第10話 咎の国にて、真実を語る者
前書き
今回は咎華においても現実社会においても重要な話が出てきます。
陰謀論と嘲笑うのか、自分の思考で、心で受け止めるのか。
非常に重要です。
********
夜のノア連邦騎士団本部は、街の喧騒が嘘のように静かだ。
廊下に響くのは、二人分の足音だけ。
規律を象徴する白い壁が、月光を受けて青白く光っている。
先を歩くのは、黒髪を束ねた一人の女性騎士。
鎧の金属音もほとんど立てず、まるで空気に溶けるような足取りだった。
――セラ・アルバーノ。
彼女は振り返らず、ただ淡々と歩き続ける。
シュウは後ろからその背中を見つめながら、無意識に呼吸を整えていた。
学生服のまま立ち入るには場違いすぎる空間。
それでも足を止めることはできない。
ここへ来たのは、自分の意思だ。ローズを、母を守るため。
セラがようやく足を止めた。
目の前には、重厚な木製の扉。
金色の取っ手が、わずかにランプの光を反射している。
「――この先が応接室だよ。隊長はすでにお待ちのはず。」
彼女の声は低く、乾いていた。
「もう、お待ちなんですか? ……突然伺ったのに。」
シュウが戸惑いをにじませる。
セラは視線を動かさず、ただ淡く答える。
「予定に空きがあったようで。
気にしないで、入って入って。」
その言葉の裏に、どんな意図が潜んでいるのか。
もちろん、シュウは知る由もない。
彼女が数時間前、ユミナと共にヴァレンタイン隊長のスケジュール管理システムに侵入し、
“二十二時半 面会:重要な客人”というスケジュールを強引に書き込んだことなど――。
多忙を極めるものの、人を信用しないヴァレンタインは時間の管理をすべてAI秘書に任せていた。
だからこそ、彼は疑いもなく“予定された来客”を迎えるため、
忙しい日程を切り上げてここに来たのだ。
セラは無表情のまま扉の取っ手を押さえる。
「中へどうぞ。」
その声は、まるで合図のように響いた。
シュウは深く息を吸う。
胸の鼓動が早くなる。
――ここから先に踏み込めば、もう後戻りはできない。
「失礼します……!」
***
静かな音を立てて扉が開く。
部屋の中は薄暗く、ランプの光が琥珀色に揺れていた。
応接室の中央には、ノア連邦の騎士礼服の男が腰を下ろしている。
ノア連邦騎士団親衛隊長――ローズ・ヴァレンタインの父、ヴァレンタイン隊長。
彼は手元の書類を脇に置き、ゆっくりと顔を上げた。
「おや?……君が、重要な話があるという客人かな? 学生だとは思わなかったな。」
声は紳士的で穏やかだが、その奥には研ぎ澄まされた警戒の光がある。
彼の周囲の空気だけが、わずかに重く揺れていた。
「夜分に申し訳ありません。
セラフィア大学二年生の暁月シュウと申します。
あなたの娘さんのことで――どうしても伝えなければならないことがあって。」
シュウの声は震えていた。けれど、言葉は真っ直ぐだった。
ヴァレンタインは椅子から立ち上がり、じっと彼を見つめる。
「君があの暁月シュウ君か……。 いいだろう。話してくれ。
失礼した、私はグレゴリー・ヴァレンタイン。
よく来てくれた。」
扉の外では、セラが静かに立ち尽くしていた。
彼女の耳元の通信機が、小さく光を放つ。
ユミナの声が微かにノイズの向こうで囁く。
――“接触、開始。記録、開始"。
そして、静寂の中、世界の歯車がまた一つ、音を立てて回り始めた。
***
沈黙が応接室を包み込んでいた。
重厚な時計の針が、一秒ごとに微かな音を刻む。
シュウは深く息を吸い、言葉を選ぶようにして語り始めた。
「……ローズさんが、危険にさらされています。
ダカン帝連が雇った連中が彼女を狙っていました。
僕は――彼らを倒しました。でも、また来るかもしれません。」
その言葉を聞いたヴァレンタイン隊長は、目を細め、腕を組んで静かに頷いた。
彼の横顔は、他の騎士とは明らかに違う、老練な戦士のそれだった。
「やはり……か。強引にでも娘を匿うべきだった……。私の落ち度だ。」
低く呟く。
「先程その事は私も報告を受けたところだ。
ローズが襲撃を受けたと。
幸い君のおかげで怪我はなかったが――もう、騎士団の警備だけでは守れん。…信用も出来んがな。
それにしてもよくそんな連中を相手に君は無傷で倒すとは……。何か腕に覚えが?」
シュウは一瞬、言葉を詰まらせた。
視線を落とし、拳を握りしめる。
「……腕に覚えなんてありません。
頭が真っ白になって、気づいたら……体が勝手に動いていました。」
彼の声は静かだった。だが、その奥に宿る震えは、恐れではなく“熱”だった。
「相手が誰であろうと、あの時、あの場所で……ローズさんを狙った奴を逃がすわけにはいかなかった。
それだけです…。」
グレゴリーはその言葉を聞き、しばし沈黙する。
