六章 僕たちのありふれない日常

第20話 僕たちのありふれない日常 ①


 僕のクラス――特別臨時クラスの一日はホームルームから始まる。

 篠江しのえ先生がその日の予定やニュースを伝え、灰谷はいたにさんがなにか予知を見ていた場合はそれが皆に共有される。


 その日は、篠江先生から要注意人物の情報が伝えられた。

「なにやら雷に関係した、強力な病ヰ持ちの生徒が確認されているようです。どこの学校の子かまではわからないのですが、強者を求めて東京を彷徨っているらしいので、気を付けてくださいね。特に、調停ヰ者ホルダーの方は」

 その言葉に、王崎おうさきさんと灰谷さんが同時に頷いた。


「そいつについての予知プレコグニションは、今はたぶん見てねぇし、他の予知も今のところは見てないな」

 こうして、今日のホームルームは無事終了した。


   〇


 授業は基本的にこの教室で行い、教科によって様々な先生が授業をしてくれる。


 当たり前だが、先生は全員が全員病ヰやまい持ちではないため、僕に殺される心配がないのだ。

 ……そう思うと、どうして唯一の病ヰ持ちである篠江先生が僕の担任なんだという当然の疑問が湧いてくるのだが。まあ、それは彼女が強いからなのだろう。

 最悪、僕がどえらい暴走をしても、篠江先生が僕をぶっ殺してくれるに違いない。安心、安心。


「オウカ。これどうやって解く?」

 数学の授業中。鍵市かぎいちさんが左隣の席の王崎おうさきさんに小声でこっそり質問していた。


 数学の担当である石森いしもり先生は、眼鏡の若い美男子だ。

 彼は、基礎的な質問をすると「それは教科書に書いてありますよね?」と、眼鏡をクイッとしながら肩を竦める。そんな対応が面倒に感じるのか、鍵市かぎいちさんは石森先生よりも王崎さんに質問をすることが多いのだ。


 僕たち五人に大きな学力の隔たりはないが、その中では王崎さんが頭一つ抜けて賢い。


 僕のイメージ的には、灰谷さんが一番賢いのかと思っていた。

 だが、灰谷さんは勉強せずにゲームばっかりしているし、授業中は居眠りをしていることがほとんどだ。彼女の場合は、学力があるというよりは頭の回転が速いと称した方が正しいだろう。


 キョンシー娘、山乙やまおとさんはぼんやりとした表情でいつも丁寧に板書を取っている。テスト勉強も真面目にしているようだが、五人の中だと成績は最下位だ。意外と真面目なのだが、要領があまりよくないのかもしれない。


 だから自然と鍵市さんは、数学の時間に隣の席の王崎さんに質問をするようになった。


「えっと。これはね」

 王崎さんは、鍵市さんに問題の解き方を丁寧に教えている。彼女のことだ、教えるのも勉強のうちだと思ってむしろいい経験だ、くらいに思っているのだろう。


 石森先生は、板書を書くときは常に大声で授業に関係あることないことを喋り続けているため、後ろで話していても意外と気付かれない。


「おお。解けた。ありがと、オウカ。オウカ、好き」

「あはは。わたしも束沙たばさのこと、好き」

 なんて、鍵市さんと王崎さんはイチャついていた。


 どちらかというと文系の僕は、鍵市さんと同様に王崎さんに数学の問題の解き方を教わることが多い。

 相手の立場に立って優しく教えてくれる王崎さんは、皆にとても信頼されているのであった。


   〇


 病ヰを学ぶ学問は、そのまま『病ヰ学やまいがく』と呼ばれる。


 この授業では、病ヰの歴史や特性について学ぶ。そして、病ヰを鍛える実践授業が行われることも少なくない。


 僕たちのクラスの病ヰ学担当の先生は勿論――。

「では、今日も授業を始めていきますね」

 元、関東最強の調停ヰ者ホルダー。『魔法青少女ホワイト・レディ』。ピンク色の魔法少女のドレスに身を包んだニ十歳はたち篠江涙琉しのえるいるである。


「今回は、病ヰの極限の暴走状態である『フェーズ2』について復習しましょうか」

 篠江先生がステッキを振ると、チョークが自動で動き黒板に文字を刻み出す。

「では入村いりむらくん。フェーズ2とはなんでしょう。覚えていますか?」


 篠江先生に急に当てられ、僕は緊張の面持ちで答える。

「病ヰ持ちの精神が不安定となった際、病ヰが自分の制御下に置けずにとんでもない力のまま暴走してしまう現象、でしょうか」

「そうですね。大体合ってます」


 にこやかに微笑む篠江先生に、質問をぶつける。

「その条件だけ聞けば、僕の病ヰはフェーズ2のような気もするのですが」

「そう思えなくもないですが、フェーズ2になればほとんど自分の意識はなくなりますし、出力も段違いに跳ね上がるんです。現役時代、私も何度かフェーズ2の病ヰ持ちと戦ったことはありますが、皆恐ろしく強かったですからね。まあ、全部勝ちましたけど」

