中
C-15室、と書かれたプレート。
それは今日から僕と『パートナー』が暮らす『仕事』のための部屋を表す。
けれど開けるのが億劫で、その扉の前で立ち尽くしていた。
(……開けたら、やらなければならない。
嫌で嫌で仕方がない、『仕事』を)
けれど現実はただ時間が流れるだけで状況は何も変わらなかった。
震える腕、滲む手汗、滑るドアノブ。
全ての感覚が逆立ったまま扉を開けた。
「……どうも」
聞こえたのは落ち着いた女性の声。
どうやら『パートナー』は先に到着していたようだ。
「初めまして…ですよね、」
緊張して変な事ばかり口走る。
そりゃそうだ、お互い“異性と話すこと“自体初めてだろうに。
「ええ、初めまして。
…とりあえず急に始めたりしないので話し合いから始めますか?」
淡々とした口調になんだかこちらも冷静になってきてやっと顔を上げると、先程の資料と同じ…僕の『パートナー』がいた。
吸い込まれそうな真っ黒なロングヘアで
顔立ちは鼻筋がすっとしていて目が少しつり上がっている。
着ている服も落ち着いたカーキのひらりとした服装。
……女性ってこんなに違うものなのか、と少し見とれてしまった。
目をそらすように全体を見渡す。
部屋はわざとらしい木目調で、内装だけ見ると立派な平屋という感じ。
全てコンパクトになっているが全てが充実している。
…さすがこの国の中央地区だと純粋に思う。
中央のテーブルに座り、本を読んでいたらしい彼女は目の前の椅子を指さした。
…そこに座れということだろう。
大人しく目の前のテーブルに座ってこれからの『話し合い』をすることにした。
…逃げられない、『仕事』の。
_____________________
「じゃあ…まずは自己紹介からしましょう。
お互いプロフィールは渡されているけれどやっぱり直接がわかりやすいと思うし。」
「そうですね。」
「私から…。
私はH地区に住んでいて今は18歳。
好きな物はとうもろこしで嫌いなものはほうれん草。趣味は読書。
特技は楽器。…次どうぞ。」
「じゃあ僕も。
僕は8地区に住む16歳。
好きな物はさくらんぼで嫌いなものは特にないかな。
僕も趣味は読書で最近は近所の図書館の本を読み尽くしたから
色んな人の家を訪ねてまだ見た事ない本を探してるとこ。
…よろしく。」
なんとも事務的な自己紹介。
そりゃあそうもなる。なにせ初対面で二人きりなのだから。
それに恐らくこの人もあんまり喋るのが好きじゃなさそうだし…。
「じゃあ軽く紹介が終わったから…呼び名を決めましょうか。」
…呼び名、それを決めるところから『仕事』は始まる。
そもそも、この世界にはいくつかの決め事がある。
1、普段1〜12地区に住む男とA〜L地区に住む女は基本的に関わり合ってはいけない。
2、『仕事』は生きるもの全てに発生する義務であり、特例を除き全員従事するもの。
3、『仕事』期間は『パートナー』の本名を知ってはいけない。
お互いに偽名を使うこと。
4、『仕事』が終わったあと、国の許しなく『パートナー』と会ってはならない。
5、『仕事』に関することは中央地区外では口外禁止である。
…とまあ羅列すると明らかにおかしいのだが、慣れてしまえばこんなもんと受け入れるしかないものばかり。
というわけで目の前の彼女と僕はお互いの名前を決めなければならなかった。
「僕はなんでもいいので…良ければ決めてください」
「…えっと、難しいわね
本名から外れてないといけないし…かと言って突飛だと名前っぽくないから…」
別になんだっていいだろうにウンウンと頭を悩ませる彼女は少し最初印象より柔らかく見えた。
「…よし、じゃあ私がブロンで貴方がヴェールね。」
「えっと、緑と白?で合ってますか。
あまりフランス語には明るくなくて…」
「そう。
私は今日カーキのワンピースを着てるし、あなたは白のシャツを着ているでしょう?
お互いの色を呼び合うのが信頼の1歩ってことでどう?」
……なんと、独特なセンスだな。
フランス語から持ってくる意味も、相手の服の色を名前にするのもよく分からないけれど
必死に悩んだ結果の真面目な顔に少しだけ、拍子抜けしてしまった。
「いいですよ、じゃあ僕がヴェールですね。
よろしく、ブロン。」
差し出した手に驚いた顔をする彼女。
そのまま僕の手を握ることなく中をみているのでなんだか恥ずかしくなってきてしまった。
「…どうかしましたか」
「いえ…ただ、普通に笑えるんだと思ってしまって」
発されたのはなんとも失礼な言葉だったけど、予想外すぎて更に笑えてきてしまった。
「…えっ、あ!あははは!!
僕だって普通に笑いますよ。緊張していただけです。全く失礼ですね。」
「あ、そうよね、ごめんなさい!
