第13話 沈黙する闇夜の街
重厚な金属扉が閉じられると、外の世界の音が完全に遮断された。
別荘の地下深く、照明だけが作戦会議室を淡く照らしている。
壁面には立体地図のホログラム。
そこに、二つの赤い印――タクトとリナの自宅の位置が浮かんでいた。
「――深夜のうちに両名とその親類も確保し、このシェルターへ迎える。」
ヴァレンタイン隊長の信頼する精鋭の騎士、リードが凛々しい声で告げる。
「万一、ダカンマフィアの襲撃も想定済み。二班に分かれる。」
四人の部下が、整然と準備を進めていく。
銃の装填音、装甲の留め具が噛み合う音。
緊張感が部屋全体を包んでいた。
その時、シュウが立ち上がった。
「――僕も行きます!」
突然の言葉に、室内の空気が張り詰める。
グレゴリー・ヴァレンタイン隊長がゆっくりと彼を見る。
「君はここに残りなさい。君も標的の一人だ。」
だが、シュウは一歩も引く様子はない。
拳を強く握り、真っ直ぐに言葉を返す。
「僕は――純血のアマツ人です。
いまだに差別も凄いんです。
なのに……タクトもリナも、ローズさんも、自分もイジメられるかもしれないのに、僕を“親友”だって言ってくれたんです。
僕に“人としての温かさ”を諦めさせなかった存在なんです。
だから自分の意志で友を助けたい。」
沈黙が落ちた。
グレゴリーは腕を組み、しばらくの間、何も言わなかった。
やがて、ゆっくりと目を閉じ、口を開いた。
「……わかった。その想い、しかと受け取った。
フッ…ローズは君という者を友に持てて幸せだ。」
勇気と優しさのあるシュウに向かって、心底感心し、頷いて言った。
「二人一組でそれぞれ迎えに行く。どちらかの組に同行するといい。」
「……ありがとうございます。」
シュウの声は震えていたが、迷いはなかった。
部下たちが一斉に「了解。」と答え、装備を整える。
リードが軽く顎をしゃくり「シュウ、俺たちと行こう。タクト君の方だ。」と声をかける。
彼らは静かに部屋を出ていった。
金属扉が閉じる音が、鈍く響いた。
残されたグレゴリーは、独り、ホログラムの地図を見つめる。
灰色の光が彼の瞳に映る。
「それにしても……灰色の髪の大男、か……。」
低く呟き、眉間に深い皺を寄せた。
「まさか……"グレアム"が、この件に関わっているのか……。」
*****
夜の街を走る黒い車の中、車体の振動とエンジン音だけが、重く沈んだ空気を支配していた。
運転席には騎士団の部下リード。
助手席にはエステル。
後部座席にシュウが座り、窓の外を見つめている。
街灯が点々と通り過ぎ、闇の中を流れる。
その度に、シュウの横顔が一瞬だけ照らされては、すぐに深夜の闇に沈む。
シュウは膝の上で携帯端末を開いた。
画面にはタクトとリナの連絡先。
指が震えながら必死にメッセージを打つ。
【すぐに家を出る準備を。危険な奴等が狙っているかもしれない。安全な場所に避難する必要がある。ご両親も一緒に!】
送信ボタンを押すと同時に、画面の端に「送信完了」の文字が小さく光った。
……しかし、返信は来ない。
なかなか落ち着くことが出来ず、何度も見返すが通知は鳴らない。
リードがバックミラー越しに、彼を一瞥する。
「連絡はどうだ?」
胸の奥がざわつく。
何度も更新を押しても、無反応な画面が冷たく光るだけだった。
リードがバックミラー越しに、彼を一瞥する。
「連絡はどうだ?」
「……まだ返ってきません。」
自分の声がやけに遠くに聞こえた。
焦りを悟られまいと喉を鳴らすが、震えが止まらない。
リードは短く息を吐いた。
「こんな深夜ど真ん中だ。寝てるか、端末を切ってるんだろう。」
エステルが穏やかに言葉を重ねた。
「大丈夫だよ、落ち着いて。そんなに時間は掛からない。会って確かめよう。」
……そうだ。会えば、きっといつも通り笑ってくれる。
心のどこかでそう言い聞かせた。
でも、胸の奥では――なにかがずっと、警鐘を鳴らしていた。
車は郊外の住宅街へと差し掛かった。
人気がなく、街灯がぽつり、ぽつりと夜道を照らす。
その明かりが車窓を滑るたび、シュウの不安も薄く切り裂かれるように波打った。
リードが低く呟く。
「よし……着いたぞ。」
車が止まる。
見慣れたはずの家――タクトの家が、夜の静寂に沈んでいる。
黒いバンの姿はない。
「……良かった。 奴等は……来てない……?」
胸の底から安堵の息が漏れる。
だが、リードは表情を崩さず、周囲を警戒しながら言った。
「エステル、確認だ。行くぞ。」
三人は車を降り、玄関へと向かう。
深夜の風が肌を撫で、空気が凍りついていた。
虫の声すらしない――不自然な程の静けさ。
エステルが玄関のチャイムを押した。
乾いた電子音が響くが、家の中から反応はない。
「……留守、か?」
リードの声が低く響く。
もう一度押す。
それでも、沈黙。
その沈黙が、耳鳴りのように痛かった。
シュウが前に出る。
「タクト! 俺だ、起きてるか!?」