 ケロっとした顔でそんなことを言う篠江先生。


「この中でフェーズ2と戦ったことがあるのは、王崎さんだけですかね?」

 篠江先生のその言葉を、王崎さんは顎を引いて肯定する。

「確かに、全員強かったです。あれらに比べれば炉一ろいちの病ヰの出力はまだ遠く及ばない。だけど、もし炉一がフェーズ2になってしまえば、彼らを遥かに凌駕するポテンシャルは持っているはず」


 思わず、僕は生唾を飲み込んだ。

 ただでさえ加害性の高い僕の病ヰがフェーズ2になってしまえばどうなるのだろう。あまり、考えたくはないものだ。

 そうならないためにも、早く病ヰを治さなくては。


 僕は、フェーズ2についてもっと知りたくなった。

「フェーズ2とは、一度なってしまえばずっとその状態なのですか? それとも、一時的なものなのでしょうか」

「いい質問ですね、入村くん。大体は一時的なものです。気絶させるか力を使い果たして倒れるかすれば、自然と治まるものです。しかし、その間の被害が凄いのなんの……」

 嫌なことを思い出したのか、篠江先生は顔全体からどんよりとしたオーラを放っていた。


「ノノちゃ――こほん。倉骨くらほね先生曰く、一度フェーズ2になった方の再発はあまりないらしいのが救いですかね。フェーズ2を乗り越えた人は、心が一回り強くなるようなんです。これを倉骨先生は、『心の抗体』なんて呼んでますね。むしろ、その後はフェーズ2の力の一部を意識的に使えるようになるなんて話もあります」


 フェーズ2は、病ヰ持ちが限界まで思い悩んだり、極限の状態に追い込まれることで覚醒する。だからこそ、それを経験すると一回り強くなれるということだろうか。

 あまり、経験したいとは思わないけど。


 しかし、フェーズ2にならないようにするためには、どうすればフェーズ2になってしまうのかをより詳しく知っておくべきだろう。


「具体的には、どんな人がフェーズ2になってしまうのですか」

「お。今日は積極的ですね、入村くん。先生は嬉しいです」

 篠江先生は腕を組み、うんうんと何度も頷いている。


「多いのは、慢性的に精神が参ってしまっている方。また、ショックなできごとがあって一時的に落ち込んでしまった方、等。でも、青少年は全員なにかを抱え込んでいるものですから、全員当てはまるっちゃ当てはまるんですよねぇ」


 そのなかでも、と篠江先生が付け加える。

「やはり、欲望の強い人がなりやすいですかねぇ。病ヰは、罹患者りかんしゃの欲望を叶えるために進化し、フェーズ2へと移行します。だからフェーズ2の病ヰの症状は、罹患者の願望が反映される場合が多いのです。例えばですねー」

 と、篠江先生がステッキでチョークに指示を出す。チョークは小気味よい音を立てながら文字を連ねていく。


「いっぱい人を殺したい場合は、いっぱい人を殺せる病ヰに進化します。いっぱい人を助けたい場合はいっぱい人を助けられる病ヰに進化します。でも、病ヰは歪な形に進化することがほとんどですので、願望通りいかないことがほとんど。フェーズ2になる際なんて、正常な心なわけないですもんねー」

 しょんぼりと、篠江先生は肩を落とした。


「わたしが戦った病ヰ持ちもそうでした」

 口を挟んだのは、王崎さん。


「超速移動ができる病ヰで、盗みを繰り返していた病ヰ持ちがいました。その子に怪我を負わせて追い詰めたとき、その子は罰を受けたくないという思いからフェーズ2へと覚醒。再生能力に目覚め、わたしの前から逃げました。まあ、すぐにまた捕まえましたけど」

「ロイチ。そのときはタバサも手伝った。そいつより、タバサの方が速かった。褒めて」

「おお。そうなんだ。凄いな」

 鍵市さんがすっと頭をこちらに向けてきたので、僕は遠隔で彼女の頭を撫でる振りをした。彼女は、とても満足そうな顔をしている。


「とまあ、そんなわけでして。フェーズ2になると新たな力に目覚めたり、元の病ヰが更に強化されたりするんです。大抵は意識がなくて暴れ回っちゃうんで、あんまりなってほしくないですねー」

 篠江先生の顔には、苦笑が張り付いていた。

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