第3話 認識されざる歌姫
前書き
死隠部隊の立ち位置として、真の悪、権力と善に隠れた悪と戦うことが彼らの信念に基づく任務です。
これまでリアルを重視し過ぎて、とてもライトノベルとしては出せるものではないということを反省し、こうして最終リライトとして本編を出しています。
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呻き声が重く響き、夜の大通りが不気味に震えた。
目を血が濁ったかのように赤く染め、黒いオーラをまとった群衆が、まるで糸で操られる人形のように一斉にこちらへと歩み寄ってくる。
「よぉし! さっさと片付けてやるぜ!」
前へ踏み出したのは、長い灰色の髪を後ろで雑に括った大男――カイル・マクレガー。
黒革の軽装鎧の下からのぞく腕は岩のように太く、振り抜かれた拳は空気を裂く轟音を伴い、一人の腹部へと叩き込まれた。
鈍い衝撃音。
常人ならそのまま意識を刈り取られて倒れるはずだ。だが――
「あ!?……効いてねぇ、だと!?」
見たこともない強烈なパンチをまともに喰らい、重力に逆らうかのように飛ばされたにも関わらず、ぎこちなく、ゆっくりと立ち上がる。
その顔には苦痛の色すらなく、カイルをただ見続けている。
カイルはすかさず次の一撃を向かってくるゾンビ化した男の後頭部へ叩き込む。
しかしその男も地面に叩き伏せられたかと思えば、糸に引かれるようにまた立ち上がってくる。
「おいおいマジかよ…! ホントに16年前のゾンビ化と同じ感じなのか…?
だがさすがに……民間人をぶっ殺すわけにはいかねぇ。
クソッ、どうする……?」
カイルは忌々しげに歯を食いしばり、次々と襲い掛かる群衆を投げ飛ばしながら、なおも彼らの致命傷だけは避け続ける。
その戦いを少し離れた場所で見ていたシュウは、思わず声を呑んだ。
「す……すごい……。あの人、あんなに強いのに……でも、効いてない……! なんなんだこの状況……。」
隣ではリエルが静かに立っていた。
彼女はシュウの手をそっと握ったまま、表情を変えずに戦況を見つめている。
その表情には、何かを秘めているような影が宿っていた。
群衆は呻き声を重ね、さらに密度を増してカイルへと迫ってくる。
しかしカイルはそれに怯まず、戦い続ける。
振り下ろされた拳が風を裂き、足払いが唸りを上げるたび、何人もが宙を舞って地面に転がる。
だがそれでも、彼らは立ち上がる。痛みを忘れた人形のように。
「マジでどうするオレ!? ゾンビ化した奴を止められんのはあの女しかいなかったしなぁ…!
俺じゃ無理だ!」
カイルが舌打ちし、その巨体は疲れを見せぬまま動き続けるが、しかしさすがに無限に続けられる戦いではなかった。
シュウは拳を握りしめながら、ただ目の前の戦いを食い入るように見つめていた。
「このままじゃ……! 騎士団の人達を呼ばないと!」
一方、隣に立つリエルは、その様子を冷静に見つめ、そっと彼の手を握り直した。
睫毛がわずかに震え、心の奥底に秘めていた決意が、静かに灯っていく。
彼女は目を閉じる。
わずかな吐息とともに、夜の空気が凛と張りつめた。
そして――瞼が開かれた瞬間。
それまでの澄んだ青い瞳が、燃えるような紅へと変わり、夜の闇を支配する。
視線が鋭く前を射抜くと、紅い輝きは波紋のように広がり、夜の大通りをまるごと包み込んだ。
揺らめく魔素は花弁のように舞い散りながらカイルをすり抜け、群衆へと降り注ぎ、ゾンビ化した彼らの体内へと吸い込まれていく。
呻き声は変調し、やがて痛みとも救済ともつかぬ叫び声へと変わった。
紅の光は夜に溶け込み、現実と幻を揺らがせるかのようだ――。
「お!!? なんだこれ!?」
カイルが目を見開き、無意識に後退する。
だがシュウは、目の前の異様な光景に釘付けで、隣にいるリエルの変化に気づいていない。
群衆の赤く濁った瞳は白へと反転し、全員が糸の切れたかのように崩れ落ちる。
まとわりついていた黒いオーラはゆっくりと消え、ゾンビ化は解けたのか、肌の血色も元に戻っていく。
紅の輝きはやがて収束し、揺らめいていた光も、静かに夜の闇へと沈んでいく。
ルナの瞳もまた、いつもの澄んだ青へと戻っていた。
彼女はまるで何事もなかったかのように、握ったシュウの手をずっと握り続けている。
シュウはなお、目の前で倒れ込んでいく人々の光景に釘付けで、リエルの変化には気づく様子すらなかった。
次の瞬間、沈黙を切り裂くように、迫力のある低音ボイスが響いた。
「大丈夫だったか!? ガキ共。」
そこに立つ男は、戦いを終えたはずなのに息一つ乱れていなかった。
褐色の肌はまるで鋼のように硬く、黒革の軽装鎧は幾度もの激闘を物語るように擦り傷と痕で覆われている。
粗雑に後ろで縛られた灰色の長髪が風に揺れる。
その眼光には豪快さと同時に、数多の修羅場を潜り抜けてきた者にしか持ち得ない重みを感じる。
戦いの世界をまったく経験していなくともわかる、この威光。
ただそこに立っているだけで――周囲の空気が、圧倒される。
「お、おかげで……助かりました。」
「ありがとうございます…。 大丈夫でしたか?」
シュウとリエルが頭を下げると、カイルは片手を振って遮る。
「ああ気にすんな。 ちなみに俺はただの通りすがりの傭兵だ!