……何も返ってこない。
喉の奥がきゅっと締めつけられ、息が詰まりそうになる。
震える手でドアノブを握ると――カチリ。
「……開いてる。」
鍵は、かかっていなかった。
その瞬間、空気の重さが変わった。
リードの顔から血の気が引く。
「エステル、警戒態勢。 シュウ、俺の背中から離れるな。」
リードはゆっくりと、扉を押し開けた。
暗闇。静寂。
そして――鼻を突く、鉄のような匂い。
「……血の臭いだ。」
リードの呟きが、場の温度をさらに下げた。
三人はブーツの音を殺し、リビングへと進む。
足元で、ぬるりとした感触。
シュウが視線を落とすと、懐中灯の光に赤黒い液体が鈍く反射していた。
――床一面に、血。
光をさらに奥へ向けた。
そこに、二つの影。
タクトの両親だった。
体は裂かれ、家具は倒れ、壁には飛び散った血が乾き始めている。
家中が“地獄”の匂いに染まっていた。
「う……あ……。」
声にならない悲鳴が漏れた。
エステルが息を呑み、リードは歯を食いしばる。
だが、シュウだけは――走り出していた。
「タクト!!」
階段を駆け上がる足音。
もはや呼び止める声も届かない。
二階のドアを開けた瞬間――
――何かが揺れた。
部屋の中央、天井から吊るされた影。
舌を垂らし、目を見開いたまま、
“親友”が、そこにいた。
空気が崩れ、世界が音を失った。
「……うそだろ……。」
声が震える。呼吸が出来ない。
シュウはその場に崩れ落ち、床を掴んだ。
心臓が、痛いほど鳴る。
目の前にあるのは、受け止められない現実。
リードとエステルが後を追い、彼の肩に手をかけるが、言葉が出なかった。
シュウの視線が、ふとタクトの服へと落ちた。
その腹部には――刃で刻まれた文字。
『これは報い』
見た瞬間、胸の奥で何かが壊れた。
(これは報いだと…? ふざけるなよクズめ…!!)
シュウの中で深い悲しみと怒りは、強い殺意になっていった。
「……許さん……。」
掠れた声が、虚空に消える。
その目には、もう涙も流れなかった。
部屋の中は、時計の秒針だけが響いていた。
止まった時を刻み続ける、残酷な音だった――。
***
同じ頃。
夜の街道を、もう一台の車が走っていた。
車内の空気は、張り詰めた糸のように重い。
運転席の精鋭騎士ハロルドは無言でハンドルを握り、隣のアメリアは助手席の窓越しに、黒く沈んだ街並みをじっと見つめていた。
「……嫌な静けさね。」
アメリアの呟きに、ハロルドが短く答える。
「ああ。嫌な予感がする。」
車の前方に、うっすらと橙色の光が見えた。
それが近づくにつれ、焦げるような臭いと、煙が風に乗って流れてくる。
「この匂い――火事か!?」
ハロルドがアクセルを踏み込む。
やがて、住宅街の一角――リナの家が見えたが、燃え盛っている。
屋根から噴き出す炎が夜空を焦がし、火の粉が風に乗って舞い上がっていく。
「くそっ……!」
アメリアがドアを開けて飛び出し、ハロルドも後を追う。
家の周囲には、近所の住民たちが数人、遠巻きにその炎を見ていた。
しかし、誰一人として近づこうとしない。
「おい! なぜ消防を呼ばない!」
ハロルドが怒鳴る。
住民の一人が怯えたように答えた。
「で、でも……その……。ダカン帝連人たちが……。」
「“消防を呼ぶな、静かにしてろ”って……。
さすがに誰も逆らえないよ……。」
アメリアの表情が呆れたように怒りが滲む。
「ふざけないで……! 人が焼かれてるのよ!」
彼女はそのまま炎の方へ駆け出そうとするが、ハロルドが腕を掴んだ。
「待て、突っ込むな! 中はもう……!」
言葉を飲み込む。
――間に合わない。
この炎の勢いでは、中に生存者はいない。
アメリアは唇を噛み締めた。
「……クソッ……なんで……なんで、こんな……。」
ハロルドは住民たちを睨みつけるように見回した。
「ここは見世物じゃない! さっさと散れ!」
その怒声に、群衆はたじろぎ、散っていく。
炎の音だけが残る。
ハロルドは通信端末を取り出し、グレゴリー・ヴァレンタインへ報告を入れた。
「……こちらハロルド。リナ宅に到着。
現場は全焼。 近隣住民証言によれば、ダカン人の指示で消防の遅延があった模様。
現在、遺体の確認は困難――。」
通信の向こうで、短い沈黙。
そして、グレゴリーの低い声が返る。
『……了解した。直ちに引き上げろ。
その場は危険だ。』
「了解。」
通信を切った後も、しばらく二人は燃える家を見つめていた。
夜空を焦がす火の粉が、まるで誰かの悲鳴のように舞い上がる。
アメリアがぽつりと呟いた。
「……この国は、もう……狂ってる。」
ハロルドは答えなかった。
ただ、拳を固く握りしめる。
燃え盛る家の向こうで、ひときわ大きな梁が崩れ落ちた音が響いた。
夜は、ますます深く、重く沈んでいった。
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