彼の眼光が僅かに鋭くなり――それは戦士として、何かを“見抜いた”時の眼だった。
グレゴリーは椅子から立ち上がり、シュウの方へ歩み寄った。
「暁月シュウ君。君のことはローズがよく話していた。
“真実を見つめ、間違っていることを正そうとする勇気ある人”だと。
娘の見る目は確かだったようだ。」
「……ローズが、僕の話を……?」
シュウは驚きに目を見開く。
グレゴリーは微笑を浮かべ、右手を差し出した。
「ああ、私は神に仕えている。
任務を休めることは稀でね。ローズのところにはなかなか戻ってやれないのだが、帰った時はいつも君の話を聞かされた。
君のような若者に出会えたことを誇りに思う。」
シュウはその手を握り返した。
硬く、温かい手だった。
父親としての威厳と、人としての誠意が伝わってくる。
「あ…こちらこそお会い出来て光栄です。
……グレゴリー隊長、ローズさんだけじゃありません。
僕の母は一人で……。どうか、母も守ってください。」
ヴァレンタインは短く息をつき、真剣な表情に変わる。
「わかっている。しかし、それでは足りない。
奴等が絡んでいるなら動きは早く、どこまでも非道だ。
私が持つシェルターに、君の母とローズを匿おう。
安心しろ、場所を知っているのは私が信頼する精鋭の部下たちのみだ。
この騎士団の誰一人、位置を知らない。」
シュウは一瞬、息を呑む。
それは国家上層部の人間にとっても、簡単に明かせることではない。
彼の言葉には、それほどの覚悟があった。
ヴァレンタインは窓際に歩み寄り、夜空を見上げる。
外には冷たい月が浮かび、都市の灯りが霞んでいた。
「暁月君……知っての通り、この国も、いや、世界全体が傲慢と欺瞞に満ちてしまった。
かつては誇りを胸に、誠心誠意、情けをかけて戦う騎士たちがいた。
だが今は違う。
人々は欲望のままに金を貪り、己の恥を忘れた。
真実よりも利益を、正義よりも立場を選ぶ。
私は、そんな時代を……憂えている。」
彼の声には、静かな怒りがこもっていた。
長年、国家の中枢に立ちながらも、腐敗を見続けてきた者の重み。
「他の者は嘲笑うか、否定をするだろう。
だが君には、この話が通じると思っている。
いいか、暁月君――。
今、このノア連邦は、ダカン帝連によって裏から支配されている。
奴らは、かつて東の小国アマツ国を謀略と殺戮で滅ぼした。
……君の祖国だな。」
シュウの瞳が、揺れた。
自分が生まれる前に失われた国。
「……あなたは知っているんですね。」
グレゴリーはゆっくり頷く。
「知っているとも。二十年前のその戦争に私もいたよ……。
しかし戦争はダカン帝連はアマツを取り込み、そして今、ノア連邦を同じように侵食している。
“多様性”や“平和”という名のもとに、文化と思想を染め替え、メディアと金で人々を洗脳し、欲望のままに生きる拝金主義へと導いている。
この国の腐敗は、もう限界に近い。
……だからこそ、私は立ち上がると決めた。
ダカン帝連と戦う。騎士として、父として。」
シュウは静かに頷いた。
「だから、あなたは……会見でダカン帝連のやり方に苦言を呈したんですね。
移民政策やグローバル浸透についても、はっきりと“戦う”と宣言した。」
「そうだ。だがあの宣言の直後から、私はノア連邦内部の監視対象になった。
あらゆる、親衛隊長降ろしのための様々な"嫌がらせ"をな……。 しかし私はそれに耐えてきた。
真実を語ることを恐れたら、もう人間ではなくなる。」
グレゴリーは時計を見やり、鋭い口調に戻る。
「それより、事は一刻を争う。今すぐ君の母とローズを、私の信頼できる部下たちに連れてこさせよう。」
シュウは深く頭を下げた。
「……ありがとうございます。
でも、母に僕の口から伝えたい。すぐに家に戻ります。」
グレゴリーは一瞬考え、頷いた。
「ああ、いいだろう。だが、急げ。
途中で私の部下たちと合流する。彼らに話を聞いてくれ。」
その声には、命令ではなく、確かな信頼があった。
シュウは敬礼のように軽く頭を下げ、踵を返す。
「失礼します。」
扉が静かに閉じる。
部屋に残されたグレゴリー・ヴァレンタインは、深く息を吐いた。
「……あの目は、騎士というより戦士の目だな。ローズ、お前は――良い人を見つけたな。」
そして、月明かりを背に立ち尽くしながら、独り、老練の騎士は小さく呟いた。
「この国が滅ぶ前に……真の暁を見ねばならん……。」
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後書き
ご拝読ありがとうございます。
今回は大人向けな内容になりましたが、咎華を進めるうえで、とても大切な話なのでこういう内容になりました。
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