よろしくヴェール。」
そう言って慌てて手を握るブロンの方こそ、はじめの堅苦しさはなくなっているように見えた。
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朝の目覚ましが、けたたましいツルハシの音じゃなくなったのはありがたい。
…だが、
「ヴェール!早く起きてきてよ。
支給品の振り分けも終わってないし、第1報告書の提出も今日までなんだから。」
少しうるさめな同居人の小言になったことは幸いとは言えなかった。
「…ゔーん、わかった、起きるから。」
夢から引きずり出された最悪の寝起きのまま、向かうのはダイニング。
…僕らの話し合いの場だった。
_____『パートナー』と過ごして約1週間。
ブロンは幸いにもあまり『仕事』に積極的な性格ではなく、ただダラダラと共同生活を送るだけになっている。
国から怒られそうなもんだが期間はまだまだある。
問題を先延ばしにして僕らは普段、ボードゲームや今まで読んだ本の雑談で暇を潰していた。
「ヴェール!昨日支給された物品の中に本があったんだけど読む?」
まだ、寝ぼけた頭の前にブロンがばっ!と赤色の本を差し出す。
片手には支給品のダンボール。
とりあえず受けとって、表紙をまじまじとみる。
…【共生社会の素晴らしさ】という題名の本。
「…ごめん。あんまり読む気になれないやつかも」
正直に答えて本を返すと、
ブロンは興味無さそうにそのままその本をゴミ箱の方へ投げてしまった。
「やっぱり?
中央地区にいる間に支給される本なんてどうせと思っていたけど、やっぱりこんな内容ばっかなのね」
飽き飽きだと零すブロン。
全く、本を投げたりするなんて雑なやつだなぁ…と思いながら、
なんとなくの違和感を覚えた。
「………なぁ、ブロン。
お前って『仕事』のことどう思ってる?」
ガサゴソとダンボールを漁る手が止まる。
何故かその答えを聞くのは、緊張した。
「…ヴェールがさ、『仕事』に熱を持ってなくてよかったって思ってる。
ねぇ、正直に話しても私を国に売ったりしないって約束できる?」
いつもより真剣な声。
見つめてくる真っ黒な瞳は吸い込まれそうなほど深くて
「…もちろん。」
自然とそんな声が出た。
____________________
「…どう?
私の話、信じて貰えたかな」
淡々と言葉を吐き続けたブロンが話し終えた途端、言い表しようもない感情が湧いてきた。
…ブロンは、今
『仕事といって強制的に子供を作らせるこの世の中がおかしい』と、ハッキリそういったのだ。
幼少期からそれがおかしいことでは無いと植え付けられる教育を受けているはずなのに。
“僕と同じ“考えを持っている。
僕は初めて同志を見つけた高揚感からか、ブロンの言葉を咀嚼し終えた後に思わず
抱きついてしまった。
「えっ?!ちょ、ヴェール!!?
いきなりなに…」
「…ブロン!『パートナー』が君でよかったよ!
この世界をおかしいと言える人でよかった!」
それは僕の心からの叫びだった。
___________
…幼少期の記憶が頭によぎる。
はじめて『仕事』として、
0〜15歳のプレートがかかった施設にいた時のこと。
『仕事』というのは世界を発展させるための重要な役割だとか、
嫌悪や恐怖を抱かせないために必死に大人たちが子供にあたりまえの知識を刷り込ませるように
僕らに『仕事』の内容を教えた。
数日そういう教育を受けていて、そういうものがあるんだと受け入れ始めたときに
たまたま施設外へ出る扉が開いていたから
父さんに会いに行こうと思って隣の15歳〜35歳のプレートがかかった所へ入ったんだ。
……そこで、見てしまった。
子供を作るために強制的に女性を従えてる男性の姿や
パートナーから殴られた!と受付で苦情を訴える女性、
更には奥から沢山の赤ん坊の鳴き声まで聞こえてきて
その光景は、4歳の僕には耐えられるものではなかった。
しっかりと頭にこびりついたまま、必死に来た道を戻っていった。
幸い誰にも見つからずに済んだが、それからが地獄だった。
…ぼくらの進む先はあんな『仕事』という名の地獄なのか?と
今受けているこの教育は、……
…………おかしいのではないか?と。
違和感が生まれ始めてからはもう、この世界の仕組み自体が気持ち悪くて仕方がなかった。
…そうして教育の途中で生まれた違和感は拭われることなくここまで来た。
だから、僕以外の人間で『仕事』に嫌悪感を持つ人間がいる!
その事実は僕を孤独から掬い上げてくれたのだ。
_____________________
「……なるほどね。ヴェールが初対面のときから妙に緊張してたことも納得だわ。」
あれから、ブロンには洗いざらい全てを話した。
ブロンならきっと分かってくれると思ったから。
「…ねえヴェール。
空の上の話、知ってるでしょう?」
「もちろん。最近読んだ本にも詳しく書いてあったよ。
ラピスラズリの空にオパールの雲が浮かぶ、そんな世界の話でしょ?」
「そう。……もし、『仕事』から抜け出して
土の空から抜け出せるとしたら…抜け出したいと思う?」
突飛な想像は、ブロンの特徴だってわかってたけれど
…それにしたってあまりに現実味のない話だった。
「…その話が本当なら抜け出してみたいけどね。
生憎それは、神話の類だよ。現実はこの土の空より先には何も無いんだ。」
「……いいえ。この土の空の先には必ずその世界がある。
私は、その世界まで連れていけるとしたら
…ヴェールは行きたいかを聞きたいの。」
強く否定されたかとおもえば信じられないぐらい真剣な目でこちらを見てくるブロン。
なんだか、嘘には見えなかった。
「…、本当なら行ってみたいよ。」
そう絞り出した言葉はブロンをふっと笑わせ、
「決まりね!」なんて言葉を引き出した。
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