湊人とタヌキのもふもふ郵便屋さん
七篠空木
一通目『せんせい、あのね』
第1話
こんな仕打ちってない。
湊人は肩を震わせ、配属表を斉藤のロッカーに叩きつけた。
彼は頬を引き攣らせたが、こほんと咳払いすると、湊人のほうを向く。
「白石くん。今は着替え中だから……」
「これは、どういうことですか?」
湊人は声を荒げないよう、努めて冷静な声を出した。逆にドスの効いた声になってしまったが、怖がらせるには、ちょうど良かったらしい。
斉藤は黙ってズボンを履くと、湊人の突き出す配属表を受け取った。
「……君がたぬき部隊に配属された話は、私も聞いたよ」
「たぬき部隊⁉」
ここで、事の成り行きを見守っていた同僚の天野が、素っ頓狂な声を出す。
「そうなんだよ。酷いだろ」
「うわ、ほんとだ……」
斉藤からもらった配属表を眺め、天野は頬を引き攣らせた。
「……俺がイルカ部隊に配属希望したのは、ちゃんと伝わっているんですよね?」
そう。湊人がこんなに腹を立て、直属の上司である斉藤を詰めているのは、希望の部署に配属されなかったからだった。
社会人だ。希望と違う部署に配属されることがあるのは、もちろん承知しているが、魔法も使えない人間界での配達を担当するたぬき部隊は、さすがに無茶ぶりにも程がある。
「もちろん。というか、みんな知ってるよ」
「じゃあどうしてなんですか⁉」
「……白石、気持ちはわかるけど、斉藤さんに言ってもしょうがないよ」
「…………」
確かに、いくら直属の上司とはいえ、人事でもない斉藤にそんな権限はない。
しぶしぶ斉藤から離れる湊人を後目に、今度は天野が意見した。
「……でも斉藤さん。白石だって、理由くらいは聞いときたいと思いますよ」
人型魔法使いが一人で配る一般部署と違い、動物と共に郵便物を配るこの部署は、一、二年目は動物との相性を確かめて、訓練を積む。
湊人は訓練時からイルカとの相性が良くて、泳ぎも問題なく、なにより、イルカ部隊に欠かせない、潜水魔術士の資格を取ったのだ。やっとイルカと働ける。そうワクワクしていたのに。
「ここだけの話……たぬき部隊が一人辞めてしまってね……」
腕を組むと、斉藤はロッカーに身を預ける。悲痛な表情だ。
「あそこは年中人手が不足しているんだよ。なのに辞められるとね……」
「どうしてそんなことになったんですか?」
「知っての通り、人間──ノーマは、魔法が使えない」
湊人達が暮らす魔法界と違って、人間界と呼ばれる場所に住む彼らは、魔法が使えないし、存在も知らないらしい。
しかし、たまにあちらの世界に住む魔法使いがいたり、存在を知っている人間がいる。魔法界と人間界の架け橋になるたぬき部隊は重要で、国からも重宝されていた。
「だから、なんだ、その……我々も配達時に気軽に魔法が使えないんだ。それだと、やっぱりみんな嫌がるみたいでね」
「俺だって嫌ですよ」
そう。重宝はされているが、人気はないのである。そのため、新人が定着しなかった。
魔法を使うことが当たり前となっている湊人達は、長距離の移動だったり、火を湧かしたりといった日常動作でさえ、魔法がなければままならない。
「ほうきで飛ぶのもだめなんて……体力もちませんよ」
魔法を使わない人間がどうやって生活しているのか、人間学で学んだ気もするが、あまり覚えていない。
いったいどうやって働いていけばいいのか、不安でいっぱいだった。
眉を寄せる湊人に、斉藤は頭をかく。
「……でも君、魔法なしの体力テストで一位だっただろう?」
「ああ、あれすごかったね」
毎年社内で行われる身体測定に、魔力テストと体力テストというものがある。湊人はそこで、一位をとった。とってしまった。
子供の頃から水泳をやっていたため、基本的な体力はついているとは思っていたが、まさか陸上競技で一位をとれるとは思っていなかった。魔法使い達はそれだけ体力がないということである。
「イルカ部隊の隊長も苦い顔をしていたし、人材が確保できたら、直ぐに編成し直すと思うよ。……本当に頑張っていたものな」
そう言われると、湊人は引き下がらないわけにはいかなかった。
ため息を吐きたいのを堪え、廊下に出る。天野が後を追いかけてきた。
「白石……。まあ、元気出せよ」