戦うのが仕事なもんでついな!」
そう言って、口元に乱暴な笑みを浮かべる。
足元では倒れ伏す人々が、微かに胸を上下させながら静かに眠るように横たわっていた。
黒いオーラは完全に消え失せ、完全に元の人間の姿に戻っている。
カイルはそれを一瞥すると、鼻を鳴らした。
「……チッ。こいつら、さっきまでゾンビみてぇだったのによ。何が起こったかは知らねえが、面倒は騎士団に押し付けるとするかね。」
そう言うや否や、彼は背を向ける。
去り際、ちらと二人を見て、口の端を上げた。
「ま、死ななくて良かったな。……じゃあな!」
無骨な背中は、あっけないほど軽い足取りで夜の街に消えていった。
残されたのは、呆然と立ち尽くすシュウと、穏やかな笑みを作るルナだけだった。
その時、蹄の音と共に騎士団が紺色のマントを翻した五人の騎士たちが駆けつけた。
「異変はここからだ!
……これは大変だ。おい、応援と救護班を呼べ!」
倒れ伏す人々を見て慌ただしく指示を飛ばす。
するとその中でもその場に慣れているかのような凛とした姿の騎士がシュウとルナのもとに駆け寄り、息を切らせながら声をかけた。
「君たち、大丈夫か!? ここで何が起きたんだ?」
鋭い声で問いかけてきた騎士に、シュウは一瞬言葉を探した。
だが彼より先に、隣のリエルが小さく視線を伏せて答える。
「……はっきりとは分かりません。 ただ、皆が急に錯乱しだして……そのあと気を失ったみたいで……。」
その声音は落ち着いていたが、どこか作り物めいて聞こえた。
シュウは思わず目を瞬かせ、胸の奥でざわめきを覚える。
(……なんで本当の事を隠すんだ……?)
騎士は彼女の言葉を疑う様子もなく、真剣な顔でうなずいた。
「そうか……無事なら何よりだ。 念のため、君達の名前を聞いておきたい。 良いかな?」
その瞬間、シュウの違和感はさらに膨れ上がる。
国中で知らぬ者のない人気アイドル――リエルを、なぜ誰も彼女だと認識しないのか。
地味な格好や帽子やサングラスなど、変装をしてる訳ではない。
どこからどう見ても一目でリエルだとわかるばずだ。
これではまるで、彼女自身が人々の認識そのものを操っているかのように思ってしまう。
ルナは小さく息を整え、顔を上げる。
騎士のまっすぐな視線を受け止めると、柔らかな笑みを浮かべて口を開いた。
「……私は
「僕は、
彼女の透き通るキレイな声がこの大通りに残り、名を告げるだけで空気が少し張りつめたように感じられた。
騎士はうなずき、メモを取る。
「わかった。協力に感謝する。
もし、この後どこか悪くなったらすぐに騎士団に連絡してくれ。 いつでも検査治療出来る。」
優しく、頼もしい言葉を告げ、騎士はすぐに救護の指揮へ戻っていく。
残されたシュウは、リエルを見つめながら小声でつぶやいた。
「……リエルさん、本名ってそうだったんですね。」
ルナは、どこかはぐらかすように柔らかく笑みを浮かべる。
「そう、紅咲ルナ。それが私の本当の名前。
今日は助けてくれて本当にありがとうございました、シュウくん。」
その声には、一瞬だけ本心が滲んだ気がした。
静かな言葉に続けて、彼女はふっと微笑んだ。
その笑みは魅力的ながらステージで見せる華やかなものではなく、どこか影を帯びた儚さがあった。
「ここからは私ひとりで大丈夫です。 だから……さようなら。」
夜風が彼女の長い髪を揺らし、甘い香りを残して通りをすり抜けていく。
シュウはその背中をしばらく見送ることしかできなかった。
彼女の姿は夜の闇に溶け込み、あっという間に見えなくなっていった。
胸の奥に残る温もりと違和感の両方を抱えながら、ただその名を心の中で繰り返す。
紅咲ルナ――それが彼女の本当の名前。
だが頭の片隅では、感じていた。
(僕は確実に彼女ー紅咲ルナに会ったことがある。
それに…さっき、リエルから感じた気配…。
彼女は普通の子ではない…。)
やがて救護班の馬車が到着し、気を失った人々を次々と運び込んでいく。
慌ただしく動き回る騎士団の姿を背に、シュウもまた、静かに家路へと歩き出した。
********
後書き
ご拝読ありがとうございます。
暁月シュウというキャラクターは最初は人間性と性格に悩みましたが悩むくらいなら、とシンプルに自分に近づけています。
その一般社会に馴染めない彼がこれからどう進むのか、お楽しみに。
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感想、意見などもお待ちしております。
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