……。素敵な人だとは思うわ。クールそうで可愛らしいところもあるし、これからもっと親しくなれればいいなって私は思ってるよ」
「私は、漆のこと好き」
ぎゅ、と胸を強く掴まれたように感じた。
急に喉の奥が乾いて、首元に汗が伝ったのを感じる。
声が掠れそうになるのを持っていた紅茶で潤す。先程までの味も香りも全く感じなかった。
「好き? そうね。私も漆のことは好きよ」
「それって、恋愛的な気持ちで好きってこと? 違うよね。……私は、その……そうだけど」
どう反応しようかものすごく迷って、考えて、知日路はぐっと一つ目をつぶってから笑顔を作った。
「大丈夫よ、乃愛。その気持ち私もわかる気がするから」
「知日路?」
「ちゃんと打ち明けてくれて嬉しい。私と乃愛の間だもの、応援しないわけがないじゃない」
一歩進んで知日路はブランコに座った乃愛の前にひざまずく形で目線を低くした。よほど緊張していたんだろう、泣きそうになっている乃愛の手を握る。
「その気持ち、漆にはもう言ったの?」
「ううん、まだ。でも、今度話しをしたいってメッセージだけはしてある」
「なあんだ、しっかり行動してるじゃない。私の応援なんていらないみたい」
「ま、待って待って! だって告白とかして変な感じになったら知日路に相談とかしたいし~」
乃愛はそんなことを言いつつも、口元はかすかに笑っていた。
それを見て知日路は本当は乃愛は自分の告白がうまくいく可能性がかなり高いとわかっていることを悟った。そして人の気持ちを汲むことが誰よりもうまい乃愛のこと、実際にそうなのだろうということも。
「ね、一つだけ約束してくれる?乃愛」
「ふえっ? う、うん。何?」
知日路はじっと乃愛の目を覗き込む。乃愛は本当に不安そうに何を言われるんだろうという顔を向けている。
「もしうまくいっても、私のことを仲間外れにするなんてことはしないでね」
ぱあああっと表情を明るくした乃愛が知日路の手を強く握る。
「当たり前だよ! 私だってそのつもりだったからこうして事前に知日路に報告をしたんだから!」
それをニッコリと微笑みで受け止めて、知日路はかがんでいた腰を立ち上げた。暗くなりかけている空を見上げて、それから座っている乃愛に手を伸ばす。
「頑張ってね。乃愛」
「うん! 私、もし知日路に好きな人ができたときも絶対応援するからね」
二人はそのまま公園を出てそれぞれの帰路についた。分かれ道に差し掛かって、楽しそうに振り返って手を降る乃愛の姿をしばらく立ち止まって知日路は見ていた。
乃愛の姿が見えなくなってから、知日路はもう一度空を大きく見上げた。
ゆっくりと、でも確実に空は暗さを増しており、知日路は自分の胸の中が痛いくらいに締め付けられているのを感じていた。
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