「……お前はいいよな。念願のハムスター部隊……」
天野に恨み言を言いたくもないが、努力して、それを認められてもいただけに、ショックは大きい。
「まあ……俺は白石と違って力もないし、体も小さいからな」
「そこがハムスターに合ってるんだろ?」
ハムスター部隊は、繊細で丁寧な仕事を要求される。加えて、大きな声を出すと怖がられるため、そこに入るのはとても真面目で、穏やかな気質が選ばれるのだ。と、後輩である水谷に聞いたことがあった。
「まあ、ハムスターもかわいいし、俺に合ってる職場だなとは」
天野はへらりと笑ってから、湊人の表情を見て、慌てて付け足した。
「ほら。たぬきだってかわいいじゃん。癒やしがあるかもよ」
「イルカのほうがかわいい……」
「……好みはなかなか変えられないよな。うん」
なにも、たぬきが嫌いだと言っているわけではない。イルカ部隊に入るためにした努力を無駄にされたことに、憤りを感じているのである。
しかし、天野にそれを言うのはいい加減恨みがましいだろう。肩を落とす。と、そこで。
「──なんですって? たぬきが一番かわいいのですよ!」
「は?」
突然間延びした声が割って入ってきた。
二人は視線を彷徨わせるが、声の主はいない。首を傾げると、ズボンの裾を引っ張られた。
「下なのですよ」
その声に従って、湊人は下を見る。
そこには、もふもふした、茶色い生き物──たぬきがいた。
たぬきは湊人に掴まるように二本足で立っている。ぱちっとした丸い瞳が湊人を見上げ、甥っ子の姿を思い出した。
訓練の時に一回会ったことはあるけれど、その時の個体よりも大きいフォルムだ。
「さっきから聞いていれば、失礼な魔法使いですね」
たぬきは両手を腰に手を当て、仁王立ちをすると、呆然としている湊人に向かって抗議をする。
「すいません……」
愛らしい姿をしていてあまり怖くもないが、これからの仕事相手だ。素直に頭を下げると、たぬきは腕を組み、眉間に皺を寄せる。
「訓練の時に会った時は、礼儀正しい子だなと思っていたのに、こんな子だったとは思いませんでした」
「えっ」
「ん?」
「あ、いえ……心なしか、大きくなられたような気がしまして……」
あの時は、もう少し痩せていたというか、シュッとしていた。とても同じ個体には思えない。
湊人の発言に、たぬきは胸を張り、ふんぞり返った。
「秋の間にたくさん食べて、冬毛に変えて、寒い季節に備えるのです」
今までイルカにしか大して興味もなかった湊人は、へえ、と相づちを打つ。
隣の天野がしゃがんで、たぬきに話しかけた。
「じゃあ、今は備えてる最中なんですね」
「そうなのです。良ければ天野くん、君も食べますか? さつまいもです」
「え、あ、あはは……今日は遠慮しておきます。今から新しい部署に挨拶ですから」
天野は出されたサツマイモを丁寧に断ると、時計を見、慌てて去っていった。
「白石くん。たぬき達も行きましょう」
そう言ってぽてぽてと歩き出すたぬきの後ろに着いていく。
「うちの部隊でのルールはご存じですか?」
「……魔法は禁止なんですよね」
何度聞いても納得しかねる縛りだ。どうやっても慣れる気がしない。
「魔法がなくて、どうやって配達を?」
「今やってるみたいに、たぬきと歩きます。人間がびっくりしちゃいますからね」
そうこう言っている間に着いたらしい。「たぬき部隊」と書かれたドアを開けると、たぬきは頭に葉っぱを乗せた。
ぽんとコミカルな音がして、たぬきが煙に包まれる。煙草と違って煙たくはないけれど、咄嗟に目をつむる湊人の前に、誰かが近寄ってくる気配がした。
目を開け、その誰かを見ようと目をこらす。背格好が自分と同じだ。
「──ねえ、白石くん」
煙の中から聞き慣れた──自分の声が聞こえてくる。ぎょっとして後退る湊人の手を、その誰かは掴み、ぐいっと近寄ってきた。
中から日に焼けた顔が出てくる。垂れ目の黒い瞳。塩素で茶けてしまった短い髪。筋肉質で長い上背……。
(──俺⁉)
驚く湊人にくつくつと体を揺らすと、湊人の姿をしたたぬきは楽しそうに飛び跳ねた。
「これから、よろしくお願いしますね!」
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